21. 灰都の真実


「はぁ、はぁ……!」


 リーゼロッテが地面に仰向けになって倒れ、荒い呼吸を繰り返している。

 つい二人して火がついてしまい、お互いに本気で競争した結果、ちょっと限界を超えてやりすぎてしまったようだ。流石に申し訳ないことをしたと、宿を出る時にアンナから貰った水とタオルを差し出す。


「大丈夫か?」


 返事はない。言葉にするだけの余裕も消費してしまったようだ。


「ほら、ゆっくり飲め」


 仕方ないと注ぎ口を運び、リーゼロッテの口に付ける。

 彼女が溺れないように少しずつ水を流しながら、タオルで彼女の顔についた汗を拭き取る。過保護すぎるかもしれないが、俺が調子に乗って彼女を煽ったばかりにこうなってしまったんだ。これくらいはさせてほしい。


「……はぁ……んっ、もう、大丈夫だ……ありがとう」


 しばらくして、ようやく動けるまでに回復したリーゼロッテは、ゆっくりと体を起こし、俺の持つ水筒とタオルを受け取った。


「私としたことが、少々はしゃぎ過ぎてしまったな……結果、このような体たらくを見せてしまうとは、自分が情けない」


「いや、俺が無理させちゃったのが悪い。……今日はもう終わりにするか? 無理だけはしないでくれ」


 これ以上無理をして体を壊されたら、こちらが申し訳なくなってしまう。


「……いや、問題ない。ちょっと休めばまた動けるようになる」


 それに、と彼女は言葉を続けた。


「私に付いて来られるどころか、息一つも乱さない。そんな奴は初めてだ。……これでも私は、それなりに己を鍛えてきたと思っていたのだがな。まだ上がいるとわかって嬉しいのだ。……だから、お前と居るのは、その……とても楽しい」


 屈託のない笑顔。

 素直な好意を受け取ったのは初めてで、俺は顔が赤くなるのを感じた。


「照れているのか? 案外、そういうのに耐性は無いのだな」


「うるさい。リーゼみたいな友達が出来たのも初めてだと言っただろう? 人と話すのだって……そうだな。ほぼ初めてだ」


 正直なところ、正体を隠して誰かと仲良くなれるのかと不安だった。

 だがら、こうしてリーゼロッテと友達という関係になれたことは、本当に嬉しい。



「……なぁ、リーゼは灰人のこと、どう思っている?」


 我ながら急な話題転換だとは思う。


「どうしたのだ、藪から棒に」


 彼女も変だと思ったのか、こちらを振り向いて首を傾げた。


「いや、気になって……俺達は騎士になっただろう? これから灰人と戦う機会が増えるだろうから、今の内に他人の意見を聞いておきたいと思ってさ」


「……ならば、まずは私より先にアッシュの意見が聞きたいな」


「俺の?」


「まず、貴方が灰人に対してどのように考えているのかを知りたい。それを踏まえた上で、私の意見もあった方が色々と考えがつくだろう?」


 改めて灰人のことを聞かれると悩む。

 奴らに対して色々な思いがあり、一言で言い表すのが難しい。


 ──だが、言えることが一つだけある。


「敵だ」


 まだ俺は灰人のことを詳しく知らない。

 それでも、これだけは確実に言えることだ。


「あいつらは火を求めて何百人、何千人もの人を殺す。都市の火が奪われると人はそこで生きられない。それを奪おうとしているんだから、奴らは俺達の敵だ」


 次々と出てくる言葉を、リーゼロッテは静かに聞いていた。途中で口を挟むことなく、腕を組み、真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。


「なるほど、な……確かに、アッシュの言葉は正しいのかもしれない。それが一般人の考えでもあるのだからな。────だが、私は少し違うと思うのだ」


 リーゼロッテは俺の意見を肯定しながらも、それを否定した。

 だったら一体何なんだと思い、次に出てくる言葉を待っていると……彼女は全く予想していなかった言葉を口にした。




「あれは『人の犯した罪』だ」




 それはどういう意味だ。

 リーゼロッテの言っていることがわからずいると、苦笑を返される。


「まぁ、そのような反応が来るだろうな……だが、私はそう思うのだ」


「あいつらが現れたのは、人間が今も苦しんでいるのは、他でもない人間の罪だとでも言うのか?」


 人間が犯した罪によって、人間が苦しんでいる?

 それでは、灰人の存在を肯定しているようなものではないか。


「我がフレアガルド家は、古い歴史のある家系でな。今は亡き『イルフレイム』の女王に仕える騎士でもあったらしい」


 そのため当時のことも少しは言い伝えられていると、彼女は言う。


 火に関した家名だということは理解していたが、まさかイルフレイム時代から続く家系だとは思っていなかった。だからあの時、リーゼロッテの家名を聞いた時、イルシェーラの様子がおかしかったのかと、今になってようやく納得がついた。


「人々は火を囲い、崇め、その力を欲した。この話は有名だろう?」


「……そうだな」


 火の力は強大で、絶対なものだ。


 だからこそ火の女王はそれを我が物にしようとした。

 守るべき民を捨て、力に溺れ狂ったイルフレイムの女王。


「当時、人々は火の力を貪欲に欲した。火とその女王があれば何でも叶うと思い、ただの平穏では満足出来なくなった。


 火の力を直接扱えるのは、『火継』である女王のみ。だから人々は女王に欲をぶつけ、彼女だけに負担を背負わせたのだ。心優しき女王はその期待に応えようと、更なる力をその身に取り込み続けた」


「だから女王は、全ての火を奪ったのか?」


「少し、違うな。祖先の話では、女王は徐々に狂っていったようだ。

 たとえ火に選ばれた『火継の女王』とは言え、人の身であることには変わりない。許容量を超えた彼女は、次第に過激な行動を取るようになり、最後はイルフレイムを焼いた。……それが、イルフレイムが滅びた本当の理由だ」


 人間が欲望に溺れたから、女王は狂った。民の言葉に応えようと力を取り込み過ぎた結果、最後は自分さえも制御出来ずに王都は崩壊した。

 話で言い聞かされたものとは全く異なる。欲望のままに暴走した女王が王都を滅ぼしたのではなく、人間のために力を取り込んだために、女王は自我を失った……?




『己可愛さに王都を捨てた盗人風情が!

 過去と真実を捻じ曲げ、あくまでも自分達が被害者であるとほざく為政者どもが!』




 ふと、イルシェーラの言葉を思い出した。

 あの時の彼女の怒りは本物だった。


 もし、あの言葉が事実だったなら。

 もし、あの怒りが本物だったなら。


 彼女は一体、どれだけの苦しみを背負ってきたのだろう。

 彼女は一体、どれだけの悲しみを味わってきたのだろう。


 民の期待に応えようと火を取り込み、必死に彼らを支えようとした挙句、彼らから簡単に見捨てられ、王都ごと深遠に封印された彼女の怒りは──計り知れない。


「祖先は悔やんでいた。本来は守るべき女王に剣を突き立てたことを。彼女を見捨て、王都すらも捨てたことを。最後まで彼女の騎士として支えられなかったことを」



『──貴様はこれから灰の騎士を名乗るがいい』


 だから彼女は騎士を望んでいた。

 自分を見捨てない忠実な騎士を、無意識に欲していたのか。



「まだ彼女のことを救えたかもしれない。その可能性を、祖先はひと時の感情で拒絶してしまったのだ。苦しむ彼女の願いを仇で返した我が祖先は、憎まれて然るべき存在だ」


「だから、罪なのか?」


「女王を見捨て、救おうとも考えず、地上で平和に暮らす我々に残された、女王からの呪い。それが灰人だと思っている」


「…………まさか、諦めるなんて言わないよな?」


 自分達が悪いと自覚している彼女は、灰人を前にして戦えるのか。

 罪を受け入れるために騎士になり、諦めてしまうのではないか。


 ──それが心配になった。


「死を受け入れることが罪ではない。女王が最後に残した罪が灰人であるならば、私はこの身が果てるまで抗おう。この時代に取り残された人達までを無責任に置いて逝くことは、私には出来ないからな」


 それを聞いて安心した。折角出来た友達だ。

 死ぬとわかっている彼女のことを、応援するなんてしたくない。


「──私は、いつか必ずイルフレイムに辿り着いてみせる」


 それは決して簡単なものではない。

 むしろ不可能だと一蹴されても仕方ない、困難な道だ。


「一族を代表して謝罪するのだ。……謝罪程度で許してくれるほど簡単ではないと思うが、それでも意味があると信じている。女王が、彼女達が少しでも安らかに眠れるよう、私は祈り続けたい」


「彼女、たち……?」


 リーゼロッテの言葉に、俺は引っ掛かりを覚える。

 灰都『イルフレイム』には現在、一人しか残っていない。


 最初の火を継ぐ女王──イルシェーラ・レ・フレイム。


 全ての時間軸から取り残された彼女は一人、破滅の時を待っている。

 それ以外の人間は彼女を裏切り、彼女と、彼女が座する王都を捨てた……はずだ。



「人間は女王を残して、全員が逃げたんじゃないのか?」


 イルフレイムが滅びる時、騒動で命を落とした者は多いだろう。

 だが、リーゼロッテの言う『彼女達』が、それを指しているとは思えなかった。


「王都に住む人間は逃げた──だが、ただ一人だけ、最後まで彼女に寄り添い続けたお方が居たらしい」


 ──ドクンッ、と心臓が強く脈打った。

 それと同時に、脳内にイルシェーラの言葉が再生される。


『絶対に許しはしない。これは代償だ。これは報いだ。

 ……私達は奴らに苦しめられた、大切なものを、失った』


 もしそれが彼女にとっての『大切なもの』ならば、その人はもう──。


「それは、誰なんだ……?」


 あのイルシェーラが唯一、最後まで手放さなかった人物。

 彼女がそこまで大切に思っていたのは、誰なのか。


「火継の女王イルミナ様の妹君──シェーラ・レ・フレイム様だ」


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