32. 幼き日の街並み


 シェーラ・レ・フレイム。当時、4歳。


 彼女は気弱で臆病な少女だった。

 元々、人との交流が得意ではなかったシェーラの両親が早くに他界し、更に塞ぎ込むようになった彼女は、歳の離れた姉の後ろに隠れ、ぴったりと後を付いて回っていた。



「シェーラ」


 少女は姉が大好きだった。

 どんな時も優しい微笑みを自分に向けてくれる彼女を、誰よりも慕っていた。



「シェーラ、こっちにいらっしゃい」


 手招きされ、シェーラはまだ慣れないヒールに苦戦しながら、ひょこひょこと姉の近くまで歩いた。姉のドレスを掴み、ギュッと抱く。にぱぁ、と屈託のない笑みを浮かべ、見上げるシェーラに、姉はまた微笑みを返してくれた。それを見るだけで、シェーラの心はポカポカと暖かくなる。


「ふふっ、よく出来ました」


 不意に、体が宙に浮いた。

 姉がシェーラの両脇を掴み、持ち上げたのだ。


「わぁ……!」


 二人が居たのは、王城のテラスだ。


 世界に灯った火を中心に広がる建物と、そこに行き交う人の賑わいを一望出来る場所。


 眼下に広がる景色に、まだ幼い少女は目を輝かせる。お城の中で閉じ篭っていた彼女にとって、皆が当たり前に暮らしているこの風景さえも、憧れた世界のように映った。


「しゅごい! しゅごい!」


「ふふっ、綺麗?」


「うんっ! シェーラ、これしゅき!」


 くすくすと、姉は笑う。


「……ここが私達の守る国よ」


「まもる?」


「ええ、私達はここに住む人達を守る役目があるの。お父様やお母様の語り継いだこの国の歴史を、永遠に継いでいくの──それが火継の女王である私の役目」


「…………?」


「ごめんなさい。まだシェーラには早かったわね」



 ──イルミナ・レ・フレイム。

 18歳の彼女は『火継』に選ばれ、若くして国の治安を守る女王となった。



「シェーラ! おねえちゃん、だいしゅき!」


 そんな姉が大好きだから頑張ってほしいし、同時に無理もしてほしくない。

 それらをどうやって言葉にしたら良いのか、まだわかっていないシェーラは、代わりに姉の頬にキスを落とし、へにゃりと無邪気に笑う。


「……くすっ、ありがとう。私も大好きよ」


 割れ物を扱うように、シェーラの体はゆっくりと降ろされる。


 小さな彼女が爪先立ちをしても、先程のような光景は見えない。

 不満げに姉の方を見上げると、また今度ねとお預けを食らってしまう。


「お利口さんにしていたら、明日も見せてあげるわ」


「ほんとっ!?」


「ええ、約束よ」


 これは毎日の習慣となる。

 何かあるごとに外の景色を見たいとシェーラが言い、その度に目を輝かせる。


 約束をしてから何年と時が経っても、習慣はずっと続いている。日が変わるごとに少しずつ変化して行く街の景色を見るのは、何年経っても飽きない。


 何より、姉と一緒の時間を過ごせることが、シェーラは嬉しかったのだ。




 ──その日も、そうなるはずだった。




「おねえちゃん! はやく、はやく!」


「はいはい。そんなに急いでも街は逃げませんよー」


 手を繋ぎ、二人は広い廊下を歩く。


「──イルミナ様」


 そんな彼女達に近づく影が複数。

 姉の臣下である男だ。いつも何かを企んでいるような目で、ジロジロとこちらを見てくる。シェーラはこの男達が苦手だった。


「どうしました? 今日の予定は、もう何も入っていなかったはずですが」


「貴女様に、火の力を与えて欲しいと、民からの声が上がっております」


「……つい先週も、引き出したばかりですが?」


「ええ。ですが、あれは単なる一時凌ぎでしかありません」

「今も苦しんでいる民がいるのです」

「イルミナ様。どうか、お願いいたします」


 臣下達は一斉に話し始めた。

 無駄に大きな声で騒ぎ立てるものだから、見回りの騎士達が集まってしまった。


 ここで火を使うことを拒否すれば、女王は民の力になってくれない人だと思われてしまう。

 女王としてまだ完全に認められていない今、亀裂が入るのは避けたい。


「…………わかり、ました」


「おねえちゃん」


 シェーラはまだ世間のことを何もわかっていない少女だが、姉のことは誰よりも理解していた。彼女がもうすでに限界で、時々苦しそうにしていることも、夜な夜な呻き声を上げていることも、全て知っていた。


「大丈夫よ、私は大丈夫……」


 もうやめてと、そう言いたかった。


 だが姉は心優しき女王だ。


 自分だけが苦しいからと休むことは、彼女自身が決して許しはしない。その分、臣下達が堕落を貪るようになっていても、自分が頑張らなければと全てを背負いこんでしまうのだ。


「ぅ、わぁぁぁん! ああああああん!」


 シェーラに出来たのは、泣くことだけだ。

 それほどまでに彼女はか弱く、何の力も持たない弱者であった。


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