4通目 こちらは健やかに過ごしてます

 全ての配達を終えた。陸は郵便局に戻る。いつもならわざわざ局長がいる事務所には寄らない。今日は寄るように言われたので、倉庫の脇にあるこじんまりとした事務所に陸は行った。

 中には机が3個、コの字型に並んである。陸にとっては休憩するときぐらいにしか使わない部屋だ。机も水を置くだけだ。ここには紙や本、ペンなどはないのだ。すべて頭の中にあるチップで事足りるようになっている。

 部屋の中に局長ともう一人、人間がいる。

 恰幅の良い中年男だ。この地区をまとめる区長 いちだ。仕事上、不味いことが起きない限り、陸は関わることがない人物だ。それと机の上に見慣れない黒い箱が置いてあった。ただならぬ気配を感じた陸は体を緊張で固くした。

「待っていたよ。陸くん」

 とにこやかに出迎える壱区長。立派な三日月髭がトレードマークだ。

「あ…お疲れ様です。…その、それで用事とは?」

 その陸の言葉に、一二三局長が話した。

「政府から依頼があって、荷物を地区10まで運んでほしいという話だ」

「え!」

 いきなりの内容に陸は体をさらに固くする。人間は住んでいる地区から出ることはない。供給と需給がこの地区の中で完結しているシステムだからだ。ほとんどの人間は地区からでることなく生涯が終わるようになっている。だから、陸もここにいる壱区長も一二三局長も、この地区89の外に一度も出たことはない。

 ただ陸や一二三局長は郵便局員なので、大まかな他の地区の位置関係は把握している。

「地区10まで?」

「そうだ」

 その命令の異様さに陸が驚愕していると一二三局長も困った表情をしていた。

「地区10って、ずっと向こうじゃないですか…。方向は知ってますが…俺…行ったことないですし…そこまでの詳細な地図がないと不安というか、確実に迷うと思いますし」

「そこは大丈夫だ。案内がある」

 壱区長がそう付け加えた。

「誰かついて来るんですか?」

 そうだったらいいなという希望を陸は言ってみるが

「いいや。陸くんだけだ」

「えっと…どういうことですか?」

「…ロボットが道を案内するのだ」

「ロボットが?」

 簡単な作業ならロボットは自動で動く。地区10までの道筋をデータとして入れとけば、案内もできる。

「道についてはわかりました。それで、運ぶ荷物とは?」

「その案内するロボットが荷物なんだ」

「はぁ…」

 陸はつい気の抜けたような返事をしてしまった。わざわざロボットを地区10まで運ぶことに違和感を感じた。という事は少なくとも作業用ロボットではないということだろうと陸は思った。

「あ…もしかして、そのロボットって特別ってことですか?…もしかしてアンドロイドとか?」

 崩壊前の世界では人型アンドロイドがあった。残念ながら彼らは大量の部品と電気を喰うため生産されなくなった。陸は映像で見たことがあるが、実物は一度も見たことはない。映像で見た限り、正直ロボットとは思えなかったほどだった。

「いや……残念ながらアンドロイドではない。わたしも期待してただけに残念だ。あれが運ぶロボットだ」

 そう言いながら壱区長は、一二三局長の机の上にある四角い黒い箱を指でさした。大きさはちょうど人間の頭ぐらいの大きさだ。シンプルな直方体だ。表面は鈍い光沢がある。一面にだけ、赤いランプとレンズが一個ついてある。

「電源を入れれば、起動する。今は電源を切ってある。見えにくいが、ランプの横に小さいボタンがある。そこを押してくれ。充電も十分してあるとのことだ。出発するときに起動したまえ」

 壱区長が説明する。

「とりあえず、大まかな移動日数は地区10まで7日間ほどかかるということだ」

 陸はシンプルな黒いロボットをがっかりした気持ちで眺めた。どう見てもアンドロイドではない。頬を描きながら陸は言った。

「7日間か…ということは行って帰ってくるのに14日かかるってことですね」

「そういうことになる」

 壱区長がうなずく。

「それで…そのロボットはなんですか?なにかの大事な部品なんですか?わざわざ地区10まで運ぶということは?」

 アンドロイドじゃなくても、重要なロボットであることには変わりはないはずと陸は考えた。

「それは機密情報だから、君には教えられない。君に開示できる情報は、このロボットはAF区から届いたということだ。それと、慎重に運ぶように…と言っても君はベテランだからそこらへんは心配してないがね」

 三日月髭をいじりながら壱区長が言った。

「そうですか…わかりました」

 陸はよくわからないロボットを運ぶのかと内心思った。

「うむ…そして、陸くんは政府からの重要な任務に関われる名誉が与えられということだ」

「…はい。ありがとうございます」

 陸は区長の言葉を聞きながら、ふわふわと足元がおぼつかない気持ちになっていた。

「それで、いつ出発すればいいのでしょうか?」

「明日には出発してほしいとのことだ。陸」

 一二三局長がその質問に答える。

「えっと…その間の配達は…どうするんですか?」

「あぁ…私と拾四でやる。なにまだまだわたしは現役だよ。それに拾四にも配達を教えて良い頃合いだろう」

「そうですか…すみません。本来なら俺が教えないといけないのに…」

「地区10までの長距離での配達は、この地区であるなら君が適任だろう。拾四は幼すぎるし、私は老い過ぎた…経験が役に立てばよいが私も地区から出たことはないしな」

 一二三局長は眉を下げて言う。その言葉に、陸は少しばかり緊張した。いままでずっと局長に教わってきた。仕事に関しては局長に知らないことはないと思っていたからに、陸は体が震えそうになった。そんな陸の気持ちも知ってか知らずか区長が大きな声をあげた。

「よし!説明は以上だ。そして区長の私がわざわざここに足を運んだ理由はだね。我が区が政府からこのような命をうけるのは喜ばしいことだと思ってね。盛大に陸くんの出発の祝いをしたいと思ってここまで来たのだ!」

 その区長の言葉に陸は驚く。

「祝い?」

「私の権限で娯楽のデータベースを陸くんに解放する…、一晩だけだが…出発まで楽しみ給え…!」

「なんだってーー!!」

 一二三局長と陸は声がはもる。データベースの使用回数は職業ごとに決められている。配達員は、ひと月に3回しか使えない。研究員であれば10回使える。陸はすぐにデータベースの使用回数を使ってしまう。データベースは見ることは、この世界で限られた娯楽なのだ。音楽や小説、映画が楽しめる。羨ましそうに一二三局長が陸を見ていた。ちなみに陸の母親のように仕事を引退した人たちはほぼ無制限で観れる。

「それだけ、危険だということもわかってほしい。配達の無事を祈ってるよ。家に帰ったら、すまないが明日の準備をしてほしい。と言っても旅に必要な物はこちらで準備している。食料だけ自分のところから持ってきてくれ。明日の朝までに必要な物は郵便局に届けとくから」

「はい!」

 大きく陸は返事をした。

「話は以上だ。遅くまですまないね。それじゃあ帰ろうか」

 陸たちが郵便局から出ると、すっかりあたりは暗くなっていた。外灯はないので真っ暗だ。

「帰れるかね?」

 スーツの腕のライトをつけた二人が陸に聞いてきたが

「大丈夫です。目を閉じていても家に帰れます」

 そう言って陸は二人と別れた。陸はライトをつけずに小走りで家に向かった。

 陸は家に帰りつき、くまなく放射能を洗浄したあと、家に入ると母親が心配した顔で待っていた。

「おかえり。夕方に帰ると思ってったから…心配したのよ」

「ただいま。ごめん…お母さん。ちょっと、いろいろあって…。政府の依頼で。俺、明日にはこの地区の外に行かないといけなくなった。えっと…地区10に荷物を配達することになった。片道7日、往復14日かかるんだ」

 その陸の言葉に母は驚いていた。

「また、どうして?」

「AF区からロボットが届いて、それを地区10まで届けてほしいってさ。そのロボットが何なのかは、極秘情報で俺にはわからないんだけど。でも、名誉なことで…区長から今晩だけ娯楽のデータベースいくらでも使っていいって許可がおりた」

「まぁ!よかったわね…!」

「お母さんも一緒に観よう!」

「私も…?いいの…?」

「いいに決まっている!とりあえず、さっさとご飯を終わらせて、観ようよ」

「でも、陸…明日の準備もあるんじゃないの?」

「必要なものは、区長が用意してくれるって。準備をしろと言われたけど、正直持っていくのはこの防護スーツと食料ぐらいだ。それだってすぐ終わるし」

 陸はかき込むようにドライフードを食べ、皿を片付けたあとにダイニングテーブルに座った。陸は片耳にを取り付けた。脳に直接映像のデータを送るものだ。もう片方を母親に渡した。こうすれば、陸の脳を経由して二人で楽しめるのだ。

「何、聞きたい?」

「お母さんからでいいの?そうね…えっと…それじゃあ…うーん…音楽にしようかしら。えっと…たしか…モーツァルトのフィガロの結婚っていう名前の曲がね…あったと思うのよ」

 陸がこめかみを押して、検索するとその題名の曲があった。

「あ!あるね……ジャンル音楽、題名フィガロの結婚を」

 そういうと、陸の脳に軽快な音楽が響き始めた。そして、陸たちの目の前の景色が一気に変わった。黒い燕尾服を着た人が現れた。もちろんそれはただの映像である。多種多様の楽器を使って演奏している景色と音が聞こえた。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニ、チェロ、ピアノが音を奏でる。

「うおおおおおお!」

「わあ…!すごいわ…陸はやっぱ脳が若いわね…お母さんはここまで映像や音が鮮明に再現できないわ」

 陸と母親はうっとりとその音色に聞き入る。幾重もの音が重なり、奏でる。どうやったらこんな風に音が重なるのか…陸も母親もわからない。目の前で演奏している楽器というものは、この地区にはない。それでも、陸は聞いていて気持ちの良い音だと思った。

 曲が終わったあとの余韻に、二人とも何も言えなかった。しばらくして

「お母さん…この曲、何か思い入れがあるの?」

「えぇ…お父さんと…あなたと最初に暮らした最初の日にね。二人でこんな風に聞いたの。この曲を作った人は随分昔のひとだって言ってったけど…良いものは残るのね…たくさんの人がこの曲を聞いて、感動してきたのかと思うと…不思議な気分になるわ」

 思い出すように話す母親の声は幾分か若く陸には聞こえた。きっと陸の父親のことを思い出しているのだろう。余韻を噛み締めるように目を閉じていた母親が、陸の手を握った。

「大きくなったわね。陸。お母さん、もうすっかり安心してるわ。立派になったんですもの」

 その言葉に、陸は胸が締め付けられた。母親の黒いシミを、ハッとしたように見た。急に叫びたくなった。その感情を押し込めて、精一杯安心させるように陸は笑った。

 陸は穏やかな母親の顔を見つめて、脳に焼き付けた。

 二人はモーツァルトの音楽を30分程度、楽しんだ。

「うーん、ちょっと頭が熱くなってきた」

 陸がこめかみを触るとじんじんと熱をもっていた。

「もうやめた方がいいね…ありがとう陸…」

「すごかったね…お母さん」

 脳内に直接データ受信は便利だが、シアターイヤホンで補助してても脳が熱をもつ。熱を持った状態で無理して使い続けると、最終的に気を失う。次の日は頭痛に悩まされるのだ。ひどい時は数日続く。陸はデータ通信を終わらせて、イヤホンを棚に片付けた。

「じゃあ、もう寝るね。おやすみ。お母さん」

「おやすみ。陸」

 挨拶をして、二人はそれぞれの自室に戻った。


 翌朝、陸はいつも通りに起床し、健康をチェックした。

 陸がダイニングに行くといつも通り母親がいた。いつも通りに二人は朝ごはんを食べ、陸は防護スーツとヘルメットをした。

 再びダイニングに行くと、母親が食料の準備をしてくれていた。

「いってらっしゃい。これ食料よ。地区10までの分計算して用意したわ…でも何かあるかわからないから、ちょっと多めに入れたわ」

 陸は一抱えほどの袋を母親から受け取った。

「ありがとう…!」

 陸はいつもと変わらない挨拶を母親とする。

 いつもと違うのは、陸が次にこの家に帰ってくるのは二週間後だということ。

「いってきます…お母さん…あのさ、俺の帰りを待っててね」

「いってらっしゃい。えぇ…待ってるわ」


 陸が郵便局に着くと興奮した拾四がいた

「陸さん!すごいです!!さっきから興奮してて」

 と体全体で感情を表していた。そんな拾四を横に押しやり、一二三局長が来た。

「拾四落ち着きなさい。陸。おはよう。よく眠れたか?」

「いや、やっぱり緊張して…」

「そうだろうなぁ…なにせ異例の仕事だ。…配達で使うものはあそこに用意したよ」

 陸が一二三局長が指した方を見ると真新しい浮遊バイクがあった。配達物である黒い四角の箱型ロボットは後ろの荷台に固定して積まれていた。

「これは…新しいバイク!」

「東京までいくんだ。準備は万全じゃないとなということで区長が、なんとか工場に無理を言って、オンボロじゃない浮遊バイクを用意したと言っていた。と言っても使ってないバイクを整備しただけだかね。それでも、いま使っているオンボロよりはだいぶマシだ。フル充電で24時間運転できる。そのあとは、途中の地区に寄りながら充電していくことになる」

「はい…!」

 その言葉に、陸は不安よりも胸躍る感情が湧きだした。

「あと、これが屋外用のテントだ。そっちは、非常灯。予備のバッテリーに水を入れるタンク…水はもう入っているぞ」

 浮遊バイクに詰め込まれている備品を局長が説明し終わると、陸はさっそく抱えていた食料を積んだ。まだ、コンテナに余裕があった。

「あの…出発する前に、他の部署に挨拶しても良いですか?」

「…あぁ。そこは君に任せるよ。政府からは今日中に出発してほしいとしか言われてない」

「ありがとうございます!それじゃあ、いってきます」

「せんぱーい!お土産話楽しみにしていますー!」

 局長と拾四は手を振った。陸は振り返り、手を挙げた。


 陸が寄ったのは、水葬場だ。

 急に陸が来たことに百は驚いた顔をした。

 地区10に行くのでしばらく陸はいないということを伝えると寂しそうな顔した。

「そ、そ、そうなんだ…さ、さびしくなるけど…ぶ、ぶ無事に帰ってきてね」

「あぁ…あの百…お願いがあるんだ…もし…お母さんがその間に…亡くなることがあったら、お前に送ってほしい…ほんとはそんなこと考えたくないんだけど…心配でさ…電脳通話で連絡してくれると助かる」

「え…ぼ。ぼ、ぼくでいいの?」

「あぁ…お願いだ」

 その言葉に、百は目を丸くしたあと、嬉しそうな寂しそうな顔をしたあと

「わ、わかった。ろ、陸のお母さんはぼ、僕が見送るよ。で、電脳通話も長いのはできないけど、陸にするよ」

「ありがとう」

 安心したように陸は笑った。じわりと滲みそうになる視界を無視する。

「じゃあ、いってくる」

「い、い。いってらっしゃい。陸」


 陸は浮遊バイクで浮く。この地区の端まで飛ぶ。空は相変わらず灰色だ。

「いつもはバッテリーが切れるからしないけど」

 そういって、陸はどんどん高度を上げた。地区が一望できるほどに高く上がった。

 陸の眼下に広がる、綺麗に五目上に整列されたドーム型の建物。さらに奥の方には風車の森が見える。その奥には大きな火山がある。

「しばらくの間、さよならだ。地区89!いや、ここはかっこよく…鹿って言った方が雰囲気でるか!!!」

 そう陸は叫んだ。


 陸の配達の旅が始まる。


※注釈

 地区の外:基本的に人間は地区外から出ない。禁止はしていないので、出ようと思えば、いつでも出れる。ときどき飛び出す人間がいるらしい。

 

 浮遊バイク:読んで字のごとく、浮いてるバイク。地区に数台しかない。生産する工場はあるが、ほとんど新品を作ることはない。基本的に修理して使う。乗り物は貴重なもの。電気で動く。


 シアターイヤホン:脳の映像処理を補助する装置。陸の母親が愛用している。引退した人達が無制限の理由は、脳が老化しており、あまりデータベースで娯楽を見れない。


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