7. 与えられた名前


 かくして、俺は自由になった。


 自分を狂わせたイルシェーラの野望を、人を破滅に導こうとする彼女の目的を阻止するために、前へ歩むことを決めた────のだが。




「…………どうして、お前が居る!」


 振り返り、叫ぶ。

 そこには灰を被ったように白い少女、イルシェーラが居た。


『いや、面白そうだったのでな。暇潰しだ』


 何が悪いのだと、彼女はそう言いたげに首を捻った。


「付いてくるなって言っているだろう! 城に帰れ!」


『残念だが本体は城に居る。帰れと言われても困るな』


 新たな目的を抱きつつ、旅立った。

 そんな俺の後ろを、なぜかイルシェーラは追ってきた。


「わかっているのか? 俺はお前の敵なんだぞ」


『私はお前とは違って馬鹿ではない。その程度のことは理解している』


 頑なに同行しようとするイルシェーラ。

 そこで俺は、一つの考えに至る。


「まさか、俺の行動を見て対策を」


 堂々と「お前を邪魔してやる」と言ったのだから、そうさせまいと監視するのは至極当然のことだ。今になって過去の発言を悔やむが、もう遅い。


 イルシェーラを引き剥がすことは叶わない。

 彼女の本体は深遠に封印された灰都の中で、目の前のイルシェーラはただの霊体だ。


『そのようなつまらないことはしない。言ったであろう。これは暇潰しだ。貴様が私に抗う姿を純粋に楽しもうとしているだけなので、こちらは気にせず自由にやるがいい』


 そう言われても、簡単に信じられなかった。


 イルシェーラは確かに嘘を言わないが、真実も口にしない。

 いつも含みのある言い方で言葉を濁し、一度終わった話題には興味を示さない。


『……とにかく貴様は自分のしたいことをしろ。私を楽しませろ』


「最後が一番の理由だろ」


『ふっ……私は娯楽が大好きなのだ。最近は何もかもに飽きてしまってなぁ……ようやく、久しぶりに楽しめそうな男を見つけたのだ。貴様はただ私の────』


 と、そこでイルシェーラの動きが止まった。

 急にどうしたと不思議に思って首を傾げると、彼女はこちらを向いて口を開いた。


『そういえば貴様、名前は何と言う?』


「なんだよ急に」


『いいから名を名乗れ。私ばかりが教えるのは、なんか癪だ』


「……忘れた」


 ぶっきらぼうにそう答えると、『はぁ?』と呆れられた。


『……おいおい、自分の名前なのだから、忘れたということはないだろう? 記憶の封印も解いているはずだぞ? それとも脳味噌が腐ったか?』


「いちいち余計なことを言うな。……長い間、あのクソ野郎からは名前を呼ばれていなかったからな。名前なんて、とっくの昔に忘れたよ」


 自分の名前を思い出せないとわかったのは、いつだったか。

 それすらも思い出せない。




『……ふむ。ならば、私が貴様に名を与えてやろう!』


「はぁ?」


 彼女の口から、驚きの言葉が飛び出した。

 意味がわからないと首を傾げ、後ろを向く。


「なに言ってんだ、急に」


『ずっと貴様では貴様も嫌だろう? というか私が嫌なので名付けてやる。異論は認めないからな。これはすでに決定事項だ』


 本当に傍若無人な奴だと、呆れてしまう。

 だが、今後人として生きていく以上、名前はあった方が良いだろう。名前をくれると言うのならば、それに甘えるのも有りだ。




『貴様の名は、アッシュだ。

 使徒でありながら私を拒絶する、火の無い灰』




 ──貴様に相応しい名前だろう?

 イルシェーラは傲慢に微笑み、俺の名前は『アッシュ』に決まった。


「名前は何だっていいが、火の無い灰って何だ?」


『……ふむ。アッシュは、なぜ灰人どもが火を操るか知っているか?』


「いや、考えたことがないな」


 正しく言うのであれば、考える余裕が無かった。

 自分が生きることに必死で、他のことを考えることをしてこなかった。


『貪欲に知識を求めろ。だから馬鹿なのだ』


「いちいち小言を言わないと死ぬ病気か何かなのか、お前は?」


『喜べ。お前を馬鹿にするのが楽しい』


「喜べるか! ……いいから早く教えてくれよ」


 そろそろイルシェーラの小言にも慣れてきた。


 今後、共に行動することになるのだから、この程度のことには動じないで反応出来るようになりたい。

 そうならなければすぐに話題を逸らされそうになるので、必須科目だ。


『──火を取り込み、力と為す。それが灰の使徒であり、奴らは火を求め彷徨う。奴らに知識は無い。だからこそ本能のままに火のある場所を探すのだよ』


「ん? ……ちょっと待て。それはおかしいだろう」


 灰の使徒が火を求めるのは理解した。

 だが、ならどうして人間も狙われるのか。


「それだと、まるで人間の中に火があると言っているようじゃないか」


 そうでなければ辻褄が合わない。

 人間が使徒に、灰人に狙われ続ける理由にならない。


『あるぞ』


 イルシェーラは、さも当然のように答えた。


『人間の中にも火は宿っている。


 火は様々な形を成す。光や魂、この世界そのものだ』


「……概念のようなものってことか?」


『そうでもあるし、そうでもないと言える。曖昧で面倒臭いのだ、あれは』


「面倒臭いって……あんたは火の女王だろう、一応」


 と、そこで一つの考えに至る。


「なぁ、もしかして俺も、その火の力ってのを使えるのか?」


 人の中にも火は存在するなら、人を殺した自分も他の灰人のように力を使うことが出来るんじゃないか? 灰人を相手にするなら少しでも力が欲しい。それが穢れた力であっても、使えるならば使えるようになりたいと思うのは、当然のことだ。


『…………はぁぁぁ』


 アッシュなりに希望を持った質問。

 返ってきたのは盛大な呆れを含んだ溜め息だった。


『……貴様は馬鹿だろう。いや馬鹿だな。馬鹿め』


「三回も言うな。というか馬鹿じゃない」


『いいや、馬鹿だ。なぜなら貴様、私がどうしてこうも呆れているのか理解していないだろう?』


 ──いや、わかるか。

 アッシュがやったことと言えば、彼女に素朴な質問を投げかけただけだ。


『だから馬鹿なのだ、貴様は』


 こうも馬鹿馬鹿言われ続けていると、流石にイラっとする。


『私は貴様に何と言った? 火の無い灰だと言ったはずだぞ』


「ってことは……俺は力を使えないのか?」


『はぁ……最初からそこまで考えてほしいものだ』


 再び溜め息を吐きつつ、彼女は言葉を続ける。


『アッシュも僅かながら火を取り込んでいるから、いつか使えるようにはなるだろう。……だが、まだ足りない。より多くの人間を殺すか、より質の良い火を取り込まぬ限り、貴様は力を使えないだろうな』


 イルシェーラが提示した方法は、どちらも禁忌だ。


 これ以上、自分の手で誰かを殺したくない。

 人が生き続けるために必要な火を、自分勝手な理由で奪うことは出来ない。


「……力は、諦めるしかないか」


 力を使えたら楽になったかもしれないが、それを得るために誰かを犠牲にすることは出来ない。自分を犠牲にして逃げたクソ野郎父親と同じことだけはしたくない。


『有象無象の人間を殺したところで、そう変わらないと思うがな。あと何人か増えたところで罪の重さが増すわけでもないだろうに……』


「お前のそういうところが嫌いなんだ。誰だって一人の人間だ。有象無象なんかじゃない。あの国に住んでいた人達も、同じ有象無象だって言えるのか?」


『……………………』


「おいどうした。急に黙って」


『…………気に食わないな』


「はぁ? な、なんだよ」


 イルシェーラは急に不機嫌になり、難しい顔を浮かべて腕を組んだ。

 今のどこに機嫌を損ねる原因があったのか、見当も付かない。今までも同じような口論をした。怒るなんて今更だ。




『私が貴様をアッシュと呼ぶようにしているのに、貴様が私のことを名前で呼ばないのが気に食わない!』




「くっだらねぇ……!」


 予想以上にくだらない文句を言われ、その場で叫ぶ。


『くだらなくない。最重要事項だ』


「そんなにかよ」


『そうだ。……さぁ! 私の名を言え。今すぐに!』


 グイッと迫られ、一歩下がった。

 視線を合わせられなくなり、横に逸らす。


『ん、何だ貴様。何故顔を赤くして……ははぁん? 私に迫られ、照れているのか?』


「ち、ちち違うわい!」


『動揺しまくりではないか。かわゆい奴よなぁ。……だが恥ずかしがることはないぞ? 私が美しいのは今更だ。世の中の童貞がそうなるのも仕方ない』


 性格は最悪だが、顔だけは美しい女性だ。

 女慣れしていない俺は、動揺を隠しきれなかった。


 だが、それ以上に不愉快だった。


 何が不愉快かって、それを理由に弄られることが最も不愉快だ……!


「……イルシェーラ。これでいいだろ」


『うむ、アッシュが恥じらう姿、誠に愉快だ……なのだが、ちと物足りないな。シェーラと呼ぶことを許す。呼べ』


「まだやるの!?」


『私は満足するまでやる主義なのだ。ほれ。早く呼んでみろ』


 女性の名前を呼ぶだけでも恥ずかしいのに、愛称で呼べと言うのは酷な話だ。


 ──このまま逃げることは出来る。

 だが、それをすれば『意気地なし』と馬鹿にされるだろう。


「ああ、もうっ……シェーラ! これでいいだろう!」


『うむ。思ったよりどうでもよかったな!』


「はっ倒すぞこの野郎!?」


 イルシェーラに本気で怒りを覚えた。

 ここまで遊んでおいて、どうでもよかったと言われたら誰でもこうなる。


『そう怒るな。こうして誰かに名を呼ばれるのは久方ぶりだ。少しは嬉しかったぞ?』


「っ……!」



 ──その笑顔は卑怯だろう!

 そう叫びたくなるほど、彼女のことが可愛く見えた。


 これは幻覚だ。

 何かの間違いだ。



『んん? 顔だけではなく耳まで赤くなっているではないか。良い良い。そのようなウブなところも可愛いぞ。……おーい、こちらを向かないか。自分の顔が酷いことになっているからと、私の言葉を無視するのは許さぬぞ?』


 彼女の言葉を無視して、歩きだす。

 一人と一体が次の街に到着する間、後ろを振り向くことはなかった。

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