徳川の世は一五代で終わり!?

 奥座敷に、福之介こと家茂と、ライカの二人。――

「そなた、なぜ『家茂』の名を知っておるのか? ワシはつい先刻、その名を思い付いたに過ぎぬ」

 ライカはにこにこと笑う。

「だってぇ、あたし一五〇年先の時代から来たから……」

「それはまことか? てっきり、冗談かと思い聞き流したが」

「あたしだって、まだ全然信じられないんだけど。でも受け入れるしかないよね~。ふと気がついたら江戸時代にいたんだもん。タイムスリップってヤツだと思うんだけど、まさかホントにあるとは思わなかったよ」

「た、たいむ……何ぞや?」

「英語だよ。別の時代に移動しちゃった、ってコト」

「つまり、もっと後の世から来たというのか? それゆえ、ワシが近々一四代将軍に就任し『家茂』と名乗る事を知っている、と」

「そうそう。あたし歴史マニアだからぁ、この時代の事も少しは知ってるよ」

 彼は小さく唸り声を上げ、腕を組んで考え込む。話の辻褄は合っている。だが本当にそのような事があり得るのか。――

「よし、さればそなたに尋ねる。が一四代将軍となるのは、確かなのだな。……されば余の次、つまり一五代将軍は誰だ」

 素性が割れている以上、取り繕っても仕方がない。彼は素の口調に戻す。

「えっと一五代目は……慶喜よしのぶ様」

 ライカは即答する。

 ほう。――

 まあ、それは大いに考えられる事だ。極々無難な返答だろう。

 ――一橋刑部卿(慶喜)は大層英明であらせられる。

 と世間では非常に人気が高く、実際一四代将軍の最有力候補であった。しかし水戸の出であるため幕閣においては不人気で、余の方が一四代将軍に内定した。いずれ余の後継者を選ぶ段になれば、あらためて一橋刑部卿が一五代将軍となる蓋然性が高い。

(このおなごは、それを見越して言うておるだけやもしれぬ)

 そう疑い、彼はさらに尋ねた。

「されば、その次の一六代将軍は誰か?」

「いないよ~。慶喜様が最後の将軍……様」

「ええっ!?」

 どういうことか。さすがに、腰を抜かさんばかりに驚いた。

「それはつまり、徳川の世が終わる……という意味か?」

「そうそう」

 そんなことがあり得るのか!?――

 権現様(家康公)以来、二六〇年。まあ、この国の長い歴史を考えれば、二六〇年は短いと言えるかもしれないが、それでも既に下々の者は皆、

 ――御公儀こうぎ(徳川幕府)は天地と共にある。

 と認識している。

 天や地は遥か太古の昔より今日まで、永遠に存続し、それがある日突然消失するとは誰も想像すらしない。それと同じく、徳川とくせんの御世はこれまでも今後も永続する、と極々自然に認識されているのである。近々突如として終焉するなぞ、誰一人として夢にも思っていない。

 これは近年『尊皇』を口にする連中とて同様である。連中も、古き慣例に倣い朝廷が政治の決定権を得る事を望んではいるが、かと言って徳川を倒そうだとか、徳川の世が終焉する……という思いにまでは至っていない。

 なお、彼自身はまさにその徳川の人間である。

 だからこそ、公儀が二六〇年間、苦心惨憺して政権運営を行っている実情を熟知している。それゆえ徳川の世がこの先も永遠に続く……と言うわけではないが、しかし彼のすぐ次の代で将軍が途絶えると聞けば、これは大いに驚かざるを得ない。

「もそっと詳しゅう話せ」

 彼はライカに促した。ライカは少し考え込んだが、すぐに口を開いた。

「時代が変わったの~」

「どういうことだ?」

「日本は四方を海に囲まれてるでしょ。だから今まで大丈夫だったの。周辺国から攻め込まれるリスクが低かった……ってわけ」

「リスクとは、何ぞ?」

「あ、ゴメン。『危険性』って言ったらいいのかな? 例えば鎌倉時代には、元軍が博多に攻めて来たでしょ!? あと、それよりずっと前にも、何度か対馬を攻められてるんだけど、その都度奪い返すことが出来た」

「そのようだな」

「そういう潜在的リスク……危険性は大昔からあったんだけど、周辺の国々は造船技術も航海術も未熟だったから~、日本は海に守られてどうにか凌げた、ってわけ。一五〇年後なら『国防』って言葉を使うんだけど」

 ふむ、と彼は頷く。

「だけど時代が変わっちゃって、これからはそうはいかない……ってこと。確か少し前、ペリーがやって来た筈だよね。あたしの記憶だと、今この時期より少し前だと思うんだけど~」

「おう、めりけん・・・・国のペルリ提督のことか。五年ばかし前にやって来おったぞ」

「つまり西洋人の造船技術や航海技術がすっごく発達して、どんなに遠くからでも簡単に、ここ日本へやってこれる時代になった……ってわけ。だから今後、海は日本を守ってくれない。いつでも諸外国から、簡単に侵略される危険性が高まっているってこと」

 彼は唸った。このおなご、庶民の癖に、よく解っているではないか。――

 知識人達は既にここ数年で、それなりの国際感覚を養っている。しかし庶民のおなごが、ごく普通にそれを語れるものではない。

 黒船来航により、下々にいたるまで外夷に対する危機意識こそ高まった。しかし国際情勢の認識ともなると、また別の話である。現に、危機感のみ在って国際情勢の認識が欠落しているからこそ、『攘夷』などという空虚な論が世を席巻しているのである。

 ところがライカは、話しぶりこそあまり賢そうには感じられないが、言っている事は非常に理に適っている。

「で、これから日本は大変な時代に突入するわけ。今がその『転換期』なの」

 ライカの言う『時代が変わったの~』とは、つまり今まさに時代の転換期だという指摘らしい。

「それは重々承知しておる。で、この先、いかなる歴史を辿るのか?」

「えっとぉ、あたしの知識ではね……。徳川幕府のシステムは古過ぎて、時代の変化に対応出来ない。そこに漠然と不安、不満を抱く連中がたくさん出てきて~」

「尊皇攘夷派の連中のことか」

「そうそう。いや、佐幕派の人達も同じだよ。それでこれから、世の中が大混乱に陥るの。……って言うか、もう随分混乱してるみたいだけどね。で、結局徳川幕府が倒れて、明治天皇中心の新しい政府が誕生するの~」

「それは……余の次の一五代将軍の代に、公儀とくせんは朝廷に敗けるということか?」

「そうそう。いや、敗けるのかな~? 良くわかんないけど」

「どういう意味だ? よう解らぬ」

「あたしの知識だと、慶喜様ってのはすっごくアタマ良かったらしくて~。徳川幕府がしつこく粘って政権握ってても、国内の大混乱が続くだけだ、と」

「……」

「その隙に外国から攻め込まれたら、日本はお終いだ……って判断して、さっさと自ら政権を朝廷に返還しちゃったの。で、ご自身は隠居して静岡……駿府だっけ?、に引っ込んじゃった」

 むう……、と彼は腕組みしたまま考え込んでしまった。

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