18. 戸惑い


 では、とアンナは部屋を出て行った。

 彼女も店の手伝いで忙しいのだろう。急なことなのに融通を利かせてくれてありがたいと思いながら、俺はベッドにどっかりと座り込んだ。


『なんだ、お疲れか?』


 その上をくるくると飛び回るイルシェーラ。

 こいつはどこに居ても自由だなと思いながら、首を振る。


「疲れは、ないな……不思議と」


『それはそうだろう。前にも言ったと思うが、使徒の体は疲れを感じない。食べることや眠ることだって不要だ。昼夜関係なく動き続ける我の兵士だ』


 改めて聞くと、本当に無茶苦茶な連中だ。


 夜に大群で都市を攻めて来たら、それだけでも人間側は厳しい戦いになる。

 そうならないために何人かの騎士が交代制で壁の外を監視しているが、やはり絶対に安全だとは言えないのが、現状だ。


『何はともあれ、貴様は晴れて騎士になったのだな。おめでとうと祝辞を贈ってやる』


「それはどうも。……で、なんだよ藪から棒に」


『他の灰の使徒とは違い、自我を持っている。亡者のように火を求めて徘徊するのではなく、心に確かな灯火を得ている。もはや貴様のことを使徒とは呼べぬ……と思ってな』


「だったら、俺は何だって言うんだ?」


『…………ふむ』


 腕を組み、顎に手を置いて考えるイルシェーラ。


『──貴様はこれから灰の騎士を名乗るがいい。今の貴様にぴったりだ』


 急に与えられた称号に「はぁ?」と声を上げる。


「何で俺がお前の騎士にならなきゃいけないんだ」


『良いではないか。私の隣は空いているぞ? 今なら大歓迎だ』


「嫌だっての。言っておくが、お前に忠義の剣を捧げることは絶対に無いからな」


『おおっ、これは困ったぞ。早速、忠義に背かれてしまった。自分の騎士に剣を向けられたのは久しい…………それに、最速記録を更新だ。もはや私が世界記録保持者だと言ってもいいのではないか?』


「誇らしげに言うな。調子狂う」


『貴様が今一度、私に剣を捧げればいいだけの話だ』


「それだけはあり得ない」


 何度も言っていると思うが、俺はイルシェーラが嫌いだ。大嫌いだ。

 自分の望みのために多くを犠牲にしようと考え、しかもそのことを全く悪いとは思っていない。そんな奴にどうして忠義を尽くせるのだろうか。


『私の方も何度も言っているではないか。人間どもが私に許しを乞い、首を垂れて全てを捧げると誓えば、その命は助けてやる。そうすれば奴らを灰都に招き、偽りではない本物の平和を与えてやる、と』


「招くと言っても、どうやって灰都に招くんだよ。今もあそこは深遠の中に封印されているだろう?」


『簡単な話だ。お前にやったように火で燃やし、灰の使徒として作り出す。奴らは永遠の命と平和と手に入れ、未来永劫、繁栄を築く。地上からの手出しは不可能。誰にも邪魔されぬ王国の完成だ』


「ふざけるな。それこそが偽りの平和だろう」


 話にならない。

 こいつが理想を話す時は、いつもそうだ。


『偽りな訳があるか。永遠の命というものは、命に限りある者から見れば永遠の安息と同じこと……。その上、私が統治する王都で暮らせるのだ。平和以外の何物でもない』



 ああ、そうだ。

 こいつはそういう奴だった。


 結局は自分のことしか考えてなくて、自分こそが正しいと思っている。他人がどう思っているかは一切気にせず、己が野望のために沢山の犠牲を出し続けるような女だ。



「改めて決心したよ。俺は、あの場所には戻らない」


『……ふむ?』


「人の苦労を知らない奴は、皆から望まれるような王様にはなれない。少なくとも俺は絶対に、お前の統治する場所には住みたくないね」


『言ってくれるではないか、アッシュよ。私が人の心を理解していないだと?』


「じゃなければ、人を犠牲にしてまで自分の王国を復活させようとは考えないだろ」


『残念ながら、逆だぞ』


 何を、という前に、彼女は俺の前に降り立ち、言葉を続けた。


『私は全ての人というものを理解している。喜怒哀楽、美しさ、欲望、渇望。人の綺麗な部分も醜い部分も、全てを理解した上で──奴らは必要無いと判断した』


 全てを体験してきた。全てを見てきた。人間が織りなす喜劇と悲劇。

 その繰り返しを飽きるほどに見続けてきたと、彼女は言った。


「っ、そん、なの……酷いだろ……!」


『酷い? 何がだ?』


「全てを理解した上で人を殺す!? 中には良い人だっていただろう! そんな人達も殺すって言うのかよ!」


『優しいからこそ、美しいからこそ、その者達は人間を裏切れない。心の中で揺れ動きはしても、最後は同じ人間を愛し、同じ人間に味方する。それを信じれば裏切られ、最後は信じたこちらが傷付き、絶望する。所詮は偽善よ。……奴らは、やはり敵なのだ』



 イルシェーラの顔に、一瞬だけ影が差した。

 どうして……!



「どうして、っ……お前がそんな顔をする!」


 一度飛び出した言葉は、そう簡単に引っ込められない。


「お前は加害者だろう。人間を殺す灰人を作り出した元凶だろう。血も涙もない殺人鬼と同じだ。なのに、どうしてそんな悲しそうな顔をするんだ……!」


 叫ぶように吐き出した言葉。


 それに対し、彼女は小さく笑った。自分勝手で、人を小馬鹿にした態度で、どのような時もその顔に傲慢な笑みを絶やさなかったイルシェーラ。


『私は今、悲しそうな顔をしていたか……?』


 だが、今の彼女はどうだ。

 今にも消えそうなほどに儚く、弱々しい。まるで彼女と瓜二つの『誰か』がそこにいるかのようで……俺は困惑を隠せず、彼女の言葉に頷いた。


『……そうか…………良かった』


 そう言ったイルシェーラの真意がわからず、どういうことだと声を開く。

 だが、声に出すより早く、彼女は姿を消した。


「待っ──、くそっ!」


 伸ばした手は行き場を失い、苛立たしげにベッドを殴りつけた。


「なんだよ、何なんだよ……!」


 調子が狂う。

 意味がわからない。


「何が、『良かった』だ……どうしてお前が、それで笑えるんだ」




 イルシェーラは冷酷で残忍な女だ。


 血も涙も無く、ただ自分の望みのために大勢の人を殺す。

 火の力を自分だけのものにしようと、人々の生命線となる火を奪おうと、自らが作り出した『灰の使徒』を動かす。何千年も昔に『彼女』が犯した大罪を、再び引き起こそうと企んでいる。



 ──だから俺は、彼女を嫌いになれていた。



 絶対の敵だと思っていたから、俺は彼女の敵になれた。

 なのに、そんな悲しそうな顔をされたら、俺は……。



「っ……!」


 ベッドに横になり、毛布を頭まで被る。

 今はもう何も考えたくないと目を瞑り、俺はその日の終わりを迎えた。


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