6. 認めない
──さぁ、試練の開始だ!
それが合図だとでも言うように、灰人は地面を蹴って動き出す。
「グルァアアアアアア!!」
剣を振りかざし、力任せにそれを振り払う。
反射神経で地面を転がり、そのすぐ後、頭上すれすれを刃物が横切った。
「っ、話が違うだろ!」
彼女に向かって吠える。
だが、当の本人は何が悪いと首を傾げていた。
『はて? 貴様を自由にするのが約束であっただろう?』
「俺に手出しをしないとも言った……!」
『私からは、との話だったはずだが? 現に、直接手出しはしていないだろう?』
手を出しているのはイルシェーラではなく、灰人だ。
それでも奴に指示を出しているのは、他でもないイルシェーラだ。
『私は嘘をつかない。だが同時に真実も言わない』
一つ学習したなと、彼女は笑う。
「このっ、くそ女!」
『どうとでも言うがいい。全ては、間抜けな貴様が悪いのだからなぁ?』
──彼女の誘いに乗ってしまった。
その選択が全ての間違いだったと気づいた頃には、もう手遅れすぎる。
「チィッ!」
舌打ちを一回。
大きく飛び退き、灰人の一撃を躱す。
「くそっ、どうすれば……!」
相手は灰人だ。
体格は大きな差があり、力も比べものにならない。
そんな相手にどうやって立ち向かえばいい?
『ほら、逃げてばかりでは倒せぬぞ?』
挑発したような声は、イルシェーラのものだ。
彼女は上空を漂い、優雅に俺達の戦いを観戦している。
「ガァ!」
何かないかと考えている間も、灰人は手を緩めない。
ブンブンと考えなしに剣を振り回し、獲物を捉えきれなかった一撃は地を砕く。
──当たったら死ぬ。
受け止めることは不可能なので、避けるしかない。
それが続き、俺はすぐに火の側まで追い詰められた。
「…………くそ、がぁ!」
体を大きく逸らし、横薙ぎの一閃を回避する。
起き上がる反動で勢いを付け、薙ぎ払った状態のままでいる灰人の腹をぶん殴った。
「ッ、ァアアアアアア!!」
ようやく一撃入ったと安心した直後、剣を握っていない方の手で頭を掴まれた。
徐々に奴の手に力が込められ、ギギギッと脳が直接悲鳴を上げる。
体は簡単に持ち上げられ、上手く力が入らない。ジタバタと体を動かして抵抗するも、丸太のように太い腕はビクともしなかった。
『なんだ。もう終わりか?』
失望したような声。
ふざけるなと叫びたかった。
『力を持たぬ貴様がどう足掻いたところで、世界は変えられぬ』
地面に叩きつけられ、肺の中にあった空気が全て外に出る。
何度も咳き込み、ハッと我に返ってすぐに立ち上がろうとしたところで、勢いよく蹴り上げられた。
『今の貴様では我が使徒の一体すら、倒すことは不可能だ』
一瞬、宙に浮く体。
無防備になった腹を、先程のお返しとばかりに殴られ、俺の体は吹き飛ぶ。
『いい加減、現実を見ろ』
ドスン、ドスンと、灰人の足音が近づく。
『我が束縛から逃れ、自由になった?
いいや違う。貴様は自ら死に近づいたのだ』
逃げようとした。
上手く力が入らない。
『なぜ我が抱擁を拒絶する?
なぜ人間などに味方する?』
──死が近づく。
『貴様は過去に一度も救われなかったのだ。唯一の肉親に見放され、利用されただけの哀れで惨めな貴様が、どうして自由になっても人間などを庇う』
灰人は蠢くような低い声で笑う。
獲物を嬲ることが愉快だと言うように。
『奴らは醜い生き物だ。自分だけが満たされるならば、他の全てを犠牲にする汚物だ』
イルシェーラの声が近づく。
地に伏す俺の耳元で囁くように、言葉は続く。
『助けたところで貴様は救われない。幸せにもなれない。再び利用され、ボロボロになるまで使い古された後、無情に捨てられるだけだ』
──そんな未来に何の得がある?
『私は寛大だ。
一度の過ちならば許してやろう』
ピタッと、灰人の動きが止まった。
『今一度、私のものとなれ』
そこには灰を被ったように白く美しい女性が立っていた。
彼女は慈愛に満ちた微笑みでこちらを見下ろし、手を伸ばしている。
『再び断るのであれば、次は無い。
世界中の使徒がここに集い、地の果てまで追い詰め、必ず貴様を殺すだろう』
灰人は剣を持ち上げ、顔のすぐ側に突き刺さした。
この返答次第では、次に突き刺さる場所はきっと……。
「────ふっ、ざけんなぁぁぁ!!!!!」
灰人が再び動き出す前に剣を奪い取り、力任せに薙ぎ払った。
『おおっ?』
イルシェーラは霊体のため、物理攻撃は体を通り過ぎる。
延長線上にいた灰人も咄嗟に反応したが、逃げ切ることは叶わず巻き込まれ、その巨体は上下二つに断たれた──が、上下に分かれてもなお、灰人は動いていた。
さっさと死ねと思いを込め、灰人の頭部を突き刺す。
ガキンッ、と固いものが砕ける音がして、灰人の体は崩壊する。
それまで確かにそこにあった巨体は灰となり、吹き抜けた風に消えていった。
『く、くくっ、あの状況で抵抗するとはなぁ……』
自分の使徒を倒されたにも関わらず、彼女は愉快そうに身を悶えさせていた。
『見事試練を乗り越えた者には、褒美を与えるのが世の道理よな』
よかろうと、イルシェーラは宙を舞った。
『試練はこれにて終了だ。
貴様はこれより私の掌から零れ落ち、真の意味で自由になった』
「……………………」
『おっと、それは信じられていない顔だな』
「当たり前だろうが!」
ここまで好き勝手にやって、これ以上信じろと言う方が無理な話だ。
怒りの感情のままに意見を述べたら、不服そうな顔をされた。
『だが、確かにこれで終わりではないぞ』
「さっきみたいに、灰人をけしかけてくるのか?」
『私の敵となるのだから、その未来は避けられないだろう。
……むしろ、今以上に険しい道が貴様の前に立ちはだかると思え』
灰人を一体倒せた程度で満足は出来ない。
イルシェーラは使徒を無数に作り出し、今も世界は奴らに脅かされている。
『さぁ、行くがいい。
貴様の覚悟をこの私に示してみせろ!』
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