11話：テロリストの怨恨・探索編(2/3)
小屋が置かれた森は一日を通して薄暗い。茂る木々が風を和らげるので、小屋は風が吹けば飛ばされるほど粗末な作りをしている。その割に経年劣化は少ない。機動力を求めて使い捨ての小屋を使っている。暖房器具はなく、隙間風はある。室内でも防寒具は欠かせない。
テロリストの目的は、捕らえたレタを生きたままでリーダーと会わせることだ。戻らなかったドローンを回収してカメラの映像を確認したら、レタの顔が映っていた。妨害の意図を確認し、捜査官ならば情報を引き出したい。しかし仮に死亡しても問題はない。
一方でレタの目的は、生きたままで安全圏まで逃れることだ。逃げ込む建物を探すには、水を被ったら制限時間はごく短い。膝の上にバケツを置くだけでレタの脱出は防がれている。好機を待つか、命を消費してささやかな抵抗をするか。不利な選択肢だけがこの場にある。
「お楽しみの時間だ」
男、クックは脚立がわりの机を片付けて、レタの正面に立った。首まで巻いたターバンの下端を緩めて、防寒着の下から長い髭を引き出した。立っていてもレタの鼻先を掠めた。牛の唾液の臭いがする。
「あんたも下には、いい物を持ってるだろ。俺にはわかる」
レタの首周りから指を潜り込ませて、左右の指が触れ合ったところで上に引き上げた。マントの下に隠れていた、レタの長い髪が引き出される。所々の絡まりをクックが手ぐしで伸ばした。
「肘までか。いいよなあ。顎より上の分だけ俺よりも長い」
レタの髪を撫でながら愚痴を聞かせた。
「髭がほとんど生えなくて、髪が長い。俺と真逆だよなあ。このターバンもな、改善に繋がるそうだから牛の唾液を塗り込んだんだ。俺にとっちゃあ藁にもすがる思いでだ。ところがどいつもこいつも、臭い汚いって避けやがる。フサフサの奴らがだぞ。許せねえよなあ。絶対許せねえよなあ」
恨み言を繰り返しながら、クックは自らの髭とレタの髪を重ねて、両手で揉み混ぜる。
髭を前後に分けて、髪を二段に分けて、互い違いに重ねる。左右に広げて揉みほぐす。幸か不幸か、レタの金髪が、クックの白と黒が入り混じる髭をまるで輝いたように見せた。
「すばらしい。理想的な女よ、あんたを手放すのが惜しくなってきた。このままずっと、こうしていたい」
クックは涙声になった。髭と髪が混ざった束を左手に乗せて、右手でゆっくりと撫でる。滑らかな感触が指を癒やす。曲線を押す力に抵抗して、束から飛び出そうとする弾力が小指に新鮮な刺激を与えた。
「いや、そうじゃないな。先にデートを重ねて互いを知り合ってからだ。今はその手を解放してやれないから、俺が一方的に知るだけになっちまう。クソッ」
クックの涙は喜びから悲しみに変わった。この場で役目を任された以上、私用で投げ出すのは非紳士的である。社会的な常識を弁えているが故に、社会的なしがらみに逆らえない。クックの胸中では、この場から駆け落ちしたい衝動と、この場にある成果を献上するべき規範がせめぎ合っている。その葛藤をアラームの音で振り払った。
「午後七時か。早いけど、今日は寝ときな。その姿勢じゃあ眠りの質が悪くなるから、せめて時間だけでも長くしておけ。寝不足は美容の大敵だからな」
気遣いの言葉と悪臭を残して、クックはもう一つの部屋へ移った。
一方その頃、ケイジとスクシは山中で野営をしていた。ササキの嗅覚に案内されて、小屋を見つけている。周囲をうろつく複数の影を見つけて、少し引き返した場所を陣取った。
もっと難航すると思って、脚を休めるついでに手で準備するつもりだった。ところが予想外に早くこの場所を確保してしまった。ケイジの想像と比べて、外を歩く者が少なく、別の集落への道から外れる理由が皆無なので、距離を離す理由が薄れている。乗り物を使うならば燃料の節約も兼ねている。
「とりあえず荷物の中を見ましょう。レタのことだから、きっと何か用意してるはず」
見様見真似でレタの荷物を床に置き、留めていた輪を緩めた。外側が広がりマットになって中身を漁る準備が整う。
「なんだ、これ」
スクシが手にしたのは直方体の包みだ。他のそれぞれは透明なジッパーバッグに直接入っている中、このひとつだけが不透明の内袋で包まれている。
開封すると、二冊の漫画が入っていた。同じタイトルの単行本で、四巻と九巻だ。
九巻はくたびれてこそいるが完全な形をしている。少なからぬ使用感こそあれど、中古品としては状態がいいほうだ。
一方の四巻は、前半が無くなっていて、新しく先頭になったページに煤が残っている。
ケイジは腑に落ちたことがある。レタが話を聴く態度には、何かを大切にしている様子があった。ケイジが語る内容に対して、同類だからこその理由で重んじている気がした。その何かとは、この漫画だ。
「あのレタが大事に持つほどの。僕はこの漫画について調べてみるよ」
「そんなに重要そうなら、流し読みだけでもしておこう」
ケイジはスマホでタイトルを検索した。サーバが生きていることを願って結果を待つ。その間にスクシはページをぱらぱらと捲っておおよその物語を見ていった。
幸いサーバは生きていた。真っ先に表示されたのは、作者が四年前に病に倒れて、今は入院していることだ。現在も生存しているが、手術の費用は募金頼みになっている。他に気になった情報として、作者が住む地区はケイジと同じのようだ。
ケイジが読み上げた内容に対し、スクシから確認する。
「現在っていつだ？」
「ええと、半年前だね」
ケイジはすぐに操作した。
「今の情報があった。ちょうど目標額を達成したばかりみたい」
「これ、レタに似てないか」
スクシが見せたページは、登場人物の一人が活躍するシーンが始まるところだ。服装や言い回しは違えど、行動指針や雰囲気がレタに似て感じた。読み進めるとすぐに名前がデルタとわかり、この名前をスマホの情報から探した。
デルタの初登場は四巻で、以降レギュラー登場する。再びスポットライトを当てたエピソードが八巻から九巻を跨いで収録されている。
その情報と、手元にある一冊半に、レタの行動とそっくりなシーンが多数あった。名前を呼ぶときに言葉を短くするとか、あらゆる準備がごく短時間で整っているシーンもある。
「なんだか見えてきたな」
「そうだね。必ず助け出す」
スクシとケイジの決意が固まった。デルタを知った今、他の荷物に気になる点ができた。
「この双眼鏡、重くないか」
「手がかりでも？」
「このページだ。分解して仕込んだパーツを取り出してる」
「こっちにはドライバーがありますね」
「そいつだ。レタが熱心なら、きっと」
ケイジが双眼鏡を開くと、漫画とは違い、一枚の紙だけが入っていた。書かれているのは四桁の数字だ。どこで使うのか、真っ先に思い当たるものはパスコードロックだ。
レタのスマホを確認すると、ロックなしですぐに開いた。当然にロックされていると思って試さなかった。数字はきっかけを作っただけか、それとも別の所で使うのか。考えは共有していく。
殺風景なホーム画面にはアイコンが四個だけ置かれている。運び屋ギルドのアプリと、メモと、残りは暗号らしき子音だけの二文字だ。どれを開くか、ケイジは迷う。常識的に考えれば動作が分かりきっているメモを開く。しかしあの用心深いレタが、パスワードも無しにしているとあっては、その常識にこそ罠を仕掛けている気がした。メモのアイコンを選んだら中身がすべて消去されるなど、レタならやる。
「ケイジくんそれ、レタのスマホか？」
「そうだけど」
「彼女、スマホをバッグに入れてるの？ ポケットでもなく？」
些細な疑問だが、ケイジの背中を押した。メモを開く。罠はなく、ケイジが思った通りの内容が書かれていた。
万が一に備えたメモ書きだ。後知恵だがレタはこのごろ、やけに長く操作していた。レタはこれを渡すために、違和感を察知してからスマホをバッグに入れていた。
初めは何をするにも一人でやろうとしていたレタが、行動を共にするうちに変わった。または、ケイジとスクシを信用した。どちらにしても変化を見せるのは苦手なようなので、再会したらどう話すか考えておく。
最初の一文は「ケイジとスクシへの頼み」で始まっていた。
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