4話:無人航空機
レタはホテルでの習慣がある。時間を見つけては窓から双眼鏡で下を眺める。通行人が歩く方向や、基本的な行動を確認しておく。同業者を見つけたときは特に、周囲の人物との関わり方を確認しておく。やがて身を救うからだ。
明日から進む予定の道は舗装されて歩きやすくなっている。この近辺では珍しく、車でも静かに通れそうに整っている。大きめの施設が集まる地域には、車を使う搬入が多いと納得できる。それでも、通りたくない違和感がある。
街に着いてからよからぬ気配があった。現地人が何かを警戒する雰囲気がある。レタが確認したのは夕方以降なので、いつでも同じ習慣なのか、異変を察知しているのか把握できない。
普段を知らない者は、現在も判断できない。
情報らしい情報として、ホテルマンからの盗み聞きだけがある。
「役人の数名に、きな臭い噂がある」
情報の断片からの推測だ。役人が関わるならば、見るべき先はいくらか絞られる。ニュース記事から写真を確認し、それらしい個人や集団の動向を見つけられたらラッキー程度に考えて窓から眺めていた。
その副産物として、別の不自然な動向を発見した。日没が近い今、一人で、徒歩で、街の外へ向かう。手荷物は小さなバッグを一つだけ。
異常な軽装だ。レタも同じ道を使う計画だったからわかる。日没までに辿り着くには遠すぎる。道の半ばで、テントも無しに野宿をするなどあり得ない。
そんな人物がさらに、脇道から木々の間に消えていった。贔屓目にも登山の装備とは考えられない。山菜採りでもない。注意を向けていたら十数分で戻ってきた。そうなれば目的は麓のすぐ近くにある森林部だ。
考える時間はあるが、情報を集めるには足りなすぎる。決め打ちになる。同時期に、ケイジがシャワーから戻った。
「ケジ、明日の道を変えるよ。日の出と同時に北側の山道を行く」
「山登り? なんでいきなり」
「登りはしない。周り道をするだけ」
ケイジを座らせて、足元で道具を広げた。透明な袋で小分けされているが、ケイジには中身を見てもよくわからない。レタが出した道具は円柱形にテープ状の黒が巻き付けられていた。
「説明は後。すぐ出発できる服にする。まずはこのリボンを脚に巻くよ」
ズボンの上から左脚に、そして右脚にきつく巻いていく。このリボンは食品ラップと同等の材質で、リボン同士で張りつくがそれ以外には張りつかない。ふくらはぎを適度に締め付けると長時間の歩行による負担が和らぐ。巻きゲートルの代用だ。つけ外しに時間がかかるが、使い道の幅が広いので、レタも多めに常備している。
「今から準備する意味が?」
「念のためね。無駄になるならそれでいい」
レタは懸念の詳細を後にして、まずは必要な対処を進めていく。ケイジのメッセンジャーバッグをコートの下に持たせて、今日は寝る時もコートを着たままにさせた。明日は起きたらすぐに出発する。できる備えはした。あとはケイジに伝えて、眠って、実行するのみ。
「テロリストが潜んでいる可能性がある」
ケイジは動揺したが、レタの話は取るべき行動に集中している。実行する姿をイメージさせて、恐怖心から注目を逸らす。朝は起きたら直ちに部屋を出られるよう、手の動かしかたを考えておく。
睡眠時間は、午後八時から午前四時まで。
朝になり、アラームが鳴った。二人共に日の出より先に目を覚ます。決めた通り、すぐにフロントへ鍵を返す。外へ出た。朝の寒さはいっそう厳しく、しかも暗い中を歩く。
ホテルから見えていた道を離れて、街のほとんど反対側まで来た。暗い中での物盗りに備えて道の中央を歩く。足音を消せない今、逆に音を強く出して、エコーロケーションで周囲を探った。
やがて道の舗装もなくなり、荒々しい山道を進む。恐怖心の先が人間の悪意から大自然の脅威に変わる。動物が鳴く音を変えた。稀な存在への警戒だ。人間二人はお構いなしに進む。砂利道は動物たちも通るようで、しばらくは植物の邪魔が入らずに歩けた。
「止まって」
街から十分に離れたので歩みを遅くする。足元に植物が増えてきた。転倒を避けるため一歩ずつ、足探りで地面の状態を確認しながら、這うように進んでいく。
ゆっくりした歩みは足音も弱まり、会話もないので、周囲の音に集中できる。動物が鳴く音はすっかり元に戻り、一定の様子を維持している。彼らは異変を察知していないようだ。
正面に太陽が現れる。同時に、背後から爆発音が聞こえた。
「爆発? 本当にテロが」
「落ち着いて。遠い間は危険じゃない」
慌てるケイジを宥めて、概ね予定通りに進んでいく。道は再び砂利道になり、今度は崖が近い。バランスを崩せば滑落する。レタが先行して注意点を教える。大きな音は初めの一度だけだったので、ケイジは落ち着いて進めた。
すっかり明るくなる頃に、街を見下ろせる地点があった。休憩も兼ねて双眼鏡で確認する。
普段ならば、朝早くから歩く人間は、運び屋ギルドを中心とする運送業が多い。それが今日は、滞空するドローンが人間を追い回し、そうして確保した道で、顔を隠した人間たちが大型の銃器を構えて、特定の建物に向けている。その背後をワゴン車が守っている。
騒ぎは特定の一角に集中している。狙いはそこらしい。ケイジにも双眼鏡を貸した。見た目の割にずしりと重い。
「舗装された道はああいう手合いにも便利だから、こっちに変えたの。正解だったようね」
休憩を終えて、再び進む。このまま下り道を進んだら舗装された通りの近くに出る。
その時、レタの背後から声が聞こえた。ケイジの背中にレシプロ飛行機型のドローンが衝突した。振り返ったレタに倒れかかり、衝撃こそ吸収できたがバランスを崩した。周囲に掴めるものはなく、二人は崖下に落ちた。
「ケジ、怪我は」
「大丈夫。レタは?」
「よかった」
レタは言葉を切って、周囲の確認に移った。
背中の荷物が落下中に植物に当たり、おかげで姿勢が整った。傷は最少で済み、水にも落ちなかった。生き残ったが、問題は山積みだ。
座り込んだここは岩場で、高い段差になっている。植物は生えないし、虫もいない。とりあえず迫る危険はない。
しかし目の前に聳える崖は、登るには掴む場所が頼りなく、ロープを投げても引っ掛けられる突起は途中にしかない。
反対側に降りるルートは、茂る木々に阻まれておおよそ道と呼べる空間がない。かき分ければ進めるものの、どこかで防寒具が耐えられず裂けてしまう。そうなると、裂け目から寒気が入り、やがて死に至る。補填を用意するには遠すぎる。
「レタ、これからなんとかなりそう?」
ケイジの言葉に対してレタは考え込んだ。隣では追突したドローンが飛行中のつもりで尾翼やレシプロを動かしていたが、やがて諦めたように静かになった。
「座して死を待ちましょう。そこのドローンみたいにね」
「そんな!」
「冗談よ。ひとつ手はある。ケジ、体重は」
「最近はわからないけど、前回はたしか、六〇キロくらい」
「そう。なら、私は荷物を全て捨てる」
「え!」
レタは背負っていた荷物を降ろした。口を留めておけば置いても広がらずに袋の形だ。
「捨てるのは私だけでいいから、安心して」
「持っては登れない?」
ケイジの疑問に、レタが指す先は崖沿いだ。
「登るんじゃない。向こうに飛び移る」
まずロープを投げて、崖の途中に飛び出した木の根に掛ける。半ばまで登ったところで、左右に勢いをつけて揺らし、その勢いで足場まで飛び移る。そして、上に戻ってケイジの元にロープを下ろし、引き上げる。
「僕が荷物を持つのではだめ?」
「このロープ、マイクロコードがね。対荷重がちょうど六〇キロ程度しかない。荷物を含めると危険なの。この崖だから荷物だけで手繰り寄せるには耐久性に難があるし、持ったまま飛び移るには重心がずれてしまうし、向こうまで手繰り寄せるには長さが足りない。だからここに捨てる」
ケイジの表情を見て、レタは言い足した。
「幸い、向こうに集落がある。殆どは補填できるよ」
レタが準備を進める間、ケイジにできることといったら、周囲を眺める程度しかない。しかし見えるものといったら、名前も知らない木とか、よくわからない鳴き音の虫といった、普段は見向きもしなかったものだ。
文明から取り残された気分になる。ただひとつ文明の匂いがするものは、この状況に追い込んだドローンだけだ。
ケイジはひとつ気づいた。ドローンが動かないのはなぜか。拾って観察する。見てわかるパーツは剥き出しのカメラや電池だ。中心部に有名企業のロゴと、動作を制御する部品を示す名前が刻まれている。
「レタ、ひとつ可能性を見つけた」
「なに?」
「ドローンだよ。カメラがついてるし、遠隔操作ができるはずだ。だけど今は動かない。持ち主の所に帰らずにいる。つまりこのドローンは自律行動型で、最後の動きは、プログラム通りの動きをした。と、思うんだ」
レタの顔色が変わった。
「ねえレタ。スマホを借りていいかな。プログラムを書いたら、あのドローンを動かせるかもしれない。そしてマイクロコードをレタの元に届ける。このやり方なら荷物を手繰り寄せられる、よね」
「操作次第では貸してもいい。なにをする?」
「まずアプリをダウンロードする。そしてドローンに繋ぐ。それでプログラムを書き直せるようなら、書き直す」
「わかった。早くね」
レタはスマホをケイジに貸す。最初の操作はプログラムを書くソフトウェアの購入だ。レタから借りる理由だ。ケイジはこの場での支払いができない。もちろん、この金額はあとで補填すると約束している。
キーボードが異なる都合で、普段よりも時間がかかっている。プログラムに関して、レタは覗いてもさっぱりわからない。文字の色が変わった部分に意味があると想像する程度だ。
その間にレタも進める作業がある。ドローンからカメラを取り外す。追加の荷物を運ばせる都合上、増える分の重さをどこかで減らす。
ケイジが作業を済ませる頃には、座り込んだ場所が日陰になっていた。
「できた。レタ、説明するね」
「追加の打ち合わせ?」
「すぐ書けるものってことで、軌道を単純にしたんだ。テストするから、持って」
ケイジがスマホを操作すると、ドローンのレシプロが回った。主翼と尾翼を合わせて前進と右折の動きを見せた。
「わかった。狙いが不正確でもその後の動きで補える、木にぶつかりさえしなければいい」
「さすが。チャンスが一度きりだから、これしかないと思ったんだ」
思考を共有したら、あとは実行するのみ。
まずはレタが単身で飛び移る。これは難なく成功した。
次に、絡まったマイクロコードを解く。ちょうどいい枝に巻きつけて、元の場所へ投げる。
ケイジはコードを解く。片方の端を荷物に結び、反対の端をドローンに結ぶ。
仕上げにスマホを操作し、ドローンを飛ばした。レタの近くまで飛び、ぎりぎりでレタがコードを掴んだ。飛び移る時と違って直線なら長さに余裕がある。
荷物を手繰り寄せて、背負い直した。レタは落ちる前の道に戻り、コードを下ろす。無事にケイジを引き上げた。
計画した通りに進んだものの、ケイジの崖登りは想定外に落下の恐怖が大きかった。呼吸は荒く、心臓の音がレタにも聞こえる。深呼吸をして、服や髪の汚れを払い落とす。
そこにレタが、ひと休みには早いと伝える。
「急いで離れるよ。あのドローンが既定の動きをするなら、本来の向かう先が近くにある」
その持ち主はテロリストの誰かだ。ケイジも意味を理解した。しばらくは小走りで誰とも会わずに進んだ。日没が近づき、ゆっくり這うような歩きに戻す。
周囲を警戒しながら、足元を確認して歩いていく。今日はこの近くで野宿だ。まずは誰かの接近を知らせる罠を仕掛けられる地形を探す。
落ち着いてから会話に移った。
「ケイジ」
「なに?」
レタの顔はやけに嬉しそうだ。縮めない呼び方からも今は安全であり、同時に重要な話とわかる。
「ありがとう」
表情からも特別さが窺えた。ケイジは顔を赤くして、つい背けてから短く返事をした。
「こちらこそ」
木にハンモックをぶら下げて、獣避けに火を起こして、空腹に食事を入れる。
眠りかけたとき、ケイジは思い出した。ドローンにはカメラがついていた。もし、その映像に顔が映り込んでいたら。記録用のパーツをどう処理したか。どこかに残っていたら。
このままではレタの身が危ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます