マッサージしてあげる

「外人さん達は、サムライが強い事をよく知ってるのね。清国人なんかは銃で脅せばどうにでもなった。しかし日本のサムライは、そうはいかない……と。だから、軍艦の艦載砲で沿岸を攻撃する事は出来ても、陸戦になれば歯が立たぬ、って」

「ああ」

「アメリカだって、正面切って日本と戦争するつもりはないの。だって~、アメリカ遠いもん」

 ライカは筆をとり、半紙に下手くそな世界地図を描いた。

 そして日本、英国、アメリカ、上海香港、ロシア……などと主要な国名や地名を書き加える。

 彼は、目を輝かせつつ、ライカの手元を覗き込んだ。

 確かに以前、老中阿部正弘から見せてもらった世界地図と、概ね一致しているようである。

(こやつ、まさしく未来人だな……)

 そう思わざるを得ない。当世、庶民のおなごで、大雑把とはいえ世界地図をそらで・・・描ける者など居る筈がないのである。

「我が国は……こまいのう」

「そう。アメリカなんか、日本の何十倍もあるの~」

「……」

 彼は、左様かと嘆息する。

「アメリカの首都は、ここね。アメリカ大統領はここに居る」

 ライカはワシントンD.C.の位置に点を描いた。

「ハリスはこうやって大西洋を渡り、確かまだスエズ運河はない筈だから……こうやってアフリカを迂回して、インドに辿り着くの。で、東インド艦隊と合流して、香港だか上海を経由して下田にやって来るわけ」

「遠いのう……。日数はどの位かかるのか」

「多分、半年とかその位よ。……そこはオランダ人とか、外人さんにも確認して欲しいんだけど」

「なるほど」

「そしてもうひとつが、逆周りの太平洋横断ルートね。こっちの方が少し近いけど、寄港地がなくて太平洋をダイレクトに渡るから、確か難易度が高い筈なの」

 ライカは、北米大陸を南下しチリ、アルゼンチンを迂回し太平洋に出るルートを示す。

「私の時代だと、ここにパナマ運河ってのがあって、軍艦も通行出来るんだけどね。多分、まだ出来てない筈なの~。だから、すっごい大回りになるわけ。江戸に辿り着くまで何ヶ月かかるやら」

「ほう。なるほど遠いのう……」

「そうなの~。だから条約交渉がこじれてしまうのは、ハリスにとっても困るのよ。日本との開戦の決断だって、本国を往復して大統領の裁可を取らなければ、無理だと思うよ」

「その裁可を得るためには、使者を本国に送り一年ばかし待たねばならぬ、と」

「そういう事ね。しかも今のアメリカには、本格的に日本と戦争するような海軍力は、無いと思うよ。これもオランダ人とか、外人さんに確認して欲しいんだけど……。『アメリカの東インド艦隊は、何隻位の艦船を保有してるのか』って。あ、それと『パナマ運河』『スエズ運河』があるかどうかも要確認ね」

 ふう、と彼は大きく息を吐いた。

「つまり、あれか……。ハリスとて、本気でいくさをする気はさらさら無い。たまに空砲など撃って、我らを脅すのがせいぜいだ、と。とにかく恫喝し、急かしつつ、一刻も早う条約締結を迫るのみ……と」

「そうそう。さすが、次期将軍様ね。よくお分かりで~」

 ライカはニコニコと笑みを浮かべた。

「もし戦さとなるにせよ、一年は仕度の猶予が出来るということか……」

「うん。そうそう」

 彼はゴロリと布団に寝転がった。

「めりけん国が条約締結を急かす。されど朝廷の勅許は得られず。掃部頭が窮し、条約に調印する……。それぞ過ちの元、か。過ちの元が明確なれば、即ちそを取り除くべし……と」

 そう呟く彼の顔には、濃い疲労の色が滲んでいた。

 ライカはそれに気付き、一瞬の思案の後、居住まいを正して彼に声をかけた。

「あの……、マッサージしてあげる」

「まっさぁじ?」

「あ、按摩あんま……って言ったらいいのかな」

「おう。頼む」

 ライカは彼の額を軽く指圧し、それから目元をマッサージし始めた。

 彼の目の周りには、薄いくまが出来ている。

(凄く疲れてるみたい)

 朝からつい先程まで、ほとんど休む間もなかった、と言っていたのを思い出す。昨晩もほとんど寝ていない筈である。

(ホントに大変なんだぁ……)

 丁寧に目元やこめかみをほぐし、充分に時間をかけ頬や首根っこを揉む。

「顔の按摩など、聞いたことがない」

 と言いつつも、彼は心地よさそうにしている。

「さあ、次はうつ伏せになって下さい」

 ライカに促され、彼は掛け布団をまくるとうつ伏せに寝る。

「失礼しま~す」

 ライカはそう声をかけると、彼の背に馬乗りになった。そして再度首根っこから肩、背中と順にほぐしてゆく。

 彼はその心地よさと、背中に彼女の尻の柔らかさを感じつつ……いつしか寝落ちしてしまった。

(あら……)

 彼の、多忙な一日が漸く終ったらしい。

 ライカはそのまま彼の腰から足先まで、いたわるように念入りに、マッサージを続ける。

(あたしはこの人のために、今出来ることを、やる……)

 ぐうぐうと寝息を立て熟睡する彼に、そっと布団を掛けつつ、ライカは改めて自らの役割を意識した。

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