旧3話:火薬の匂い

 朝食の匂いでケイジが起きた。時計はまもなく十時になろうとしている。


 体を起こすと足元には、買ってきたばかりの荷物が袋のままで置かれていた。傍のメモには短く「身につけて」と書かれている。袋には非常食と、水のボトルと、その下にレタと同等のマントがあった。触った感触は見た目に反して布とは違い、まるでシートのように角ばった感触だ。持ち上げると両端からロープが垂れた。付け根の形に見覚えがあり、ハンモックとしても使うと想像した。


 昨夜のことを思い出した。年頃のケイジと同じ部屋に、若い女が眠っている。そう意識してしまい、寝付くまで時間がかかったのだ。

 だからケイジの起床が遅くなった。その時間でレタが買い出しを済ませていたのだ。


 肝心のレタ本人は、荷物も含めて姿が見えない。そう思いながら荷物を机に並べて確認していたところで、ノックに続いて扉が開いた。

「おはよう。食事を済ませたら出発するよ」

 配膳台をレタが運んできた。机の脇まで転がしてすぐ食べられる状態にした後、レタ自身は椅子を入り口近くに運んで座った。


「早めにね」

 ケイジが食べる間に、レタはスマホを使って何か調べている様子だった。


 街の外へ出る。塀に囲われた範囲から外へ。ケイジには初めての経験だ。これまでは必ずバスを使っていた。道の雰囲気がまるで違うように見えた。加えて今年は雪も積もっている。緊張で身が固くなった。


「歩く間は会話をしましょう。お互いに異常があったらすぐ気づけるようにね」


 レタの言葉が助け舟になった。ケイジは口下手なだけで、会話そのものはすきなのだ。とはいえ、学校の女性陣にはやんわりと距離を取られているので、経験は男性同士の会話ばかりだ。どんな話題がよいか、進め方はどうするか、そもそも違いの有無についても手探りになる。


「レタは、一人でやっているの?」

 無難な手として、相手に興味を持った質問をした。


「いいえ。もう一匹another one

もう一人another one?」


 質問で話を進める場合の難点として、答えた時点で話が途切れたり、話をさせる一方になって負担を押し付ける結果になったりする。これを防ぐには、答えを取り込んで自分の話に持ち込んだ上で、続く話に相手も参加できるように整えるのが手だが、ケイジはそこまでの考えをまだ身につけていない。


「この先の別れ道を、左に行くよ。山道だけど、拾い物だけですぐに戻る。経験は?」

「坂道なら何度かあるけど、登山は初めて」

「それなら、安心ね。大丈夫、深くまでは登らないから」


 レタに助けられて話を弾ませられた。歳は親子ほどには離れていないので、出来の違いを感じてしまう。短時間でその劣等感をそのまま伝えるまで安心した。これもレタの話術によるものだ。少しずつ一つずつの小さな発見を積み重ねる、とだけ教わり、ケイジの目標になった。深く踏み込まない姿勢にはまだ気づいていない。


 話にあった、枝分かれに着いた。バスは舗装された道を通るので、横道の上り坂はすぐに見えなくなっていた。今はその上り坂へ足を進めている。

 足腰が疲れるよりも先に、視界が植物に覆われた。辛うじて道らしき土が見えて、ここを進むのかと思うと、先に心が疲れそうだ。

 幸いにも想像だけで済んだ。


 レタがしゃがみ込んで、埋められた筒を引き抜く。捻って中から取り出したのは、肉の色をした棒状の固形物だ。


 同時に草むらが揺れる音が聞こえた。ケイジは未知への不安から、レタの顔を見た。表情は穏やかなままで、どうやら異常ではないようだ。

 直後に、レタの足元に膝ほどの高さの影が駆け寄った。ケイジは叫びそうになる。しかし咄嗟には声も出ない。見えるものをただ眺めるだけだ。

 今回はそれで正解だった。

 レタはしゃがんで、犬に餌を与えた。背中にはレタと同じようなマントを乗せて、左右のポケットに入れた荷物が振り子状に揺れている。


「匂いを覚えさせるから、手を出して」


 ケイジは言われるままに右手を出した。その手首をレタが掴み、鼻の前まで運ぶ。犬の息が手の甲を撫でた。

もう一匹another oneって、この犬が?」

「そう。キンイロジャッカルのササキ。こう見えて役に立つよ」


 ササキを拾ったら元の道を降りて、ケイジも知る道まで戻った。見えるものについて思い出しながら、まだまだ遠い街へと歩く。

 レタはその間に、枝を投げてはササキに拾わせていた。日毎の移動に使える時間は限られているので、こうして運動不足の解消をしている。同時に、どの方向へ向かうかを教えているのだ。


 ケイジもその動きを理解した頃、ササキが戻ってきて、今度は枝を渡さずに背中を向けた。

「ケジ、止まって。そのまま聞いてね」

 ササキを撫でながら言葉を続けた。

「この先に、銃を持ってる誰かがいる」


「どうしてわかるのさ」

「ササキが見つけた。犬の嗅覚は人間よりはるかに高いって、知っているでしょう」


 ケイジには一大事に聞こえた話を、レタは普段通りの、落ち着いたままで話した。どのように対処するかをすでに決めてあるからだ。ケイジが何をするかはすぐに決まった。レタの経験を信用し、言う通りにする。


 間隔を身長分に離して、一列の編隊で歩いた。レタが先導して速度を管理し、次いでササキが、最後尾にケイジが。幸か不幸か道の左右は急な斜面なので、警戒先を正面だけに絞っていられる。

 一応、斜面を覆う木の上にも意識を向けるが、火薬の匂いがないならば、使える武器は接近戦に限られる。そうなれば音を聞いてから回避できる。


 いつの間にか雪が減ってきた。ここから歩いた距離を実感する。


 待ち伏せをする二人組を見つけた。

 風が吹いたときに、草むらの一部が違う流れ方をして、注目したら人工物に特有の直線や直角の何かが見えた。

 レタが先に気づいたので、小声でケイジに伝える。

 まだ向こうは隠れたままで、目の前に飛び出すつもりと想定した。

 拳銃がまともに当たる距離は存外に遠くない。特に、隠れた状態から飛び出して狙うとあっては、撃つまでに必要な時間の下限が身の動きの分だけ引き上げられる。


 加えてこの時代は、情勢の都合で弾の用意が困難になっている。

 暴動を恐れた富裕層の買い占めにより、単価が釣り上がり、強盗ならば成功しても損になるのは珍しくない。弾を確保するには大金をはたいて買うか、または拾ったり盗むしかない。

 そんな状況下では、一発も無駄にはできないし、可能ならば撃たずに解決するほうがいい。


 レタは不意打ちで枝を投げて、ササキに飛び出させた。隠れている草むらの至近にある木に当てて、跳ね返り落ちた先は草むらからは遠い。片方を狙えばもう片方が留守になる。しかも、隠れたまま狙うには障害物に阻まれる。


 隠れていながら、居所を看破された者の行動は。

 どの出方でもいいよう、レタは立ち止まって、マントの下で銃を抜いている。特殊なドラムと短い銃身の、リボルバー式の改造拳銃だ。


 しばらくして、草むらから手のひらがゆっくりと伸びた。

「降参だ。ゆっくり出るから、撃たないでくれよ」

 手のひらを見せたままで、二人の男が順番に出てきた。

「襲おうとしたのは悪かった。最初に計画したときは、運び屋ギルドとは気づいてなかったんだ。もし気づいてたら、こんなことしなかったさ」

「下手ね。銃の弾だけ置いて、背中を向けなさい」

「実は持ってないんだ。信じてくれ」

「もう見つけてる。信じない」


 男たちは持っていないふりを続けている。ササキを見て理解しない以上、犬の嗅覚で見つけたとは気づいていない。この情報は伏せたままにしたい。かといって、ここで銃を使えば、必要なときに足りなくなるリスクを負う。

 レタは揺さぶりをかけた。

「私としては、後ろから撃たれたらたまらないのだけど」

「撃ち殺すか? 失敗した時点で覚悟はできてる。やりなよ」

「まさか。三人目がいるでしょう。そこで足りなくなったら、嫌ね」


 その言葉を聞いて、二人組は観念し、左手の二本指で銃を持ち上げ、銃口を空に向けて、弾を捨てていった。

「三発で全部だ。見えるな」

「ええ。それじゃあ、さようなら」


 二人組は左右の手を見せたままで背中を向けて歩き去った。レタは銃をそのままに、落ちた弾に近づいた。膝の動きで左手を地面の高さまでおろし、弾を拾い上げた。

 その途中も、念のため周囲に意識を向けた。

 結果は何事もなく移動できるまで済んだ。ササキを撫でて、ケイジを呼ぶ。


「もう大丈夫、行きましょう」


 その一言でようやく緊張から解かれたケイジは、今度は興奮した様子で声を上げた。


「すごいや、まるで映画みたいだった!」

 言葉の続きは、早口だったのもあり聞き取らずに。口を塞ぐ手振りで窘めて、レタの説教が始まった。

「落ち着いて。大丈夫なときも、油断はだめ」


 その映画と違って、一つが解決した直後に次があるかもしれない。今回は距離があったからなんとかなったが、声をあげて居場所を知られてはいけない。静かにしていれば音での察知ができる。そのように教えた。

「ごめん、つい」

「分かればよし。必要な分は教えるから、真似るだけ真似て」

 ケイジは頷く。

 しょぼくれた雰囲気になった。これはこれで別の問題になる。


「映画、好きなの」

 レタは話を切り出す。落ち着いて語る分には積極的だ。相手の分野を知れば、それが意思疎通の効率化になる。

 ケイジは熱心に語りたい衝動を律する方法として、言葉を少しずつ区切って間を開けながら話をした。

「家にたくさんあるんだ。両親に共通の趣味だそうで、帰ったときには一日ごとに、観る日と余韻を味わう日にしてる」

「熱心ね。いいことだよ」


 少しずつ話を進めながら、ときどき分かれ道や周囲の様子の話もして、夕方になりつつある頃にホテルに着いた。

 ケイジはようやく、この日の食事がまだ朝だけだったと気づく。歩き続けた疲れもすっかり忘れていた。

 休憩させて、食べ物はレタが手配する。明日からも歩くので、負担が小さくて栄養が十分なものを選んだ。


 ぐっすりと眠り、明日に備える。レタは窓から周囲を窺ってから眠った。


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