37. 最後の時まで──
「ハァアアアッ!」
俺は裂帛の気合と共に、激しく燃え盛る大剣を振り下ろす。
キンッ、と何かを斬る感触。
その直後、迫りくる灼熱の炎が左右に断たれ──霧散した。
「そんな、私の力、が……斬られただと……!?」
シェーラはひどく狼狽したように、一歩後ずさる。
あり得ないと、そう呟いた彼女の声は僅かに震えていた。
「シェェェエラァァァアアアアアア!」
地を砕くほどの勢いで走り出し、俺はシェーラに肉薄する。
──軽い。
自分でも驚くほどに身軽で、力が体に馴染むのを感じた。
「甘い、甘い甘い甘い! それだけの力で私に敵うと思ったか──アッシュ!」
シェーラは吼えた。
華奢な体からは想像出来ない腕力で、一撃を真正面から受け止める。
「その力……やはり貴様は私の予想通りに動いたなぁ! 一度、力を知ってしまったら簡単に力を求めるようになる。──くははっ、貴様はやはり人間だったようだ! あいつらと同じ、ただ欲を求めるだけの卑しい人間だ!」
懐に入り込まれ、掌底を突き出される。
たたらを踏んだ隙にシェーラは剣を構え直し、脇腹を抉った。
「っ、ぐ! そいつらと同じにするんじゃ、ねぇ!」
次の攻撃を弾き、シェーラの体勢が崩れる。
「ラァ!」
初めて切っ先がシェーラの肉体に届いた。
だが、それは戦いの勝敗を分ける決定打にはならず、彼女の胸元を浅く斬りつけただけに過ぎない。
「くくっ、くはっ! 私に傷を……これが、痛みか。これが苦しみか……! 長く忘れていた、久方ぶりの感覚だ。──良い。良いなぁ。これこそが命の奪い合いだ!」
痛みを感じても尚、シェーラは止まらない。
どちらかが倒れるまで、殺し合いは終わらない。
「貴様の覚悟はそんなものか! 貴様の力はその程度か! もっと私に見せてみろ。貴様が無駄だと切り捨てなかった思いを、この私にぶつけてみろ!」
「そんなに破滅がお望みなら、やってやるよ。シェェエエエエラアアアアア!」
「フハハハッ! それだ! それこそが私の望んだ勇者だ!」
赤と紅が交差する。
俺達はただ『敵』を倒すことだけを考えていた。
玉座が砕けようと、天井が崩れ落ちようと、壁が破壊されようと……御構い無しに目の前の敵を倒すべく剣を振るう。一瞬でも止まれば首を持っていかれる。
──力が欲しい。
今だけは、この女を倒すだけの力を──もっと!
「シェエエエエエエエエラァアアアアア!!」
「っ、チィ!」
剣を弾く、ドレスを斬り裂く、距離を詰める、彼女に触れた。
死角からの膝蹴りを喰らい、俺の体は一瞬宙に浮く。その隙にシェーラは飛び退いて距離を離し、火を無差別に放出する。
「アアアアア──アアアアアアア──ッ!」
恐れはない。剣を正面に構えて走り出し、一直線にシェーラの元へ辿り着く。その喉元に喰らい付こうと必死に剣を振るい、俺は────
一閃。
全身全霊を込めた一撃は、彼女の胸を大きく斬り裂いた。
「──、────っ、く、ははっ…………」
どさりと、シェーラの体は地に沈んだ。
花が咲くように、彼女を中心に真っ赤な液体が広がる。
「まさか、わたしが……敗れるとは、なぁ──」
虚ろに視線を彷徨わせ、シェーラは震える声で小さく呟く。
負けたというのに、その体からは今も命が零れ落ちているというのに、彼女は笑顔を絶やさない。まるでこうなることを望んでいたように、唇の両端を吊り上げている。
「はぁ、はぁ……! はぁ、くっ……、……はぁ、はぁ……」
対して、俺は満身創痍だった。
勝ったとわかった瞬間、体が鉛のように重くなった。限界まで引き出した力の代償が、一気に襲いかかって来たのだ。以前に味わったような疲労感とは比べものにならない。全身から何もかもが抜け落ちたような感覚だ。
「俺の、勝ちだ……」
起き上がる様子のないシェーラを見て、勝ちを確信した。
いつもならば「残念だったな」と、何てことなく起き上がってきそうなものだが、その予想とは裏腹に、彼女はふっと目を伏せる。
「……あぁ、私の負けだ。もうじき、私は死ぬだろう。…………ハッ。生まれて初めての敗北だったが……なんだ。案外、気分は良いものだな」
ははっ、と愉快そうに笑うシェーラ。
その度に血が吹き出し、彼女の体を赤く染めていく。
「シェーラ……俺は、お前を絶対に許さない」
「……………………そうか」
「そうするだけの理由があったとしても、お前は沢山の人間を殺した。罪の無い人までを巻き込んだことは絶対に許せない」
シェーラは何も言わない。
ただ静かに、目を瞑って俺の言葉を聞いている。
「──でも、お前は、俺に自由を与えてくれた」
シェーラに目を付けられ、焼かれていなければ俺は──今もあのクズ親父のところで不自由な生活を送っていただろう。
何もかもを滅茶苦茶にされた人生だったが、あの小さな世界から連れ出してくれたのは、他でもない火の女王様だった。
「…………はっ……驕りも、良いところよなぁ……わたしは、私のためだけに貴様を利用した。その報いを今、受けただけのこと、よ」
「それでも、多少の感謝はしていいだろ?」
「……ふんっ、勝手にしろ。恩を仇で返す従者なんぞ、私には、手に……負えん」
──ああ、そろそろ終いにしよう。
シェーラはそう呟き、ゆっくりと両手を天に掲げた。
「お姉、さま……わたしは、貴女の元へ行けるでしょうか……罪に塗れたこの身でも、愛しい貴女の元へ……いきたい……なぁ…………、────────」
シェーラの体が、徐々に崩れていく。
それは指先から始まり、肘に到達して──やがては真っ白な灰に散った。
最後の時まで笑みを絶やさなかった。
この結末が、きっと彼女が真に望んでいたものなのだろう。
「……結局、俺はお前の思い通りに動いたってわけか……」
最初から最後まで、本当に気に食わない奴だった。
常に先のことを見越していて、こちらの思うことなんて何でもお見通しだと、どのような時でも余裕の笑みを崩さなかったシェーラ。
あれは本当の『彼女』ではなく、彼女自身も己を偽るために生み出した『女王』の姿だったのだろう。
「…………帰ろう」
振り返り、笑いかける。
何はともあれ、全てが終わった。
このイルフレイムはようやく、本当の意味で眠れるのだ。
「……ああ」
リーゼロッテは何か言いたげにしていたが、静かに頷いてくれた。
こうして俺達は、『灰都イルフレイム』を後にした。
もう二度と、ここには来ないのだとわかり、少しだけ……寂しさを覚えた。
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