衣・食・銃 全16話+おまけ

旧4話：無人航空機

　ホテルの窓から双眼鏡で下を眺める。

　進む先の道は舗装されて歩きやすくなっている。このあたりでは珍しく、車でも静かに通れそうに整ったままだ。それでも、通りたくない違和感がある。

　街に着いてからずっと、よからぬ気配があった。

　夕方になってからなので、雑踏はまばらになり、現地人の警戒を観察できずにいた。自力で観察しようにも、普段の様子を知らない状態では、見て判断できるのは決定的なものだけだ。当然、隠されている。

　情報らしい情報は、ホテルの受付からの話だけだ。

「役人の数名に、きな臭い噂がある」

　詳しくは聞けなかったものの、役人が関わるとあっては、ある程度は絞られる。ニュース記事から写真を調べて、それらしい個人や集団の動向を見つけられたらラッキー程度に考えてのことだ。

　副産物として、別の不自然な動向を発見した。

　一人で、徒歩で、街の外へ向かう。手荷物は小さなバッグのみの軽装だ。持ち物、時間帯、行き先のそれぞれが噛み合わないのだ。

　そんな人物がさらに、脇道から木々の間に消えていった。贔屓目にも登山の装備とは考えられないし、日没が近い。その後、たかだか十数分で戻ってきた。

　どの要素も目的は登山ではないと示している。つまり用がある先は麓にほど近い森林部だ。

　考える時間は十二分にあるが、情報を集めるには足りなすぎる。

　決め打ちになる。同時期に、ケイジがシャワーを済ませ戻った。

「ケジ、明日の道を変えるよ。日の出と同時に北側の山道を行く」

「山登り？　なんでいきなり」

「登るわけじゃない。周り道をするだけ」

　ケイジを座らせて、足元で道具を広げた。

　透明な袋で、しかし中身は見てもわからない。レタはそのひとつを開けた。円柱形にテープ状の黒が巻き付けられている。

「説明は後。すぐ出発できる服にする。まずはこのリボンを脚に巻くよ」

　ズボンの上から、左脚にそして右脚にと手際よく巻き付けていく。ラップに似た材質で、リボン同士が螺旋状にずれて張りつける。適度な締め付けで長時間の歩行による負担を和らげる、巻きゲートルの代用だ。つけ外しに時間がかかるものの、使い道の幅が広いので、レタも多めに常備している。

「今から準備しておく意味があるのですか」

「念のためね。無駄になったらそれでいい」

　レタは懸念の詳細を後にして、まずは必要な対処を進めていく。

　ケイジのメッセンジャーバッグをコートの下に持たせて、今日は寝る時もコートを着たままにするよう指示した。ホテルのベッドなので置いて出発できる。

　できる備えをした。あとはケイジに状況の説明をして、眠って、実行するのみ。

「テロリストが潜んでいる可能性がある」

　ケイジは驚いたが、レタから取るべき行動を聞くうちに、その実行の仕方をイメージして、恐怖心から注目が逸れた。

　睡眠時間、午後八時から午前四時まで。

　アラームが鳴る。日の出前に目を覚ました。

　予め決めた通り、すぐにチェックアウトして歩き始めた。寒さがいっそう厳しく、暗い中を歩く。

　舗装された道とは別の町外れから荒々しい山道へ入っていった。恐怖心の理由が、人間の悪意から大自然の脅威に変化する。動物が鳴く音が変わる。二人の突入への警戒心だ。

　街から十分に離れたところで、歩みを遅くした。

一歩ずつ、足探りで地面の状態を確認しながら、這うように進んでいく。

　会話もなく、足音もなく、聞こえる音から周囲の状況を探っている。

　動物が鳴く音は街外れで聞こえた音に戻り、そのまま一定の様子を維持している。彼らは異変を察知していないようだ。

　正面に太陽が見えてきた。朝焼けから目を守って、足元を見ながら進む。

　同時期に、背後から大きな人工の音が聞こえてきた。

「爆発？　本当にテロリストが？」

「落ち着いて。遠い間は危険じゃない」

　慌てるケイジを宥めて、予定通りに進んでいく。道は砂利道になり、バランスを崩せば崖を滑落しそうだ。レタが先行して通り道の安全確認をしているし、幸いにも大きな音は一度だけだったので、ケイジは落ち着いて進めた。

　すっかり明るくなる頃には、標高がそこそこに高い場所についていた。双眼鏡を取り出して、街を見下ろした。

　普段ならば、朝早くから歩く人間と言ったら、運び屋ギルドを含む運送業が中心となる。

　それが今日は、ドローンが人間を追い回し、そうして確保した道で、顔を隠した人間たちが大型の銃器をいくつかの建物に向けている。その背後をワゴン車が守っている。

　騒ぎは一角に集中している。狙いの品物か人物があるようだ。

「舗装された道はこういうときにも便利だから、こっちの道を選んだの。正解だったようね」

　再び進み始めた。このまま抜けようと思ったのも束の間、レタの背後から声が聞こえた。

　ケイジの背中にドローンが衝突したのだ。振り返ったレタに倒れかかり、衝撃こそ吸収できたがバランスを崩してしまった。掴めるものは遠く、二人は崖下に落ちた。

「ケジ、怪我は」

「大丈夫。レタは？」

「よかった」

　レタは言葉を切って、周囲の確認に移った。

　背中の荷物と植物のおかげでどうにか傷は最少で済んだし、水に落ちることもなかった。とはいえ、問題は山積みだ。

　この場は岩で段差になっている。植物は生えないし、虫もいない。とりあえず迫る危険はない。

　しかし目の前に聳える崖は、登るには掴む場所が頼りなく、ロープを投げても引っ掛けられる突起は途中にしかない。

　反対側は木々が生い茂り、おおよそ道と呼べる空間がない。かき分ければ進めるものの、レタの装備は耐えられず裂けてしまう。そうなればそこから寒さが入り込み、ごまかしながら進めはするが、やがて限界が訪れ、死に至る。それまでに補填するには遠すぎる。

「レタ、これからなんとかなりそう？」

　ケイジの言葉に対してレタは考え込んだ。

　隣では追突してきたドローンが上下を逆さに、飛行中のつもりで尾翼やレシプロを動かしていたが、やがて諦めたように静かになった。

「座して死を待ちましょう。そこのドローンみたいにね」

「そんな！」

「冗談よ。ひとつだけ手はある。ケジ、体重は」

「最近はわからないけど、前回はたしか、六〇キロくらい」

「そう。なら、私は荷物を全て捨てる」

「え！」

　レタは背負っていた荷物を降ろした。今回は留めたままなので、広がらずに袋の形だ。

「捨てるのは私だけでいいから、安心して」

「持っては登れない？」

　ケイジの疑問に対して、レタは崖の上ではなく崖沿いを指した。

「登るんじゃない。向こうに飛び移る」

　まずロープを投げて、崖の途中に飛び出した木の根に掛ける。半ばまで登ったところで、左右に勢いをつけて揺らし、その勢いで足場まで飛び移る。そして、上に戻ったらケイジを引っ張り上げる。

「僕が荷物を持つのではだめ？」

「このロープ、マイクロコードがね。対荷重がちょうど六〇キロ程度で、荷物を含めると危険なの。残り少ないから、荷物を手繰り寄せるにも厳しい。だから荷物はここに捨てる。幸いにも向こうに集落が見えた。たぶん補充でききるから、いいよ」

　対荷重の都合で、引き上げるにはケイジと荷物の片方だけだ。荷物だけで引き上げるには、この崖に擦り付ける結果になる。私物用の袋は耐えられるほど頑丈ではない。

　ロープが向こうまで届くなら、荷物も持っていけるが。

　レタが準備を進める間、ケイジにできることといったら、周囲を眺める程度しかない。

　見えるものといったら、名前も分類も知らない木とか、よくわからない鳴き音の虫といった、普段は見向きもしなかったものだ。

　こうしていると文明から取り残されたような気分になる。この場でただひとつ、文明の匂いがするものは、この状況に追い込んだドローンだけだ。

　ケイジはひとつ気づいた。

　ドローンが動かない。

　拾って観察する。見てわかるパーツはカメラや電池が剥き出しになっている。中心部には名の知れた企業のロゴと、動作を制御する部品を示す名前が刻まれている。

「レタ、ひとつ可能性を見つけた」

「なに？」

「ドローンだよ。カメラがついてるし、遠隔操作ができるはずだ。だけど今は動いてない。持ち主の所に帰らずにいる。つまり最後の動きは、プログラム通りの動きをした。と、思うんだ」

　レタの顔色が変わった。

「ねえレタ。スマホを借りていいかな。プログラムを書いたら、あのドローンを動かせるかもしれない。そしてマイクロコードをレタの元に届ける。それで荷物を手繰り寄せられる、よね」

「操作次第では貸してもいい。なにをする？」

「まずアプリをダウンロードする。そしてドローンに繋ぐ。それでプログラムを書き直せるようなら、書き直す」

「わかった。早くね」

　レタはスマホをケイジに貸し、何やら操作を始めた。

　プログラムを書くためのソフトウェアを購入する。ケイジはこの場での支払いができないので、レタから借りる必要があったのだ。もちろん、この金額はあとで補填すると約束している。

　キーボードが異なる都合で、普段よりも時間がかかっている。プログラムに関して、レタには覗いてもさっぱりわからない。文字の色が変わった部分に意味があると想像する程度だ。

　その間にレタも進める作業がある。ドローンからカメラを取り外す。追加の荷物を運ばせる都合上、増える分の重さをどこかで減らしておくことになる。

　ケイジが作業を済ませる頃には、座り込んだ場所が日陰になっていた。

「できた。レタ、説明するね」

「追加の打ち合わせ？」

「すぐ書けるものってことで、軌道を単純にしたんだ。テストするから、持って」

　ケイジがスマホを操作すると、ドローンがレシプロを回して、前進と右折の動きを見せた。

「わかった。狙いが不正確でもその後の動きで補える、初めに木にぶつかりさえしなければいい」

「さすが。チャンスが一度きりだから、これしかないと思ったんだ」

　計画はその通りに進んだ。

　レタは飛び移りを成功させた。ケイジの所からマイクロコードを伸ばし、荷物を滑らせてレタに渡す。レタは元の道に戻って、最後にケイジを引き上げた。

　ケイジは慣れない運動をしたので、呼吸は荒く、心臓の音がレタにも聞こえる。

　深呼吸をして、服や髪の汚れを払い落とす所に、レタがまだひと休みには早いと伝えた。

「急いで離れるよ。あのドローンが既定の動きをするなら、本来の向かう先がある」

　そそくさと歩みを進めて、誰とも鉢合わせることなく山を抜ける道を進む。

　ある程度を離れたところで、ゆっくり這うような歩きに戻した。周囲を警戒しながら、足元を確認して歩いていく。

　今回は音に耳を澄ませるほか、会話もある。

「ケイジ」

「なに？」

　横に立つレタの顔がやけに嬉しそうだった。

「ありがとう」

　特別な何かがこもった表情に、ケイジは顔を赤くして、つい背けてから短く返事をした。

「こちらこそ」

　日が傾いた頃に、久しぶりに舗装がある文明の道に合流した。

　ケイジはひとつ思い出した。ドローンにはカメラがついていた。もし、その映像に顔が映り込んだら。

　このままではレタの身が危ない。