第12話 推すってどういうことなんですか?

「いいわ、じゃ……」

 そういって阿川は書いた数字に線を引き、今度は8と書いた。

「もう一声」

「なによそれ」

「もうちょっと売れると思います」

「だめよ」

 阿川が首を回した。肩が凝っているらしい。

「これ、買切商品じゃない。売れるかどうかわからないものを注文することはできないわ」

 この店がいかに大変か、理解できていないかもしれないけど……と阿川が店の経営状況を語ろうとしたときだ。

「売れるんじゃないですか」

 後ろから声がした。庄野だった。

「僕知ってますよ、その娘」

 そばで文庫を読んでいる庄野がしれっといった。目を本から離さずに。

 ナイスアシスト。島尾は心の中でガッツポーズをした。

「へえ。珍しいわねえ」

 でも庄野さんが知っているのなら、有名なのかもしれないわねえ。そういって阿川は8の字にも線を引いた。

「じゃあ、十……」

「百で!」

「十五」

「八十でどうだ!」

「って競りじゃないんだから」

 阿川が顔をしかめる。

「五十くらいいけるんじゃないですか、いま一番人気らしいし」

 庄野さんがいった。

 ナントカ坂で一番人気の子の写真集、うちはたしか結構売れたのよね……阿川が考えこむ。

「……まあいいか」

 そういって阿川は50と記入し取次番線印を押した。

「でも、売れるといったからには、完売してもらわなくちゃ困るわよ」

「もちろんです」

「一ヶ月以内に売り切れなかったなら、島尾くんの給料から天引くわよ」

「がんばります!」

 庄野さんありがとう! と島尾は庄野を拝んだ。庄野のほうはいつもの仏頂面のままだ。

「じゃ、そろそろレジ交代します」

 庄野はそういって席を立った。

 島尾は庄野の後をついていく。気分はもう庄野の子分である。

レジに入り、しばらくして庄野が、

「あ」といった。

「なんですか」

「僕は失敗した。あのアイドルの子、なんで知っているのかって、きみが散々話していたからだった」

 つまり、庄野は助け船をだしてくれたわけでなく、島尾の熱弁によってアヤのことを認識していただけだった、という。


「写真集発売おめでとう!」

「ありがとう!」

「すごいよかったよ」

「え、どのカットがよかった?」

「高原で木に寄りかかってるとこ」

「あのときめちゃくちゃ寒くって、顔こわばってたでしょ」

「いつもと違う雰囲気ですごくよかった」

「だったらうれしい」

 さっさと引き剥がされ、島尾は列を後にした。

 一昨日、アヤの写真集が発売になった。並んでいる連中の話題は、写真集のことばかりだろう。

 推しの仕事が充実しているのは誇らしい。それに一役買っているのだ、と思えるのはないより嬉しい。そう思っていた。

 自分が本屋で働いていることを以前アヤには伝えていた。だが今日、アヤはその話題に触れてくれなかった。もう忘れてしまったらしい。

 アヤからすれば、自分はたくさんいるファンの一人だ。個人個人のパーソナルな情報なんて、覚えているはずもない。べつにそれはかまわない。ガチ恋と揶揄されようと、応援したい。付きあいたいなんていうのもおこがましい。もちろんわかっている。けれど、正直もうちょっと認知してもらいたいという欲もある。

 島尾は握手会を後にしようとしていた。そのときだった。

 向かってくる集団のなかに、頭にすみっこぐらしをくっつけたおっさんがいた。しかも首からなにかをぶら下げている。

 写真集の帯を大量に紐にくくりつけ垂れ下げていた。

 アヤに見せるためだろう。自分はこれだけ買ったんだぞ、と。

 荷物の持ちこみはNGだけれど、アクセサリーならばオーケー。だからこいつはアヤの好きなすみっこぐらしを頭につけ、首から写真集の帯をぶらさげているのだ。

 純粋に応援したい気持ちと、応援していて金をどれだけ払ったかをアピールしたい気持ちがまぜこぜになった、いかにもオタクらしい行動だった。

 だが、島尾はそれを見たとき、負けた、とその場で倒れこそうになった。

 アイドルにとって、たくさんのファンを獲得することよりも、金払いのいい太客を得るほうが、効率がいいに違いない。ツイッターでも何十冊買った、と、皆が報告している。

 アヤもきっと見ている。一つ一つに応じてはしないけれど、『写真集を買ってくださったみなさんに感激』とつぶやいていた。

 島尾にはそれほどアヤに「投資」することはできない。

地元でなく東京の大学に進学したいと親に告げたときだ。

「生活費はださない」と宣告された。

 だから学校以外はほぼアルバイトをして過ごしていた。爽快堂書店以外にも、深夜のカラオケボックスや飲み屋で働いていた。レジや返品作業と同じくらい、酔っ払った客のげろを掃除するのだって手慣れたものだった。

 げろを始末するために、従業員に横柄な失礼な客に頭を下げるために、俺は東京にきたわけじゃない。

接客業は、人の嫌な面を否応なしに見る。無愛想にされるのはまだいい。見下したような態度を取る客にでくわすたびに、自分のなにかが少しずつ、壊されていくような気持ちになった。

そんな目にあってまで働かなくてはならないなら、人類はろくすっぽ成熟なんてしちゃいないってことだ。

自分のような、才能や特技のない人間にとっての労働とは、不愉快になることで金を貰うことなのだ。そんなふうに思うと気分が悪くなった。

 自分と同い年の連中が楽しそうにしていると虫唾が走った。どうせ親に金を貰っているんだろう。遅番の連中だってそうだ。吉行がバイト代をフィギュアにつぎこむのも、小島がばかすか漫画を買うのも、正直イラッとするときがあった。実家暮らしで親に面倒見て貰って買い物をしているやつらに、気持ちが弱っているときはムカついた。

「金持ちになりたいな」

 島尾は駅に向かう途中、思った。したくないことはしないでいたい。大学だって、東京で遊びたかったから受験したようなものだ。

 島尾は公務員になろうと思っている。できるだけ趣味の時間を充実させたいからだ。なりたい職業なんて昔からなかった。楽しい時間を大切にしたい。

 でもまったく遊べていない。持ち前の律儀さでしっかりと仕事をするから、どこの職場でも重宝がられる。爽快堂でだって、朝番のみんなにも評価されている。他のだらしない遅番たちよりはずっとだ。

唯一の楽しみである、アイドルの追っかけだって、結局は軍資金がないとどうにもならない。ソシャゲと同じで、より楽しむのには、金がかかる。そのためには働かなくちゃならない。この世にわりのいい仕事などなかなかない。

 そして、爽快堂で売れ残っているアヤの写真集を思った。

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