自殺人と死神
なめなめ
第1話 自殺人と死神
深夜の一時。オレは自分が勤める会社のビルの屋上に立っていた。
理由は、ここから飛び降りて自殺するためだ。
本来はもっと早い時間にやるつもりだったが、年下のクソ上司から無理矢理に仕事を付き合わされて残業している内に、こんな遅い時間になってしまった。
「まったく、これから自殺しようとするヤツに何で残業なんかやらせるかなぁ?」
尚、自殺する理由については色々ある……というか、色々あり過ぎて、どれが本当の理由なのかわからないくらいだ。
だが、それでも強いて挙げるとすれば上司との関係が一番だろうか?
とにかくあのクソ上司ときたら、こっちが部下で逆らえないことをいいことにいつもオレを目の敵にして無茶を言ってきやがる!
今日だって残業に付き合わせるし、やっと終わったかと思えば次は「飲みに行こう」などと言って誘ってくる始末だ。
パワハラ、ザンハラ(残業ハラスメント)、アルハラの三連コンボ……少しはこっちの身になってみろと言いたい!!
なので今は、トイレに行くフリをしてここに逃げてきたという訳だ。
「でもまぁ、そんな苦労もここから飛び降りればおしまいなんだがな……」
オレは目の前にある三メートルくらいある高さのフェンスをよじ登ると、その外側になるビルの
「へぇ、なかなかの眺めじゃないか」
下を見ると、間違いなく落ちたら死ぬというイメージが十分に伝わってくる。
「ハハハ……これなら、どこにどう落ちても大丈夫そうだな」
フッ、死ぬのに大丈夫っていうのも笑えるジョークだけどな。
「けど、何だな……ここまで来ても、ぜんぜん死への恐怖が湧いてこないとは不思議なもんだな」
聞くところによると、人はいざ命を断とうとする場合は手足が震えて
「……よし、じゃあそろそろ死ぬか」
ビルの緣からおもむろに一歩踏み出す、二歩目の必要がない一歩を……
『お前、死ぬか?』
「うぉおおお!」
ガシッ!
急な声に驚き、思わず側にあったフェンスを掴んでしまった!
「はぁ、はぁ、な、何だ今の声は?」
辺りを見渡すも、ここは深夜の屋上で誰もいるはずがない。いるとすれば、オレみたいな自殺希望者か、漫画に出てくる殺人スナイパーくらいなもんだろう。
「……もしや空耳だったのか? だとしたら、いやに耳に残る空耳だったなぁ」
スッキリはしないが、今から死ぬオレには関係ないこと。
「……とにかく、とっとと死ぬか」
オレはフェンスから手を離し、ビルの緣から一歩踏み……
『なぁ、ちょっといいか?』
「うぉおおおお!」
ガシッ!
またもやの謎の声に驚き、再びフェンスを掴んでしまう。
「また、あの声か!?」
今度は、首を大きく振って念入りに辺りを探す。
「……やっぱり、誰もいないな」
少々納得がいかないが、仕方なくまた空耳だったということにする。
「さぁ!死ぬぞ!!」
先程同様、フェンスから手を離して一歩を……
『あのよー、何回も無視されると、さすがに辛いんだけど?』
「のわああああ!!」
みたびの声により、フェンスを掴む!
「ま、まったく……さっきから何なんだ! 誰かいるならさっさと出てこい!!」
こう何度も自殺を止められては、さすがの自殺志願者であるオレでも
『あ、悪りぃ悪りぃ。どうやら俺が姿を見せるのを忘れてたみたいだったな。ちょっと待っててくれ』
何者かの言葉通りに少し待ってみると、目の前の空間が歪み、そこから薄気味悪いガイコツが出現する。
『お初にお目にかかるぜ。俺は死神だ』
「うぉ!? ガイコツ頭が喋った!」
『いきなりガイコツ頭とは、失礼だな?』
「頭だけで喋るのは失礼じゃないのか?」
『仕方ないだろ。身体の方は残業中なんだから』
「はぁ、死神にも残業があるとは世知辛いな世の中……って! 身体だけで残業できんのかよ!」
『できるぜ、死神だからな』
得意気に言ってるところをみると、できるらしいな。
「……で、残業をサボったガイコツ頭が、どうしてオレに声をかける?」
『ガイコツ頭ではなく死神だ! もう一度言ったら呪うぞ!』
「今から死のうとするオレを呪ってどうするつもりだ?」
『う、そ、それは……』
「お前、あんまり優秀じゃないだろ?」
『だ、黙れ人間!お前だって無能だから自ら死のうとしてるんだろうが?』
「む、無能だと!? オレは無能なんかじゃない! 無能なのは、オレを正当に評価しないクソ上司だ!」
『でも、優秀じゃないんだよな?』
「ぐっ! うるさい!」
『ケケケ、図星だろ?』
コイツ、嫌なタイプの死神だな。
『まぁ、くだらない話はこれくらいにして……お前に頼みたいことがあるんだ』
「頼みたいこと?」
『さっき話した残業のことなんだが、それを手伝ってくれないか?』
死神の残業を手伝う? さっきまでクソ上司のせいで残業してたオレが? いや、それよりも人間のオレに死神の残業なんて出来るのか?
「…………いくつか訊きたいことがあるんだが?」
『おお、引き受けてくれるか!』
「んなこと言ってねぇよ! 訊きたいことがあるって言っただけだろうが!」
まったく人の話を聞かないヤツだ。
『悪い悪い……っで、何を聞きたい?』
「一つ目は残業の内容。二つ目は報酬だ」
訊くとしたら、だいたいこんなところだ。
『わかった。まずは残業の内容だが、やることは至って
「サポート? 人間のオレでやれるものなのか?」
『問題ない。お前のやることは黙って“見る”だけだからな』
「見る?」
『そう。見るだけだ、簡単だろ? で、次は……』
「待て待て! 見るだけって、何かおかしくないか?」
逆に簡単過ぎて怖くなる。
『別におかしくらないだろ? ただ黙ってオレの身体が、きちんと仕事をこなすのを見るだけだぜ?』
「ほ、本当に見るだけか?」
『ああ……逆に言えば、見る以外のことは必要ない』
「どういうことだ?」
『いちいちに細かい野郎だな、お前は』
「当たり前だ! 仕事内容をキチンと把握するのはビジネスの鉄則だぞ!」
『鉄則か……なんか面倒臭そうな話だがまあいい、説明してやる……って言いたいところだが本当に見るだけだぞ? 後はせいぜい、身体が真面目に仕事をしたかを上司に報告するぐらいで……』
「あるじゃないか、“上司への報告”っていう面倒臭い仕事が! そんな大事なことは、最初からちゃんと言えよ!」
『うう……悪かったよ』
ったく、オレはその上司とやらから毎日こっぴどくやられていたというのに……
「っで次、報酬は?」
『おお、報酬な! 聞いて驚けよ人間!!』
「聞く前からは、驚かんぞ?」
『いちいち細かい野郎だな』
「言っておくが、報酬が気に入らない場合はこの話はナシだからな!」
『あ、ああ、それはわかってる』
「どうだか……」
『では、気を取り直して……ゴホン!』
頭だけなのに咳払いする死神。その姿はどこかシュールだ。
『報酬はズバリ、“幸せが約束された来世”だ!』
「来世?」
『そう、来世だ! 次にお前が生まれ変わった時には、輝かしい人生を約束する!どうだ? 嬉しいだろ?』
「何が?」
『何がって……約束された来世ですけど?』
「却下!」
『はぃぃぃぃぃ!? 来世だぞ!! 面白おかしく生きていける人生が確実に待ってるんだぞ!!』
「でも来世だろ? 今じゃないんだよな?」
『そ、それはそうだが、しかし……』
「しかしも、かかしもない! そもそも来世なんていうそんな
『けどなぁ、今までのヤツは大抵これで納得して……』
「ん? 納得したヤツがいるのか?」
『あ、当たり前だ! いなかったら、こんな報酬を出す訳ないだろ!!』
「なんか嘘くさいな?」
『嘘ではない!では逆に聞くが、現世で希望すら持てずに自ら命を断とうとする者が、なぜ来世に希望を持てない!?』
「な、何を言って……」
興奮する死神は捲し立てる。
『いいか、よく聞けよ? 来世というモノは本来、何も約束されてないんだ! だから、生まれ変わっても再び人間になれるとは限らないし、下手すれば虫や植物になるかも知れない。仮に上手く人間に生まれ変われたとしても、今よりずっと不幸かも知れないんだぞ!?』
「まぁ、それはそうかも知れないが……」
理屈はわかる気がする。
『そもそも、お前はこの現世に何を望む? 金か?権力か?』
「…………」
『…………』
「…………?」
『…………?』
「権力の次は?」
『権力の次? 他に何かあるのか?』
「アホなのお前?」
『な、死神に向かってアホとは何だ!!』
「アホに決まってるだろうがぁ! 普通、真っ当な男に“何が不満だ?”って言ったら金、権力よりも大事なモノがあるだろうが!!」
『
本気で理解してないのか死神は、言葉が片言になる。
『……悪い、いまいちピンとこねぇんだが?』
こいつ、
いや……もしかしたら、概念が違うのかも? だいたい普通に考えたら男の三大欲求なんてものは、金、地位、そして、よっぽどの聖人でもない限りは……
「女!」
『何?』
「女だよ、女! いわゆる彼女!わかる!?」
だが、これを聞いた時の死神の反応はというと……
『はぁ?』
とする疑問を表す返答だった。
「な、なんだよ、その反応?」
『……あ、いや、あまりにも訳がわからないことを言われたんで……つい』
「つい? “女”って答えが意外だという意味か?」
『それもあるが、その……少々混乱してな』
「混乱? どうして?」
『お前が女と言ったからだよ』
「はぁ?」
今度はオレが死神と同じ反応を示す。
「ちょっと待て? どうしてオレが女を望むと言って、死神が混乱する?」
『そりゃあ混乱するに決まってるだろ。だって金と権力ならともかく、女……ましてや彼女というものがお前に不足してるとは思わないからな』
「オレが女に不足してない? まさか? 自慢じゃないが、オレは生まれてこのかた一度だって女にモテたとことがないぜ?」
『ホントに自慢じゃないな』
「うるせぇ!」
なんか悲しくなるな。
『だがな、女に関していえば、お前は本当に不足してないはずなんだ。現に、今日もその女には会ってるしな』
「今日も会ってるだと?」
といっても、今は日にちが変わったばかりの午前一時過ぎだぞ?
「なぁ、確認するが、今日ではなく、昨日会ってるの間違いじゃないのか?」
『今日も会ってるし、昨日も会ってるぞ』
昨日もだと? それじゃあ……
「……死神、お前、デタラメを言ってないよな?」
『デタラメでも嘘でもねぇ! 第一、死神は人を欺くことができないようになってんだよ!』
「そうか……」
しかし、それが本当ならコイツが言う女は一人しかいないことになる。
「訊くが死神。その女とは……その……オレのことを“好き”……なのか?」
『おいおい、この場合はどう考えてもそういう流れだろうが?』
『流れ……ね』
…………
「いやいやいやいやいやいや! あの女が、あの女上司がオレを好きだなんてあり得ないだろ!?」
オレはあまりのこと動揺し、頭をかきむしる!
『なぁ、なんか相当に嫌がってるみたいだけどよ、その女は見てくれが悪いのか?』
「いや、社内では評判の美人だな」
『歳は?』
「オレよりも二つ下だ」
『足が臭いとか?』
「……それは、知らん!」
ここで死神は一度、盛大にため息をついてから……
『じゃあ、お前はその女の何が不満なんだ?』
「はぁ?
「例えば?」
「例えばだと? そうだな……アイツはいつもオレに向かって暴言を吐くんだぜ!」
『それ、お前の気を引きたいんじゃないのか?』
「ざ、残業だって付き合わせるんだぞ!」
『一秒でも、お前と一緒に長くいたいからじゃないのか?』
「そ、それに終わったら終わったで、無理矢理に飲みへ付き合わせるし……」
『二人っきりになりたいからだろ?』
「そ、それから……あれ?」
『どうした?』
「あ、いや、なんか冷静に考えたら、その……上司のことが……」
『ほらな、女には“不足”してないだろ?』
死神の言う通り。どうやらオレは不足してないらしい。
「………悪い、死神。お前の残業さ……ちょっと、手伝えそうにないみたいだわ」
『ん、そうか? それは残念だな』
オレは死ぬために越えたはずのフェンスを今度は逆に越える。そして……
「ありがとな、死神!」
フェンスの向こうから感謝の言葉を告げると、再び上司が待つであろうビル内へ戻っていく。
――――男が去った後の屋上にて、残された死神は一人寂しく口を開く。
『悪いな人間、じつはお前に一つだけ嘘をついていたんだ。オレ、死神なんかじゃないんだ。本当は……』
そこまで言いかけた時、彼は目映い光に包まれてどこかへ消えてしまう。
ここではない、どこかへ……
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