旧5話:生きる糧
テロの騒ぎから離れる方法として、集落から距離をとった道を選んで進んできた。隠れ場所として山道の麓寄りを使う様子もあったので、もう少し標高が高い道を進み、木々の感覚が近いときに迂回するついで麓側の様子を窺った。
晴れの日が続くおかげで、太陽の位置で方角を確認できる。加えて木々がまばらなおかげで、葉が茂る方向が南ともわかる。切り株も定期的に現れ、年輪が方角を教えてくれる。
ケイジも野宿の経験ができた。
木と木の間にロープを張り、マントをハンモックにする。生地の余った部分を上から回して、スナップボタンで筒状の風除けにする。仕上げに呼吸のために空気の通り道を作る。慣れない手つきとはいえ、隣でレタの手本を見たら、やがては十数秒まで縮められそうだ。
レタは何年もこの装備で歩いており、ケイジよりも少し快適な寝心地だ。口ではそう説明したが、ケイジはまだピンときていない顔だ。
ササキにも犬用サイズの、同等の装備を持たせてある。
「ケジ、今日はここで寝るよ」
「え、もう?」
前日は夕方にしていた準備を、今日はまだ正午をすぎたばかりで始めた。日の出と共に起きて、ずっと歩いていたので、疲れてきてはいる。それでも小休止ではなく休む準備をするとは思っていなかった。
道を離れて、林の奥に入り込んでいく。道を歩く音が聞こえる程度には近く、道からの視界を遮る程度には奥まった場所だ。ケイジが追いつく頃には、すでに準備を始めていた。
「明日の朝、ここから出発すると、夕方ごろにホテルに着くよ」
「おお、あったかくて柔らかいベッドは久しぶりだあ」
ケイジの緩んだ顔を見て、追加した。
「その後も到着までホテルで三泊、野宿は今日が二度目にして最後になる。よくここまで来たね」
ケイジの顔がさらに明るくなった。
「予定よりだいぶ早いね」
「トラブルが起こってないからね。見積もりには対処を想定して日数を答えるの」
「ふーん」
ケイジは周囲で、ちょうどいい距離の木を探していた。自分で目利きをできるようになりたいと言って、レタにいい場所を黙っておくよう頼んである。レタも同意して、当たり外れのある場所を優先して陣取ったのだ。
「わ!」
いきなり声をあげて、ケイジが慌てた顔で駆け戻ってきた。
「落ち着いて。深呼吸をしなさい」
言われた通りに、深く吸って、ゆっくりと吐く。二度三度と繰り返し、ケイジは呼吸を整えてから見たものを話しはじめた。
「人の死体があった」
これにはレタも顔色を変える。死体だとわかる状態なのだ。位置関係や死因によっては場所を改める必要が出てくる。
「見にいく。案内して」
準備したハンモックを手早く身につけ直して、ケイジが案内する先に向かった。
すぐに答えは出た。
木からロープがぶら下がり、足が地面から離れている。服を見ると、衛生的とはかけ離れているものの、形は最低限に整ったままだ。
加えて足元に財布が置かれている。二つ折りの財布で、中の紙幣が見える。
これらの要素から、レタはこの死体を自殺と想定した。これならば、リスクは感染症や虫だけで済む。生きている人間が関わらなそうなので、場所をもう少し離すだけにして、長めの草や葉に遮られる場所へ向かった。
「ササキも来てる。ここにしましょう」
「本当に、大丈夫なの」
「どこでも大差ないよ。虫や菌の餌が少ない以外はね」
その時、ササキが警戒の目線で構えた。
誰かが近づいてくる。
レタは耳を澄ませる。次第に足音が聞こえてきた。隠す様子はないようで、人数は一人だけだ。途中で立ち止まるなど、音のペースが乱れている。何かを探しているか、疲れているか。そのように想定した。
音は近づいてくる。偶然か意図的か、想定はふらふらと左右に動く様子から偶然側に振れる。葉で隠れた先に下半身が見えた。すぐにお互いに認知する。
「うわ」
ひょろ長く痩せた男だった。防寒具以外の荷物はハンドバッグひとつ程度しか持っていない。外見から推測する年齢は、レタもケイジも黒人について詳しくないものの、少なくとも若い側に見えた。
「ええと、お二人もこのあたりにご用事で?」
話しかけてきたので敵対の意思はないものと判断し、レタが返事をした。
「そう。野宿をするところ。あなたは?」
「それ、運び屋ギルドの紋章でしょう。ここが自殺の名所だって知ってると思うのですが、本当にこんな所で?」
「まず質問に答えて」
相手にばかり話をさせて、自分の情報は秘匿する。レタはそんな人間を何度となく見てきた。目の前の人物がどう話を進めるか、確認しながら会話を続ける。
「その、僕も自殺のつもりでしたが、なんだか言うのは野暮な感じです」
「わかりました。敵対の意思はなし、と」
レタが警戒を緩めたところで、次はケイジが口を開いた。
「そのコート、『ダイ・オア・ネバー』の作中モデルでしょう。かっこいいなあ!」
短い言葉ながら、好意と熱心さなどの非言語コミュニケーションがよく見える。男の表情が目に見えて変わった。全てに関心がなさそうな顔から、まるで探しの品を見つけたときのように、期待したものかどうかを確認したい顔になった。
「君、『ダイ・オア・ネバー』を知っているの」
「もちろん! 初めて命令に背くシーンは最高でしたよ」
映画好きの男二人が盛り上がる兆候を見つけて、レタは一言を送った。
「食事の準備をするから、話をしてなさい。ただし目が届く範囲で。変な気を起こされたり、別の誰かが来たらたまらないから」
その言葉を受けて、改めて自己紹介をした。
彼の名前はスクシ・ケディス。
幼馴染と共にそこそこの成功を収めていたが、失態の原因すべてを擦りつけられ、無一文となった。それでも細々と日銭を稼ぎ、映画館を毎週の楽しみにして生きていた。その映画館も取り壊されてしまい、それから半年の間に少ない友人が次々に野盗の餌食となった。そして今日、ついに決心をつけたのだ。
幸運にも出会ったケイジと趣味が合ったおかげで、久しぶりに楽しい日になった。
二者の盛り上がりを聴きながら、レタはスマホとにらめっこをして、近くの情報を集める。今朝の確認ではなんでもなかった情報がそのまま残っている。これがレタ側の変化で一転し、都合のよい情報になった。
通る道を変えて、それでも日数は元の計画のままになる。
日が傾いてきた。手持ちのロープを使って、ハンモックをどうにか三人分にした。その間もずっと喋りっぱなしった映画好きコンビの様子を見て、区切りの良さそうなところで口を挟む。
「夜の食事だよ。食べたらさっさと寝るけど、少しぐらいなら話してもいい」
並べたのは、レタの荷物にあった、密封袋の非常食だ。色と形だけならハンバーガーに似た、ペーストをクッキーと合わせて固めたもので、栄養価に優れている。これはケイジも初めて見た。
スクシの前にも並べていく。飲み物は、タンクの水を空き容器に注いだ。
「僕も貰っていいのですか」
遠慮がちなスクシに対し、レタは静かに答える。
「いいよ。それより、しばらく同行してくれないかしら。待遇は三食とベッドつきで、物持ちのいくつかを手伝ってもらう」
「なんたる僥倖。生きる元気が湧いてきたところに助け舟まで。手伝えるのなら、ついていきます」
「ありがとう。よろしくね。あと、明日の昼まではベッドもなく冷たい食事だけど、許してね」
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