旧2話:刺激的な日々へ

 校門から離れた裏口がレタを招き入れた。

 敷地に入ってから建物の中までは、薄い屋根と砂利落としのマットで道を作っている。この屋根の裏には、よく見ると、ドーム型のカメラが設置されている。外部からは位置を確認できず、いざ下に来ても陰になる部分なので、もし侵入しようとすればどうしても証拠が残る。加えて足元のマットも、細かい落とし物を取るだけで持ち上げるよう要求している。


 レタが通った頃とは別物のように様変わりしている。地域差と言ってしまえばそれまでだが、周囲と比べて使い込まれた様子が薄いので、近年の時勢によるものと見て確実だ。


「ようこそ。寮長のイーナ・デーモでございます。幸運に感謝します」

「ええ。依頼の、払い主もあなたでしょうか」

「いえ、それは彼の両親です」


 扉に案内した。男子寮の匂いが薄れている中、ひとつだけまだ使っている部屋だ。ノックを受けて、内側から開いた。


 踏み入れた部屋は、ベッドの数から三人部屋のようだが、目の前にいる少年の他には誰の気配も見えない。荷物が一人分しかない。その認識も、ハンガー

が余った様子で改めた。一人分よりも少ない、机のメッセンジャーバッグだけだ。


 テーブルで待つ少年の隣にイーナが、その向かい側にレタが座った。


「改めまして。私がレタ・オルフェトです。依頼の人物は、こちらの彼でしょうか」

「はっ、はい。僕はケイジ。ケイジ・ドレンともうします。おみ知り置きを」


 少年ケイジは控えめに、呟くように話した。俯いた赤毛越しにも、目線の先をレタ以外のあちこちへ向けているとわかる。いかにも緊張している様子なので、見かねてイーナが口を開いた。


「私から説明しましょう。見ての通りこの学校は全寮制で、長期休業が始まったばかりです。本来は送迎のバスを使い、各生徒を自宅まで送るはずだったのですが、このケイジは乗り遅れてしまったのです。気づいたときには追いかけられないほど離れていました。どうしたものかと思って、ギルドの人に相談したところ、ちょうどあなたが訪れたのです。無事故無違反で、仕事も早い。信頼できるお方。渡りに船です」


 おべっかが続きそうな気配を察知して、レタは話を誘導した。

「わかりました。まず確認するべきことが三つあります」

スマートフォンに入力の準備をした。


「一つ目。目的地はどちらでしょう」

「地図もあわせて用意しています」


 提示された印刷物には、バスの経路と合わせて書かれている。

 ここからの道程は、バスなら四時間程度だが、徒歩では絶好調でも三日はかかる。今回は体力に難のありそうな少年を連れるのだから、もっとだ。

 幸いにも天気予報は晴ればかりで、雨は降ってもにわか雨程度で済みそうだ。


「わかりました。では二つ目。他の条件は。例えば期日だとか、定時連絡の要不要とか」

「それは、休業明けが四〇日後なので、それより先に着くならよいです。ギリギリでいいので帰省をしてほしいと。年越しを楽しみにしておられます」


 日程には余裕あり。ここに関するメモは「問題なし」とだけ書いた。


「最後に三つ目。これはケイジ本人への質問です」

「ぼ、僕に?」


 レタは念を押すように、ケイジの一挙手一投足を観察しながら話した。


「この厳寒の中、一週間以上の旅をする自信はおありか。時には野宿もするし、野生動物や乱暴な人間に襲われるかもしれない。それらから守るために私がいるけど、恐怖心だけは拭えない。自力で乗り越えてもらうしかない。そんな環境が一週間も続く。もし乗り越えられないと思ったなら、ここで世話になるほうがいい。少なくとも、死ぬよりは」

「僕は‥‥」


 ケイジは話から想像を膨らませた。これまでバスから見た景色のうち、都市らしき場所はわずかな休憩の時だけで、他はどこも土と植物の色をしていた。たまに他の色が見えたときは、乗り捨てられた車とか、武器やバリケードの破片とかだった。前後を走る、護衛用のバスが威圧感を放っていてなお、争乱に巻き込まれる不安は残っていた。


 仮に何もなくとも、寒さだけでも厳しい環境だ。風が身を震わせるには小さな隙間で十分なのに、野宿となったら扉ごとないのだ。

 そんな環境を、二人だけで歩く。一週間も。

「答えは後でもいいよ。どちらにしても今夜は泊めてもらうから、朝までじっくり考えて」

 レタは立ち上がり、遠くの部屋を要求した。重要な話を考えるには、落ち着ける環境が必要だ。物音で気が散ってはならない。イーナも同意し、案内のため扉を開けた。


「オルフェトさんは」

 出る直前にケイジから訊くべき内容があった。

「普段からそんな環境に身を置いているのですか」

「そうね。君と同じくらいの年頃からずっと。この時期の野宿でも、週に二度はある」


 レタは短く伝えた。飾り立てはなく、ありのままに。この短い情報が決め手になった。


「わかりました。僕は決めました。一緒に行きたい」

 ケイジの目は真剣だ。それでも肩には震えが見える。レタが見つめ返すと、一瞬だけ目線を逸らしたが、すぐに再び見つめ返した。初めての経験に飛び込む直前には、誰でもそうなる。決心を固めた目だ。


「いい目をしてる。そうしたら、イーナさん。私は同じ部屋で眠ります」

「同じって、お年頃の男女がいきなりそんな」

「焦らずに。出発したら着くまではそうなるのですよ。安全なうちに、寝るときの様子を見ておきたい。不適な場所を選んだら危険ですから」


 イーナを落ち着かせる目的も兼ねて計画を話した。

「さて、この距離と内容から、日程は十日を見積もります。ケイジは長距離を歩くにはまだ慣れないでしょう。なので休憩を多めに、野宿を最小限にするルートを選びます」


 ケイジの顔に安心が浮かんだ。事情に合わせてくれている。その表情がイーナにも伝搬した。

「ありがとうございます。ケイジをよろしくお願いします」


 イーナは残りの事務や連絡を担って部屋を出た。部屋に残った二人は、今日の眠り方を準備した。

 荷物からハンモックを取り出し、柱にぶら下げる。マントを屋根にして、側面からの風を防ぐ。建物の中に風は吹かないので、手で押したり引いたりして、風がきた時の靡き方を再現する。最後に体を乗せる段階で、マントの下に着込んでいた別のマントを体に巻く。

 これらの動作は四〇秒で済ませた。


「オルフェトさん」

「レタと呼んで。呼び方が長いと危ないから」

「わかりました。レタさん」

「さんもやめて。とにかく短い方がいい」

「そんないきなり、馴れ馴れしく思いませんか」

「死ぬよりはいいよ」

「え」

 ケイジにはなかった発想に、間抜けな声が出た。


「外では、一瞬の出遅れで全てを失う。その一瞬はいつ来るかわからない。常に備えて。その荷物もね」

「バッグの中身、ですか」

「仕切りがないメッセンジャーバッグでしょう。必要な道具を見失ったら、探す間にも危険は迫ってくる」


 ケイジは中身を確認した。大きいものはバスで運ばれているから、残っているのは財布とスマートフォン程度だ。ごく小さな道具だけで広々と使っている。

「どうしたらいいのでしょう」

「とりあえずは、落ち着いてから使うものを下にして、急に使うものを上に。つまり、下が寝袋で、上が水と雨合羽だね」

「えーと、全部いまは持ってません」

「そう。明日は買ってから出発だね」

「お金は後ででもいいでしょうか」

「衣食はギルド持ちになるから、気にしなくていいよ」


 レタはデモンストレーションとして、私物用の鞄を目の前の床に置いた。

「これが私のザック。ここの紐を引っ張ると、」

 言葉通り一瞬の動きで、袋が開き、中身の小分けに丸まった荷物が並ぶ。さながらピクニックシートだ。

「次は逆向きに引っ張ると、」

 端から伸びる紐に引かれて両端が荷物を包み、背嚢の形になった。もう一度床に置いて、今度は閉じると同時にそのまま背負って歩いてみせる。

「こうして早く動けるほどいい」

「すごい、かっこいい!」


 ケイジは話を終えてから目を輝かせっぱなしだ。表情はのんびりとしているが、高揚の匂いを発している。レタとしては、どこかでもたつく懸念があるし、心境を丸出しにするので標的にされやすいのも問題だ。

 とはいえこれらは、次第に改善する。特に興味を向ける先は、取り入れるのも早いものだ。


「ありがと。呼び方の話に戻るけど、私も君をケジと呼んでもいいかな」

 カタカナ表記ではやり取りに違和感があろうが、これは言語圏の違いに起因するものだ。

「もちろん。よろしくお願いします」

「よろしく」

「ところでレタさん」

 ケイジは先の話を思い出した。

「ごめん、レタ。マントの下に服が見えたんだけど、その服で大丈夫なの? 寒そうだし、旅に向いてるとも思えない」

「まあ、そうね。でもそれを補うメリットがある」


 レタはマントを開いた。赤色のワンピースはケイジの見間違いではなかった。胸元と、鼠蹊部から太ももにかけて大穴があり、皮膚を露出している。近くでよ観察するとストッキングらしき生地が見えるが、その距離で観察できるのは顔馴染みだけだ。
 ケイジは不如意に目線が吸い込まれて、その度にあわてて他へ目を向ける。

「そう、その動き。喧嘩を挑まれたときもそうなって注意力が下がる」

 ケイジは身をもって反応を味わうと、納得する以外の選択肢はなかった。


「もう寝ましょうか。睡眠不足だと歩くのも遅くなるからね」

 レタは言うが早いか、ハンモックに飛び込んだ。荷物はお腹で抱くように持ち替えて、巻いた防寒具を固定する。腰のベルトを回して、ホルスターとハンモックの干渉を防ぐ。


 出発は朝だ。

 ケイジは眠れるか不安があったが、他にできることもないので、ご無沙汰になりそうな褥を味わった。

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