遅番にやらせとけ
キタハラ
遅番にやらせとけ!(小島伸介)
第1話 なんで本屋で働いてるんですか?
「どうして本屋でバイトしてんの?」
と急に訊ねられた。
小島伸介はバイトに向かうところだった。大学の授業を終え、同級生と一緒に駅へと歩いていた。
同級生はいま、なにかアルバイトでもしようかと迷っているらしい。
「楽で時給高いやつがいいな」
さも難儀そうに空を仰ぐ同級生を横目に、小島はそんな仕事があるのならぜひ自分もやりたい、と思った。
「で、なんで?」
黙っていたら、再び答えようのないことを問われた。
小島はどう答えるのが正解なのか一瞬考えこみ、
「漫画が安く買えるからかな」
と答えた。
従業員割引。実際、これはかなりの部分を占めている。店の商品が十パーセント割引なのは大変ありがたい。
「ふーん」
同級生は納得したらしく、頷く。
「小島は漫画好きだもんなー」
それから二人の話題は、最近読んだ漫画の鬼畜な展開へと移った。
いま一緒にいる同級生とは、さほど漫画の趣味は合わない。彼はメジャーなやつとか、ツイッターでバズったものを適当に読んでいる。面白いことが保証済みでなくては、手をだす気になれないらしい。
誰かが面白いと保証してくれなければ、見向きもしない。
だいたいみんなそうだ。無料でなくては読もうとしない。
お金は貴重だ。新作ゲームにソシャゲのガチャ、ファッション雑誌に載っている女子受けのいい格好に、ワイドショーで紹介されたら終わりの始まりが漂いだす、話題のおやつ。
平均的大学生の財布の中身はいつだってすっからかんだった。
本? 活字どころか漫画ですら、小遣いだけでは賄えない。サブスクの使用料は、毎月いつのまにか徴収されてしまっている。
だからアルバイトをしなくてはならない。小島にとって、金と漫画が両方手に入る書店での仕事は、願ったりの場所だった。時給は安いが実家暮らしだし、しっかり稼がなくてもいい。
駅前で別れ、一人で歩いているとき、小島は改めて考えた。
自分はなんで本屋でバイトをしているのだろうか?
漫画を社割で買えるのと、あとは……。
小島は昔、一度だけ本屋で万引きしようとしたことがある。
あれは本当に、思いだしたくないことの一つだ。
中学のとき、新刊を買いに行こうとしたときだった。途中の道で、クラスでイキっている運動部のグループとでくわした。
なんでこいつらはいつも自信満々なのだろう。ただスポーツをしているだけで、群れて偉そうにして、騒いで。
文化系に属し、クラスの隅っこでおとなしく過ごしている小島からすれば、校外で会いたくない集団だった。
気づかない振りをして通り過ぎようとした。そのぎこちない動作が、彼らからすればちょうどいい揶揄いのネタとなってしまったのだろう。
「俺らめちゃ疲れてて喉乾いてんだよ、奢ってよジュース」
へたへらしながら一人が言った。
小島は思った。好きでグラウンドを駆け回っているのだろう、知ったことか。
金なんてないと答えると、嘘でしょ財布見せてよなどといって肩を叩いてくる。
彼らにとってはちょっとした弄りだろうが、されるほうからすれば心臓を締め上げられるような心持ちだった。
同い年の者に、格下扱いされている。それだけでも最悪な気分だった。
さっさとこの場から逃げだしたい。結局持っていた金は自動販売機に吸いこまれた。
書店へ向かったところで、欲しい漫画の代金は足りなかった。
なにもかもやけっぱちになった。
あいつらに小バカにされた挙句、金を払わされ、自分の欲しい漫画が買えなくなった、だなんて、まじでこの世は腐っている。
コミック売り場で平積みになっている新刊を手にした。
欲しい。
ムカつく。
なんなんだよ。
じっと眺めた。
新刊の発表があったときから楽しみにしていたというのに、手に入らないだなんて。
シュリンクされているコミックを、両端からぱかっと押し、未練がましく隙間を眺めた。
なにもわからない。
いまこのビニールを破り、中身を読んだら、少しは気が晴れるのではないか。
店の爺さんが階段から降りてきた。この店でたまに店番をしている、動きのとろい老人だった。
爺さんが降りていくのを目で追った。
一瞬周りをみた。コミック売り場には誰もいない。レジに「休止中」の案内プレートがあった。
このまま店の外へと持ち去っても、誰にも怪しまれることはないだろう。
小島は手にしたコミックを、ジャンパーのポケットに入れた。
ぎこちない足取りで、階段を降りた。
レジでは爺さんが椅子に座って、折り畳んだ新聞を読んでいた。
このまま通り過ぎようとしたときだ。
「買わないの?」
小島をちらりと見て、爺さんが言った。
小島は顔が一気に火照るのを感じた。
この爺さん、只者ではない。
「あの……」
「買わないなら、置いておいて。買うなら、預かっておくから」
「はい……」
小島はポケットからコミックをだし、爺さんに渡した。
「レジに置いておくから、声かけて」
爺さんは、再び新聞を読みだした。
小島は店からでて、一目散に走った。
それ以来、その、家から一番近い本屋に足を向けることはなかった。
大学生となり、「アルバイト募集中」の張り紙を見るまでは。
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