男爵の誤算
約一か月後
「閣下、大変です! 我らの辺境領地に伯爵の兵が入ってきております!」
「何だと? どういうことだ!」
その報告を聞いたケルン男爵は声を荒げる。彼の部屋は高価な調度品で溢れ、今も傍らに数名の美女を侍らせながら優雅に酒を飲んでいる。男爵にとっては報告の内容よりもそんな至福の時間を邪魔されたことの方が不愉快そうであった。
とはいえ、普通に考えてこちらの許可なく領地に兵を入れるのは明確な敵対行為だ。いくら位が上の伯爵とはいえ許される行為ではない。
「ですが、住民たちは兵士の侵入を歓迎しているようで……」
「なぜだ!」
「さあ」
家臣は首をかしげてみせたが、男爵本人以外はおおむね想像はついていた。
ケルン男爵は魔物が出没する辺境の領地をほぼ放置しており、そこでは魔物が出没する他日照りや水害があってもろくな対処がされなかった。そのため住民からすると領主が変わるならそれもそれでいいという気持ちになったのだろう。
だが、男爵に仕えることでいい思いをしてきた家臣たちは今までそれを言わないでいた。
「ええい、かくなる上は急ぎ伯爵に使者を送るのだ! それから軍勢を送れ!」
「はい、使者は早急に準備しますが軍勢は……」
家臣は言葉を濁す。
「どうした」
「閣下の指示通り用がない時は解散していますので揃えるには時間がかかりまして」
基本的に常に兵士を抱えておくと維持費がかかってしまう。そのため男爵領では平時に兵士たちは農村に帰していた。
この国では兵士と農民が完全に分離している訳ではないが、比較的治安が悪い辺境ではどの貴族もある程度常備兵を用意していた。しかし男爵はそれらの出費も惜しんで懐に入れていたのである。これまではそのおかげで豪遊三昧を楽しんでいたが、今となってはその判断が完全に仇となっていた。
「おのれ伯爵め……今すぐ兵士の用意をせよ!」
「閣下、王都にこのことを訴え出てはいかがでしょう? そうすれば伯爵は必ずや有罪に……」
「馬鹿者! そんなことをすればこちらも調べられてしまうに決まっている!」
もし国がこの事件の調査に出れば伯爵も処罰を免れないだろうが、男爵も軍勢を解散して私腹を肥やしていたことがばれてしまう。そうなれば双方取り潰しに遭う危険もある。軍勢を早急にかき集めて対処すれば、伯爵も大事になっては困るので引き返していくかもしれない。こうなった以上その可能性を祈るしかない。
が、そこへさらに男爵の部屋の戸を叩く者があった。
「何だ、今は忙しいというのに!」
「それが、実は王都から文がきまして……『領内の魔物討伐が遅れているので伯爵に救援要請を出した。協力して魔物の脅威に当たるように』と」
「何だと!?」
先に手を回されてしまったという事実に男爵は怒り心頭に発したが、すぐに抜き差しならない事態に陥っていることを悟る。このようなことになってしまった以上すでに王宮に恥を晒してしまっているし、協力して魔物討伐にあたろうにもそのための軍勢もない。
「くそ、ボルド伯め……」
男爵の怒りは伯爵に向かったものの、それをぶつける手段は残されていなかった。
ボルド伯爵の館にて
「しかし、このようなことをして本当に大丈夫だったのか?」
伯爵は屋敷にて今回のことを勧めたアリカに問う。
「大丈夫ですよ。そのためにわざわざ王宮に問い合わせて許可ももらったじゃないですかー」
「そうだな。しかしこのようなことをしてうまくいくのか……」
「それについては何度も確認した通り、男爵領にまともな軍隊はないですし、王宮の介入もなければ失敗することはありません」
グリンドは男爵がまともに軍勢を揃えていないことを反省させるようなきっかけが欲しかったが、かといってそのために魔物が襲ってくるのを見過ごすようなことをすれば領民の被害に出る。そのため、他の領主が平和裏に領地を占拠するという筋書きを考えた。そしてそれを知り合いであるアリカに相談したのである。
アリカとしてはボルド伯にそのような芸当が出来るのか不安だったものの、魔物の侵攻に苦しむ人々を救えるのであれば、と伯爵の後押しをした。伯爵は当初渋ったものの、王宮に『隣のケルン男爵領に魔物が頻繁に出没しているものの、領内にろくな軍勢が出ていないので急ぎ救援を出したい』と申し出たところそれがあっさり通ってしまったという訳である。
もしかしたらケルン男爵領において魔物が出没しているのに領主がろくな手を打たないということは王宮まで聞こえるような噂になっていたのかもしれない。アリカ自身はたびたびそのような噂を耳にしていたが、他領のことでもあるためこれまではどうすることも出来なかった。
「とはいえ我が軍勢が男爵と揉めている間に魔物が襲ってくるという可能性もある。おぬしも軍勢に同行して魔物討伐を手伝うように」
「分かりました」
元々アリカは冒険者としての経験があり、屋敷にこもっているよりもそちらの任務の方が嬉しい。異存はなかった。
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