日本のキンがゴッソリ盗まれるの

 黒船、即ちペリー艦隊の来航以来、幕府の弱腰外交姿勢に世間の不満が爆発した。

 幕府の威信は大いに低下し、それに反比例し尊皇論が噴出する。

 この機に乗じたのが、薩摩や長州などの西国外様諸藩である。

 彼らは関ヶ原以来の不遇に対する不満を、二六〇年間ずっと胸に温め続けていたのである。例えば長州藩などは、藩主と腹心が、

「倒幕の事は如何に?」

「時期尚早」

 と、密かに会話を交わすのが毎年正月の恒例行事となっていたらしい。

 両藩はここぞとばかり、朝廷に食い込み、盛んに政治工作を行った。その成果もあり、時の孝明天皇は、国際情勢へのうとさも相まってガチガチの攘夷論者だった。

 二ヶ月前に大老に就任した井伊掃部頭も、改めて朝廷に働きかけ、開国の勅許を得ようとした。しかし状況は捗々しくない。

「ほ~ら、やっぱしそうなんだ……」

 ライカは彼の説明に、大きく頷いた。

「でね、あたしの知識によれば……。井伊大老は勅許を得られないまま、結局ハリスに押し切られて日米修好通商条約ってのを結ぶの。でもそれが、いわゆる不平等条約ってヤツで、色々問題があるのよね」

「問題?」

「あたし達がガッコで教わるのは、二つだけ」

「ほう……。申せ」

「ひとつは、関税自主権がない、って事ね」

 なるほど、と彼は頷く。

 商取引を行う際、日本側が任意に関税をかけられないの、とライカは説く。

 米国側は日本からの輸入品に、自由に関税を設定出来る。しかし日本側にその権利がない、不平等な条約だというのである。

「これって物凄い、不利益な事なの。……いや、アメリカだけじゃないよ。この後、他の国々とも通商条約を結ぶ事になるけど、全部アメリカとの条約にならって同じような不平等条約を飲まされるわけ」

「……」

「その不平等を撤廃するのに、この後何十年もかかるの。絶対、飲んじゃダメ」

 ライカは拳を握り、力説する。

「もうひとつが、領事裁判権を認めてしまった事ね」

「そは、何ぞ?」

「例えば外人さんが、日本国内で犯罪を犯すとするでしょ。その外人さんを、日本側が日本の法律で処罰出来ないの。外人さんが自国の領事館に逃げ込んでしまえば、どうにもならない」

「それはマズかろう」

「その逆も、多分もっと厄介だよ。例えば日本人が外人さんに行った事が、日本の法律では合法だとしても、アメリカの領事とか公使に処罰されたりするの。下手するとアメリカから公式に抗議されるし~」

 なるほどそれもマズい、と彼は頭を抱え込んだ。

「これもね、日本が未開国だからって口実で、アメリカから強引に飲まされた不平等条項なのね。で、後々これを撤廃するのに、何十年もかかる。だから絶対、飲んじゃダメ」

 ふう、とふたりして顔を見合わせ、溜息をつく。

「どちらも難題だな」

「あたし達がガッコの歴史授業で教わるのは、その二つなんだけどね。でも多分、もっと大きな問題があるの。あたしもつい最近知ったんだけど……」

「おう。申せ申せ」

「日本のキンが、ゴッソリ大量に盗まれるの。アメリカに」

 はあっ!?、と彼は目を剥いた。

「ゆゆしき事態ではないか」

「そうでしょ!? ここ数日、この時代のお金について調べてみたんだけど、まだよく分かんないのよね~。なんか複雑過ぎて」

「……」

「でもひとつだけ解っている事は、金と銀の交換比率が、国際相場と異なるせいだ……ってコト」

「どういう事だ?」

「あたしの知識では……日本は銀の価値が高くて、金と銀の交換比率が一対五らしいんだけど。でも国際的には一対一五らしいの」

 さっぱり解らぬ、と彼は首を横に振った。

 殿様たる者の哀しさで、元来金銭感覚に疎い。おまけに疲労がつのり、頭が回らない。

「例えばさ、外人さんが日本に銀を五枚持ち込んで、日本で金を一枚買うでしょ!? で、それを海外に持ち出せば、銀を一五枚買えるのよ」

「おう。それは解かる」

「で、外人さんは銀一五枚を持って日本に戻ると、日本国内では金を三枚買えるわけ」

「ふむ」

「そして、その外人さんは金三枚を海外に持ち出して、また銀を買うの~」

「おう。金三枚ならば……銀を四五枚、買える計算か」

 彼は素早く暗算し、答える。

「そうそう。で、それをまた日本に持ち込めば、どうなる?」

「そうか……。金を九枚買えるな」

「そうなの~。それをずっと続けると、外人さんはすっごく儲かるわけよ。そして日本からはどんどん金が流出しちゃう」

 ――大雑把に説明すれば、そういう事らしいよ、とライカは語る。

 彼は、事の本質を理解した。と同時に顔色が変わった。

「それは……非常にマズではないか」

「そうよ。あたしの居た一五〇年後の時代って、社会がすっごく発展してて、この時代と全然違うのね。でもさ、日頃、全くキンを見かけないの」

「ふむ」

「この時代だと、あちこちに金が使われてるよね。通貨だって小判とか一分金とか、フツーに沢山出回ってるし」

「まあ、そうだな……」

「つまり、この時代の日本にはまだ、金が沢山あったのよ。な~んか、昔の日本は世界有数の金産出国だった……って聞いたこともあるし」

「……」

「そんなに金があった日本は、この先百年でかなり豊かになる筈なんだけど、逆に金はゴッソリ無くなってるわけ」

「ほう」

「何故かって言うと、ハリスが日本に詐欺同然の不平等条約を結ばせて、その後荒稼ぎするの」

「どういう事だ?」

「条約締結と同時に、ハリスは軍艦一杯銀を持ち込んで、日本の金を買い占めるらしいの~。で、それを軍艦で香港だか上海に持ち出し、また銀を大量に買い込んで日本に持ち込む。そして日本の金を買い占めて、海外に持ち出す」

 再び、彼の顔色が変わった。

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