14. 少女は奴隷を買う


 何日も洗われていないボサボサの白い髪。

 美人だったのであろう彼女の顔は、今はやせこけていて生気を感じられない、酷く弱い息遣い。


 動きを封じるためなのだろう。

 彼女の全身は頑丈な鎖で縛られていて、そこからは薄っすらと魔法陣が浮かび上がっている。魔力の波長から見て、弱体化の効果があるものだ。それが幾重にも重なって描かれている。



 ……随分と徹底しているなぁ。



 一人の奴隷にやるような仕打ちじゃない。


 全く動く気配がしないそれは、今にでも死んでしまいそう──いや、生きていることすら不思議な状態なのに、彼女こそが他の誰よりも『強者』なのだと、本能がそう言っている。


 それにあの瞳。

 全てを諦めているかのように見えて、その奥には激しく燃え盛る業火を宿している。狂っているとしか言い表せない激情。



 ──あれは、私と同じだ。



「お客様、それ以上は危険です」


 手を伸ばそうとしたところで、奴隷商人に止められる。


「あれは魔族。途轍もなく危険で、いつ寝首を掻かれるか……命が惜しいのなら、手を出すことをお勧めしません」


 人を物以下に扱う奴隷商人が、本気で私を心配している。

 あの姿を見て相当危険なのだろうとは思っていたけれど、まさか『魔族』だったとはね。


 『魔族』は遥か昔から人間と敵対している種族で、女子供だろうと凄まじい力を持っている。

 魔族の兵士となれば、十人の人間兵と互角にやり合うほどだ。


 それほどの実力を持っているのに、よく奴隷にできたものだ。


「前に行き倒れている魔族を見つけまして。顔が良くスタイルも中々。これは運が良いと奴隷にしたのですが……いやはや、女とは言っても流石は魔族。扱いに困っていて……」


「だからと言って手放したら、奴隷は必ず報復に来る。それが怖くて今に至ると?」


「お恥ずかしながら」


「…………ふむ、いいね」


「…………は?」


 中に入る。

 ぐったりとしていた魔族が、私を見た。



「ああ、やっぱり……良い目だ」


 美しいと、そう思えてしまう復讐者の目。

 そっと痩せこけた頬に触れる。


「あ、う……ぁ……ぐ、ぁ……!」


 言葉を発することが制限されているのか、それとも喉を潰されているのか。

 それでも彼女は、明確な敵意を私にぶつけてくる。


 射殺すような視線と、剥き出しの歯。獣のような唸り声。


 ガチャガチャと鎖が軋みを上げ、地下全体に響き渡る。


「いい。いいよ、それ。ますます気に入った」


 魔族の威嚇に、私は笑みを深くさせる。

 この世界で、二度目の人生で『同類』を見つけられた。


 ──それが嬉しくて堪らない。



「商人。こいつを買う。いくら?」


「……本当に、よろしいのですか?」


 あり得ない。

 そのような顔をされた。


「くどい。いくらかと聞いているの」


「…………二十万リフです」


「なんだ。随分と安いね」


 魔族の奴隷は希少だ。

 最低でも四十万は値が張ると思っていた。


 素直な意見を言うと、商人は困り顔を作った。


「さっさと手放したい、というのが本音ですので。なんなら、もっと値引きいたしますが……」


「その代わりにポーションと綺麗な服を付けて」


 きっちり二十万。奴隷商人に渡す。


「……かしこまりました。それでは奴隷との契約をお願いします」


「どうすればいい?」


「お客様の魔力を奴隷紋に流せば完了です」


「……この、手のひらにあるやつ?」


「はい。それでございます」


 紫色のインクで描かれたそれは、過去に何度か見たことのある奴隷の証と同じものだった。これが『奴隷紋』というのは、今初めて知った。


 手に魔力を込めて、魔族に刻まれた奴隷紋に触れる。


「……ぁ、ガァアアアアアッ、アアアアッ!!」


 奴隷紋が光を放ち、私の手に焼け付くような痛みが走った。

 見ると、私にも同じような紋章が浮かび上がっていた。


「これにて契約の方は完了です」


「……これが、契約の証なんだね」


「ええ。……では、体を洗って着替えさせたいのですが、その間、私共に危害を加えないと命令していただけますか?」


 こちらとしても奴隷の体を洗ってくれるのなら、ありがたい。

 『命に関わること以外なら決して動くな』と命令すると、奴隷商人は大男を二人呼んで私の奴隷を連れて行った。






 外に出て待っていること数分。


 最緑色の液体が入った瓶を持った奴隷商人が、最低限に整えられた奴隷を連れてやって来た。


「お待たせしました。それと、こちらがポーションです」


「ん、それじゃあ私達はこれで帰るから」


「はい。またのご利用、お待ちしております」


 営業スマイルで見送られて、私達はその場を後にする。

 歩いて五分といったところで立ち止まると、私の後ろを静かに付いて来ていた奴隷も同じく止まった。


「これ……」


 奴隷商人から貰ったポーションを渡す。


「それを飲めば喉が治る。……多分、傷も」


 受け取った奴隷は戸惑うように私を見ていたけれど、さっさと飲めと言いたげな私の視線に気付いたのか、僅かに逡巡してからそれを飲み干した。


 奴隷の傷は、目に見えるほど綺麗に癒えていく。



「ぁ……、あ、あー……のど、が、なおった……?」


 まだ完全ではないけれど、ちゃんと言葉を話せるようになっている。

 そして、初めて声を聞いてわかったことがある。


 ……この子の声、凄く綺麗。


 そこら辺の男共を簡単に魅了してしまうような、優しく透き通る声だ。


 今は着飾っていなくても、きっとこの子は美人だ。

 動きもそれとなく気品溢れているから、もしかしたら魔族のお偉いさんだったのかもしれない。


「急に喋ると喉を痛める。しばらくは大人しくしていた方がいい」


 奴隷はコクコクと頷いた。


「それで、あなたの名前だけれど」


「──ごめんなさい」


 奴隷は私の声を遮り、凄まじい速さで鋭利な爪を突き出した。



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