詳しゅう聞かせろ

 一橋刑部卿。――

 面長の、キリリとした貴人顔である。

 何をやらせても達者で、弁も立つ。相当な切れ者と世間に名高い。

 人気もある。歳も九つ、刑部卿の方が年長である。彼にとっては、いわば政敵ライバルにあたる。

 元々一二代将軍家慶いえよしが刑部卿を見込み、後々将軍後継とすべく動いていた。水戸徳川家の当主・烈公斉昭が、数ある息子達の中から刑部卿の素質を見抜き、跡継ぎとすべく温存していたが、それを将軍家慶自ら、

「いや、いずれ七郎麻呂殿(刑部卿)を将軍後継にしよう」

 と口説いたらしい。

 その布石として、御三卿のひとつである一橋家を、刑部卿に相続させた。一〇年ばかし前の話である。

 その上で刑部卿を将軍後継に宣言しようとして、周囲の反対にあい失敗。されば女人と交わることも出来ぬ息子・家定の後継に……と考えていた矢先、事もあろうにその将軍家慶が急死した。時まさに黒船来航直後の、混乱の真っ只中である。

 そういった経緯を考えれば、本来ならば一橋刑部卿こそが一四代将軍となって然るべきであった。しかし大老井伊掃部頭をはじめとする幕閣の思惑により、彼の方が先に将軍後継と定まった。

 彼は一橋刑部卿に対し、そういった負い目を感じている。

「申し訳ござらぬ」

 おそらく幾ばくかのわだかまりをいだきつつ挨拶に来訪したであろう、二人の機先を制するかのように、彼は馬上、頭を下げた。

「本来ならば刑部殿こそが、一四代将軍後継に相応しいものを、図らずもそれがしの方が選ばれてしまいました。面目ござらぬ」

「いやいや」

 面長の刑部卿は男前な微笑を浮かべつつ、首を左右に振った。

「これでよろしゅうござる。常々周囲の者には申しておるが、それがしは将軍になぞなりとうないので」

「それは、それがしとて同様ですな。貧乏クジを引かされた思いが致します」

 彼は苦笑する。

「越前殿にとっては不服であろうが……」

「いえいえ。左様な事はございませぬ」

 とにこやかに首を振ったのは、賢侯と名高い松平春嶽(越前守)である。女人のように柔和な顔付きをしている。

「紀州殿が将軍後継となる事に、不服など一切ございませぬ。お若いながらもご立派な御方である事は重々承知しておりまする」

 ――お若いからこそ将軍職は重荷だろうと、年長者の刑部卿を推したのだ、と春嶽は言う。

「されど紀州殿が次期将軍とお決まりあそばされた以上、それがし微力ながらも、誠心誠意お仕え申し上げる所存にございまする」

 春嶽は丁寧に頭を下げた。

 最善ならぬ、次善の選択がなされたというだけの事情に過ぎない。互いに互いの事情を知り尽くしているので、今回の決定にそれぞれが納得しているのである。

「よろしゅう頼む」

 彼も馬上、春嶽に頭を下げた。

「ところで刑部殿、越前殿。それがし先を急いでおるので、これにて失礼申し上げる。ちなみに明日早速、将軍名代としてひとつ重大な決定を下す事になると思われるゆえ、お二人方には朝早めに登城しては貰えぬだろうか。事前に打ち合わせをしておきたい」

「ほう、承知つかまつった。されば明朝、辰の刻(午前八時頃)過ぎに……」

 刑部卿が、春嶽と顔を見合わせつつこたえる。

「さればこれにて……失礼」

 彼は即座に与太郎に鞭を入れると、与太郎は、ひひ~んっ、と大きく嘶き、飛ぶように駆け出した。気性穏やかで彼によく懐き、かつ良く走る名馬だが、何故かお忍びの時に限ってやたらと嘶く。だから『与太郎』である。

 駆け出してすぐ、背後から別の馬の駆ける足音が聞こえてきた。

(すわ、何者ぞ!?)

 と警戒するも束の間、

「殿っ」

 と追っ手が彼に小声で呼びかけてきた。振り返ると、御庭番の赤丸である。

「なんだ、お前か……」

 ほっと胸を撫で下ろす。

「お供つかまつる」

 赤丸は与太郎のすぐ後ろにぴたりと馬を付けてきた。

(参ったな……)

 追い返そうと思い、再度振り向いたが、赤丸は梃子でも動かぬといった風である。

 やむを得ぬ、とそのまま駆けた。

 どうにか町木戸が閉まらぬうちに、品川に辿り着いた。

 馬を下りいつもの郭に飛び込むと、

「お前はどこぞで待っておれ」

 と赤丸を別の部屋に控えさせ、それからライカを指名した。ライカは別のお座敷に出ていたが、すぐに彼の座敷へとやって来た。

「福之介様っ」

 ライカは飛び込むように彼の傍らに座り、

「色々と、ありがとうございます」

 深々と頭を下げる。

「良い良い。……それより昨晩の続きだ。もそっと詳しゅう、話をせい。聞きたい事が山ほどある」

「ちょっと待って~」

 ライカはすぐに立ち上がり、座敷を出てバタバタと階段を降りると、程なく膳を二つ抱えて戻ってきた。

 盃に酒を注がれるよりも早く、彼はライカに促す。

「掃部頭について、詳しゅう聞かせろ」

「井伊大老……でしたっけ?」

「そうだ」

 ライカは小首を傾げる。

「あたしも、あんまし詳しい事は知らないの」

「知っておる事だけでよい。全て話せ」

「ハリス……だったかな。アメリカの公使」

「左様」

「通商条約を結べ、って幕府に対し強硬に要求してくるの。で、井伊大老は確か、幕府があっさりアメリカの要求を飲むのはマズいと考えて、朝廷の同意を得ようとするのね。……多分、朝廷の同意を得られたら、国内の反対派の人達も納得するだろう、って考えたんじゃないかな」

 ライカの漠然とした認識は、概ね当たっている。

 二一世紀の今日、日本は単一国家であるが、そもそもは多くの国々から成る連邦国家である。

 だからこそ、その本来の首長たる天皇は『みかど』と呼ばれた。今日における天皇の英訳も、『King』ではなく『Emperor』である。

 徳川家はその天皇家より、代々征夷大将軍職を授けられ、三百諸侯を束ねつつ行政を委ねられていた。行政は徳川幕府の専横事項であり、天皇および朝廷は行政に一切関与しない……というのが二六〇年の慣例である。

 そのため、庶民は概ね、

 ――徳川様が一番偉い。

 と思い込んでいたが、武家など知識層は、

 ――京におわす天子様(天皇、及び朝廷)こそが最も尊き存在である。

 と知っていた。故に外交問題で威信を低下させた徳川幕府に代わり、

 ――今こそ朝廷主導の政治体制に改めるべき。

 というコンセンサスを醸出しつつあった。それが当世の『尊皇論』である。

 幕閣は尊皇論の高まる中、勅許(天皇のお墨付き)を得て外交問題を解決すべし、と考えた。世間では攘夷論の方が圧倒的に強いものの、開国は避けられぬ状況にあった。そこで攘夷派を宥めつつ穏便に外交政策を推めるべく、時の孝明天皇より開国の勅許を得ようと考えたのである。

 二ヶ月程前に大老に就任した井伊掃部頭も、まさにその方針を踏襲し、動いた。しかし現状は捗々はかばかしくない。

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