15. 少女は最高の駒を得る


「──まぁ、そう来るよね」


 奴隷の手は、私に触れる寸前で止まっていた。


「なんっ、で……!」


「なんで? それは、どの意味で言っているのかな?」


 彼女の突き手は、常人では反応できない速度だった。

 魔族は女ですら凄まじい筋力を誇っている。その中でも彼女は格が違う。弱っていたとしても、その力は充分に伝わってきた。


 でも、今は金縛りにあったようにピクリとも動けなくなっている。


 今、彼女の全身には半透明の糸が無数に絡み付いていた。

 いくら力が強かろうと、呼び動作無しの攻撃であれば拘束は容易い。


 本気で殺そうとしてきた彼女に対して、私は油断していた……ように見えたのだろう。だから襲ってきた。


 ──なのに、追い詰められているのは奴隷だ。

 信じられないのも仕方ないけれど、これが現実なんだ。



「私がただの女の子だと思った? 残念だったね」


 ……いや、魔族は根っからの戦闘民族だ。

 実力を見抜けないほど、馬鹿じゃない。


 むしろ私が只者ではないと判断したから、本気で殺しに来たのかな。




 ──それでも、足りない。




「ねぇ、なんで私が『私に危害を加えるな』と命令しなかったと思う?」


 普通なら奴隷に殺されないために、そう命令する。契約した瞬間、すぐに。


 魔法で『契約』された奴隷は、主人の命令に逆らえない。

 もし逆らおうものなら、奴隷紋から激痛が走るようになっている。


 それでも素早さが段違いな獣人族などは、激痛が走る前に主人を殺せる。


 後は身を引き裂かれるほどの痛みに耐え切れるかの勝負で、耐え切ったら晴れて自由の身だ。

 魔族もそれができる可能性があったのと、油断を誘うためにわざと命令しなかった。


 変に優しくしていたのも、そのためだ。

 そして、彼女は見事に罠に掛かってくれた。



「アハハッ!」


 私は愉快に笑う。


「ハハッ…………はぁ〜、別にね、お前を殺してもいいんだよ」


「──っ!」


 殺気をぶつけられた奴隷は、全身を強張らせた。


「お前を殺して私の傀儡にする。お前は、魔族は質が良い。凄く強くて、『死』さえも恐れない理想の駒が出来上がる。それも、こぉんな簡単に……」


 ナイフを取り出す。

 未だに動けない奴隷の首筋に当てると、相手の鼓動が早くなった。


 魔族にだって死の恐怖はある。


 先程言った通り殺して傀儡にしてしまえば、恐怖を感じない最恐の駒ができるだろう。

 しかも、絶対に裏切らないという利点もある。


「でも、それをしなかった。どうしてだと思う?」


 彼女は完全に気圧されていた。

 人間に、しかも成人していない十歳の少女に圧倒されるという事実が、思考を止めているのかな?


「わから、ない」


 絞り出すように吐かれた言葉は、困惑だった。


「──便利だからだよ」


 それはとても単純な理由だった。

 単純だからこそ、わかりやすい理由でもある。


「それだけ……?」


「最初はね、それだけの理由だった」


「さいしょ、は……どういうこと?」



「その瞳」



「えっ……?」


「暗い闇の底。燃え盛る溶岩のようにドロドロした炎。

 とても、とっても綺麗な──復讐の炎」



 これは一目惚れだ。


 『復讐』という人生の路から外れられなくなった者。

 その道を進まずにはいられない者。


 私と同じ、内側から燃える魂が『あいつを殺させろ』と叫び続けている。


「ねぇ、お前は誰を殺したい? 誰に復讐を誓う?」


 その瞳の奥、そこに眠る『彼女』に呼びかける。

 彼女は戸惑った。直視できないと若干揺れ動いた瞳は、しかしすぐに私を正面から見つめ返す。




「──全て」




 それは先程まで狼狽していた女性のものとは思えないほどの、地獄の底から湧き出るような低く震える声だった。


「ふぅん……?」


 想像通り、いや、それ以上の感情が見えた私は、ニヤリと口角を釣り上げる。


「全てが憎い。私を裏切った父親、兄、配下。そして私を甚振った人間共。全てを殺す。

 ……いいえ、殺すだけではない。最後まで苦痛を与える。骨の髄まで壊して、壊して壊して──殺す。それが私の望み。そうじゃなければ、狂ってしまいそうになる」



 違う。


 彼女はすでに狂っている。

 復讐をその身に刻み、静かに狂っていた。


 狂気に塗れた笑顔を浮かべる奴隷に、私の気分は今、とても高揚していた。


「合格だよ。やっぱり、一目見た時から感じていたこの気持ちは、決して間違いなんかじゃなかった。……最高だよ。最高に気分が良い」


 面白い。

 ……ああ、面白いな。


「お前は私の奴隷であり、駒だ。お前には私の復讐を手伝ってもらう。そして私はお前の復讐を手伝ってあげる。私達は利用して利用される関係だ。でも、『仲間』なんて生温い関係になるつもりはない」


 手を伸ばす。


「ここからは戻れない。普通の生き方は決して叶わない。それでも私と共に来る?」


 すでに奴隷の束縛は解除してある。

 選択するのは──彼女自身だ。


「…………貴女は、私を裏切る?」


 裏切る? 裏切るだって?


「くくっ、あははっ、アハハハハハッ! それはあり得ないな。こんなにも楽しいのに、こんなにも最高の駒を見つけたのに、裏切る!? ハッ、それこそ勿体無い……!」


「ふふっ、勿体無い、ですか……ええ、ええ、そうですね。その通りです。貴女様とならば、最高の復讐を成せる。ならば、私に迷いなんてありません」



 彼女の答えを聞いていると、何もかもが楽しく思えてしまう。


 この子となら、私だけでは不可能なことができてしまうだろう。

 沢山、たっくさん、復讐することができるだろう。


 そう思うと、楽しくて楽しくて仕方がない!



「……そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」


「名前、ですか? プリシラ。プリシラ・ヴェールです」


「プリシラね。……私はノア・レイリア」


「ノア・レイリア。それが、私のご主人様のお名前……」


 伸ばされた手を、プリシラは確かに掴み返した。


 こうして私は、最高の駒を手に入れたのだった。


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