3 モモちゃんが消えた

 脇田家の長女麗奈は高校2年生で吹奏楽部に所属している。優雅と思われるかもしれないがかなり体育会系の部活で朝練と放課後の部活動がとても大変だ。担当はフルート。華麗さに憧れて選んだのが、肺活量をかなり要求される楽器だった。今練習しているのはモーツァルトの『魔笛』、今度の定期演奏会で披露することとなっている。


「それじゃあ、今日はこれで終わり。明日また確認するからね」

 部長の締めの言葉に皆で返事する。荷物をまとめると麗奈は一番に部室を出た。


「待ってよ麗奈、自転車置き場まで一緒に行こうよ」


 追いかけてきた親友の有希が声を掛ける。


「ああ、ごめん。急いでたの」

 速足で歩く麗奈の横を有希も速足で歩く。


「用事あるの?」

「うち今日ウォッシュレットがついたの」


「ウォッシュレット?」

 有希が怪訝そうに問い返す。


「超楽しみだから早く帰ろうと思って」

「ふうん。そっか。でもね、アレ気をつけた方がいいよ」

 含みを持たせる有希の言葉に麗奈は耳を傾ける。


「時々、誰かが水圧をマックスにしてたりするから、使う前に確認した方がいいよ」

「ああ、そうね。それは確かに危ないかも」

 麗奈はいいことを聞いたと言う様子で頷く。


「私は使わないな。何か気持ち悪いし」

「へええ、そうなんだ」

 結構期待してたのになと麗奈は心で呟く。その後、有希から様々な情報を得て自転車置き場で別れた。




「ただいま」


 急ぎ帰ると晩御飯のいい香りが漂っていた。麗奈の大好きなから揚げだ。


「ねえ、お母さんトイレついた?」

 台所で料理をしている母に問いかける。

「ついてるわよ」

 麗奈はでは、と心で呟き身を翻す。

「入ろっと」

 鞄をリビングに置きざりにして麗奈はトイレに向かった。


「中々、お洒落じゃない」


 ホントはカタログを見た時にもっと気に入ったデザインがあった。だが、祖母君江が機能にこだわったので、それを選べなかった。でも、こうして見てみるとこれも案外悪くない。


「さて、使ってみますか」


 アレコレボタンを試して温風が出ることまで確認した。使用後手を洗い、麗奈は満悦の表情で由美子に歩み寄った。


「お母さんトイレとても綺麗ね」


 由美子もまた笑顔を浮かべ、嬉しそうにする。

「おばあちゃんも気に入ったみたいよ」

「ふうん」


 由美子は味見をしながら、思いついたように話を変える。


「ああ、麗奈。そう言えばおばあちゃんの万年筆知らない?」

「えっ、この間ちゃんと戻したよ」

「無いって言ってるのよ。もう一度探してみてくれる」

「うん、分かった」


 母とやりとりしているとクウウンと鳴く愛しい声が背後で聞こえた。モモは台所のフローリングの上を歩けないのだ。


「あっ、モモごめんね。ただいま」

 いつもは一番にただいまを言うのだけれど、今日だけはトイレに真っ先に向かってしまった。モモはしゃがんだ麗奈の膝へ駆け上がり、尻尾をそよそよと振った。



 麗奈はモモを2階の自室へと連れて行き、寝転がって少年マンガを読み始めた。この頃気に入っている弟聡司の所有物の少年マンガだ。終末世界をテーマにしたバイオレンス作品で主人公はレジスタンスに所属する少年。彼がとにかくカッコよくて夢中なのだ。その辺の興味は弟と違うところかもしれない。連載中で35巻まで発売されているので、せっせと読んでいる。


 頭の下に敷いたピンクの大きなクッションにはモモも乗っている。2人で半分個。主人にぴったりと寄り添って眠るさまは何ともいえず愛らしい。


 腕が痛くなるので体制を変えながら、1冊読み終えた。手を伸ばし、積み上げている続きの巻に手を伸ばすが当たらない。仕方なく起きあがって目視して手の中の一冊を次の巻と交換した。そこで、ふと違和感に気付く。


「モモ?」


 一緒に枕に寝ていたはずのモモが姿を消していた。


「モモ」


 ペットトイレの方を確認しても姿はない。隅々を確認したけれど、どこにもいない。まさかと思い部屋を出て階段を見下ろすがそれは無いと自身で否定する。部屋の扉は開いていたけれど、モモが1階に行くなどあり得ない。モモは階段を下りられないのだから。

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