9. シチューの味




 目覚めた私の鼻孔をくすぐったのは、ミルクのような優しい香りだった。


「あ、起きた? おはよう。もう少しで出来るから、待っていて」


 外から顔を覗かせたのは、アメリアだ。


「もう次からはちゃんとしたベッドで眠らなきゃダメよ? 綺麗な環境になるだけで生活の質も違うんだから……特に女の子は気を付けるべきよ」


 起き上がろうと思って腕に力を入れると、下に敷いてあったベッドシーツからお日様の匂いがした。

 寝惚け眼のまま小屋の中を見回すと、埃まみれだった中が綺麗に掃除されている。


 ……私が眠っている間に、色々とやってくれたみたいだ。



「……ありがとう、アメリア。それとごめんね。雑用みたいなことやらせちゃって」


「良いのよ良いのよ。私が勝手にやっただけだから気にしないで」


 寝起きに背伸びをして、外に出る。

 すると、先程の匂いの正体がわかった。



「シチュー、作ってくれたの?」


「要らないだろうけれど、どうせなら栄養がある料理の方がいいと思ってね。打ち所が悪くて形が悪くなっちゃった動物の肉と、持ち合わせの材料を使って作ってみたのよ」


 ミルクのような匂いは、アメリアが作ってくれたシチューだった。


 この体ではいつも食べていた料理なのに、とても久しぶりな気がしてしまう。

 一度目で料理という料理を食べたのは、いつだったっけ……思い出せないくらい昔のことだ。



「美味しそう……」


「ちゃんとした材料があればもっと良い味を出せたのだけれど、持ち合わせでごめんなさいね。でも味は保証するわよ!」


 アメリアはよく皆に料理を振舞ってくれた。

 そのお手伝いを何回かしているうちに、私も料理を覚えたんだった。


 本当に、懐かしい。


「はい。熱いうちに召し上がれ」


 器に注がれたシチューを差し出される。


「……いただきます」


 それを受け取った私は、息を吹いて少し冷ました後、木彫りのスプーンで掬ったものを口に運んだ。

 ほんのりとした甘さが口内に伝わって、飲み込むと体の中心辺りからポカポカしたものが広がる。




「ノアちゃん!? ちょっとどうしたのよ!」



 言われて気付く。

 私は──泣いていた。



「おいしい、よ……おいしい」


 でも、それが気にならないくらいに、私はシチューを次々と口に運んだ。

 その度に涙が溢れてきて、止まらない。


「お母さんのシチューと、同じ味だ……」


 やっぱり私は、寂しかったんだと思う。


 あの日、みんなが死んでいたと思い知らされた時、私の中の全てが崩れて壊れたような感覚がした。


 どんなに頑張っても家族は帰ってこない。

 その現実を突きつけられた私は、『私』という存在を自分で殺してしまった。


 でも、こうして温かいものに触れて、その寂しいという気持ちが再び出てきてしまったんだ。



「美味しいよ。ありがとう、アメリ、ぁ」


 おかしいな。

 今さっき起きたばかりなのに、また眠くなっちゃった。


 これじゃ……ただの子供みたいじゃないか。



「いいのよ、ノアちゃん。……今はゆっくり眠りなさい」


「……ぅ、ん」


 暖かな焚き火の熱と、温かなシチュー。

 それに安心した私はゆっくりと、瞼を閉じていった。


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