旧7話:3人いれば
よく寝た、と思ったのは久しぶりだ。
美味しい食事、柔らかい寝台、友好的な男女。どれも忘れかけていた。
加えてスクシは、ホテルを初めて使った。壁紙の模様は緑色だが虫とも植物とも違い、朝日は厚いカーテンによって手で防げる程度まで間引かれている。
スクシをこの場に引き合わせてくれた二人は、すでに寝室から出ている。扉の先にある部屋から小さな音が聞こえた。寝台の柔らかな感触を惜しみながら立ち上がって、扉の先へ向かった。
「スクシ、おはよう」
すぐにケイジが挨拶をした。四人用テーブルの、スクシから遠い席に座って、スマホで何か操作をしている。その手前で食卓カバーがひとつだけ役目を果たしている。
スクシがどこに座るか、迷った一瞬が伝わったようで、ケイジは「ルームサービスの朝食が来てるよ」と促した。
ケイジが食べた分は、入り口の近くに配膳台があり、その中段に食べ終えたとわかる状態で置かれていた。
スクシは今日も、目頭が熱くなった。
「ありがとうな」
「どういたしまして」
金属製の食卓カバーを開けた。
パンの切れ込みに肉や野菜を挟んだ軽食、サンドウィッチだ。触れるとわずかに温かく、トーストを使っていると気づいた。
掴んで口まで運び、歯を突き刺す。ほどよい硬さのパンに特有の、小気味のいい音をたてる。その奥で待つ肉と野菜は一転して柔らかく、すぐに手元から口の中へ移動した。
多数の味が噛むほどに混ざる。舌との位置関係が目まぐるしく変化し、その度に味のパワーバランスが入れ替わった。あるときはパンの味が支配し、あるときは肉の味が天下を取る。見た目の印象をさらに塗り替える、食の楽しみがここにあった。
一口目を飲み込んだ頃に、ひとつ疑問が浮かんだ。
「レタさんは?」
「レタは買い出しだって。正午ごろに戻るから、それまでは安全な部屋にいるようにって」
「オーケイ」
スクシは食べながらつい気になった。
確かに自身とケイジは趣味が近く、話は多いに盛り上がった。初対面から打ち解けるまでの時間は誰が見ても早かった。とはいえ、それだけで本当に信用されたとは思い難い。
出会ってからこれまで、ケイジとばかり話をしていた。お互い深くは知り合っていないために、自らの信用に足る理由をわからずにいるのだ。
レタの用心深さはすでに伝わっている。いきなり監視もつけずに放置するならば、相応の考えがある。スクシはそう直感した。
正午まではまだ二時間近くある。
「レタとの関係について聞きたい」
スクシは短い疑問を口にした後、すぐに次のサンドウィッチを口に含んだ。
「関係は、僕がバスに乗り遅れたから、家までの道を運んでもらう。それだけです。少なくとも、今は」
ケイジはその続きに、これまでの出来事を語った。チンピラの待ち伏せを看破したこと。テロリストの襲撃からギリギリで逃れたこと。その後、警戒して野宿をしたおかげでスクシと出会ったこと。
「すごいんだな。映画みたいだ」
「でしょ。僕もそう思って――」
ケイジの言葉が止まった。悪いことを言った顔をしている。
「なんだ?」
「いや、もし映画だったら、スクシがどこかで」
「気にするなよ。そりゃ、古い映画の黒人はよく死ぬが、今はそんな時代じゃない。そもそも、映画でもない」
「そうか。そうだよね。生きていてよ」
「もちろん」
食べ終えた後はトークの本領発揮だ。妨げるものがなくなり、元気も出た。再び映画トークが始まった。
これまで見たジャンルや印象深いシーンの話で、生い立ちとの関連が話題に出たので、思い出話も始まった。
ちょうど一区切りついたところで、鍵を回す音と、扉が開く音が聞こえた。
「戻ったよ。二人ともいるね」
「おかえり。その袋はお土産かな」
レタはテーブルに荷物を出した。
「リュックと、水のボトルと、食料。それから最低限の道具セット。二人とも自分用に持って」
用意したものを並べて見せていく。
ケイジに用意したのは、元から持っていたメッセンジャーバッグに入る程度の、小型で軽量なものだ。封をを開けて出てきたものは二個。折り畳み式のナイフと、包囲磁石だ。
スクシに用意したのは、剥き出しのリュックだ。ウェストベルトがあるので肩への負担が小さく、長時間の歩行や作業に適している。その中を見ると、水のボトルやペグが入っていた。
どれもレタがすでに用意していて、スペアとして二人にも持たせる程度になっている。まだまだ入れられる余裕があり、特にリュックは内容に対して大きすぎる。
「もらっていいんですか」
スクシの疑問に対して、
「もちろん。これから手伝わせるから、このぐらい持っておいて。万が一のときの予備が多いけど、きっと役に立つよ」
そんなもんかなあ、と思うだけに留めて、手元の道具を眺めながら、どう使うか考えてみた。結論を出す間もなく、出発するぞと告げられる。
レタの指示の通り、まずは近くの家具工房へ向かい、スクシに大荷物を持たせて、隣街まで運ぶ。
普段通りの速さで歩けば、夕方には着くだろう。
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