22. 終わりの警報
朝練が終わり、俺は宿に戻った。
広間の方には他の宿泊客が降りて来ていて、それぞれが朝食を食べていた。その中でアンナが忙しそうに駆け回り、料理を運んでいる。
一瞬、彼女はこちらに気が付いたように視線を向けて来たが、話しかけられる前に俺は自分の部屋へと帰った。
「イルシェーラ。話がある」
昨日から彼女の姿は見えなかった。
リーゼロッテと朝練をしている最中も、一切姿を現さなかった。
今も彼女の姿は見えないが、あちらは俺の動向や心情を好きに覗ける。だから、こうして呼び出せば応じてくれると思った。
『……従者が主人を呼び出すとは、無礼者め』
しばらくして彼女は俺の前に現れた。
体は半透明で、後ろの背景が微かに見えている。これは所謂、イルシェーラの思念体。
本体は未だ灰都の中にあり、本物の彼女はあの場から動くことが出来ない。
『話とはなんだ。つまらぬものであったならば、その体を』
「ここでは誰かに聞かれるかもしれない。外に行こう」
『…………ふむ。その必要は無い』
イルシェーラは指を鳴らす。
──ブゥン、という鈍い音が聞こえたと思えば、周囲の空気が変化した。
『この空間を隔離した。いかに大きな音を立てようと、決して外には漏れない』
人の手では絶対に不可能な技を、至極当たり前のようにやってしまう。
流石はイルシェーラだと、思わず苦笑してしまった。
「相変わらず、一人だけ規格外だな」
『当然であろう? 私は火継の女王だ。これくらいのことは、朝飯前──』
「なぁ、イルシェーラ」
不敬だと文句を言われるのは重々承知の上で、答えを急ぐ。
俺の予想通りに、言葉の途中で遮られたことにムッと表情を顰めるイルシェーラだったが、案外大人しく次の言葉を待ってくれた。そんな彼女の態度に甘え、俺は口を開いた。
「──お前は、どっちだ?」
一瞬の沈黙。
だが、すぐに彼女は鼻で笑った。
『どっち、とは……変なことを聞くものだな。私はイルシェーラ・レ・フレイム。ただ一人の火継の女王にして、人間を』
「はぐらかすな。答えてくれ」
イルシェーラを真っ直ぐに見つめる。
すると、彼女はふっと笑顔を伏せた。
『フレアガルドの小娘か?』
頷くと、舌打ちで返された。
イライラしているのか腕を組み、組んでいた足が組み直される。
『……全く、あの小娘……余計なことをしてくれるな』
渋面を作り、イルシェーラは忌々しげに呟いた。
その言葉の中には、試験の時に感じた『殺気』が僅かに含まれている。
放っておいたらこのままリーゼロッテを、いや──フレアガルドの家系を滅ぼしに行きそうなほど濃厚で、同時に静かだ。灰都で見せた激情とは全く異なる彼女だからこそ、本気で怒りを感じているのだと理解してしまう。
「おい、イルシェー」
『余興に遊んでやろうかと思っていたが──終いだ』
何をと言う前に、都市中にけたたましい警報の音が鳴り響いた。
街に出歩いていた住民はそれに驚き、商業区の客も店員も、見回りの騎士も……老若男女の全てが慌ただしく動き出す。逃げ惑う人々に突き飛ばされた子供が泣き、老婆が足をもたつかせて地面に転び、ありとあらゆる場所で怒号が飛び交う。
都市は一瞬にして、混乱の渦が巻き起こっていた。
「アッシュさん! アッシュさん起きていますか!?」
部屋の扉がドンドンと叩かれ、強制的に開かれる。
入って来たのは、血相を変えたアンナだ。
「避難してください! 今すぐ、早く!」
一体何があったんだ。どうしてそんなに慌てている。この警報の音は、なんだ。
沢山の疑問が頭の中で巡り、思考が上手く纏まらない。
「お父さん達は他のお客様を連れて行きました。後はアッシュさんだけです!」
そうしている間にアンナは俺の手を掴み、俺は力づくで部屋の外まで引っ張り出された。小さな体からは考えられない腕力だ。
「ほら、急ぎますよ!」
未だ引っ張られる状態で階段を降りる。
先程まで宿泊客で賑わっていた広間は、もう誰も残っていない。
テーブルの上は散らかったままで、酷いところは椅子やテーブルまでもがひっくり返り、料理が床に散らばっていた。皿の破片も飛び散り、まるで乱闘騒ぎでもあったかのような変わりようとなっている。
「あ、アンナ……一体、どうしたって言うんだ?」
「どうしてって、アッシュさんは知らないんですか!?」
焦ったようなアンナの声。
彼女はこちらを振り向き、口を開いた。
「灰人の侵攻です! この都市は、間も無く戦場になります!」
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