【改訂版】ふはははは~。倒幕派を殲滅してやったぞ~♪
幸田 蒼之助
一、
え~~っ!! もしかして一四代将軍様ですか!?
少年はその日、少年はその日、次期将軍に内定した。
(苦痛でしかない)
神妙な顔で告示を受けつつも、少年は内心、鬱々たる思いであった。自ら望んだものではない。すったもんだの末の、政治的決着というヤツである。
(将軍なんざ、貧乏
折悪しく、世は大いに混乱している。
激動と言って良いだろう。今まさに時代の転換期にあたるであろう事は、少年の目にも明らかである。
そんな折も折、自ら進んで将軍になろうと思う者などおるまい。しかし
「殿、誠にお目出度うございまする」
揃って頭を下げる側近らに、
「冗談じゃない」
と軽く怒鳴りつけつつ、静かに
赤坂の紀伊藩邸は目と鼻の先である。近場ゆえ、騎馬にて側近二〇名と共に藩邸へ戻る。
夕七つ(午後四時)といった頃合いである。
陽はなお高い筈であるが、
(遠からず、将軍就任か……)
やむを得ぬ、と少年は馬上、覚悟を決めた。
いやその重責を思えば、まだまだ覚悟が足りていないかもしれない。平時ならばともかく、激動の時代における将軍職である。その重責は計り知れない。
「いずれ将軍になれば、名も改めるべきであろうかのう……。『
彼は何気なく、世間話でもするかのように側近らにそう語るうち、藩邸に帰着した。
そのままするりと皆の前から姿を消した。装束部屋へ移動し、
羽織の両胸や背中には、『丸に笹竜胆』の紋が打たれている。
紀州徳川家の『三つ葉葵』ではない。少し前、密かに側近に命じて調達した、彼のお忍び用の格好である。素早くそれに着替え終えるとそのまま供も連れず、愛馬・与太郎に飛び乗り駆け出した。
行き先は、いつもの品川の
「面白そうなおなごを五人ばかし付けろ」
(ふう……)
ひとつ、大きなため息をついた。ここ数ヶ月の気疲れが、大いに溜まっている。
思えば今日まで、ゴタゴタが多過ぎた。今宵は誰にも気兼ねせず、夜通し飲む気でいる。ちなみに今頃藩邸では、彼が消えた事に気付き大騒ぎだろう。
(まあ、余の知った事ではないが……)
どうせ側近共が、どうにでも対処するだろう。機転の利く腹心もいる。懸念はあるまいと開き直っている。
一人、立て続けに手酌で数杯煽っているうちに、
「福之介様、お久しゅうございます」
とおなご
「ふむ。……そなた、妙な格好をしておるのう」
彼はひとりのおなごに声をかけた。
彼女はおなご衆五人の中で、ひときわ目立っていた。
二重の大きな目。眉が細長い。化粧が他のおなご衆と全く異なっており、白粉もほんのり薄く刷いただけのようである。
顔付きから何から、明らかに当世風ではない。いやそれ以前に、実に珍妙な服装をしていた。以前お忍びで横浜に赴いた際に見た、異人女性共の格好に似ている。
髪もおかしい。結うのではなく、獅子舞のようにもさっと逆立てている。加えて背も、他の者達より腰ひとつ分ばかし高い。
彼女の手を取り、すぐ傍らに引き寄せた。
「酌をせい。……そなたは何者ぞ?」
「ライカって言いま~す。よろしくね~♪」
そう彼女が頭を下げた瞬間、微かにふわっと良い香りが漂った。異人共が使用している、香水の類いであろうか。
「そなた、何者だ? 生国はどこだ? 今、歳は幾つか?」
「生まれは都内……って言うか~、このすぐ近くだよ。ただし一五〇年後の、ね。歳は二一」
「ほう、二一か。ん!? 今、一五〇年後と申したか」
驚いて声を上げる彼に、ライカと名乗るおなごは、
「し~っ」
と人差し指を立てて口元に当て、片目を
年増のおなごが三味線を抱えて静かに座敷へ入ってきた。片隅にそっと座ると三味線を膝に乗せ、ゆるりと音を奏で始める。
おなご衆は代わる代わる、彼に酌をする。曲にあわせて口ずさむように唄う者もいる。場が、次第に賑やかになってきた。
「福之介様は、どんな人なの?」
ライカが小首を傾げ、彼に尋ねた。
粗末ながらもしっかり手入れされたような羽織袴。色白で少々ふっくらした顔。どう見ても十代前半である。質素な浪人の風を装ってはいるが、所作や言葉の端々に隠しきれない育ちの良さをうかがわせる、福之介という男。――
彼もまた、正体不明と言えばその通りである。
皆、彼がお忍びでやってきており、福之介という名乗りが偽名であることは薄々感づいている。しかしそこは、素知らぬふりをするのがこの商売の習わしである。が、このライカというおなごはそれを知らないらしい。
隣のおなごが慌ててライカの袖を引いた。
「福之介様、申し訳ございませぬ。この者は、ここに身を置いてまだ三日目でございまして、礼も作法も知りませぬ。大目に見てやって下さいまし」
「おお。良い良い、無礼講である」
彼は大様に頷くと、小声で、
「ワシの名は、家茂」
と、全くもって何気なく、ほんの先程意識したばかりの新たな名を、ライカに名乗った。
途端にライカは、え~~っ!!、と大声を上げ、目を丸くした。
「もしかして、一四代将軍様ですか!?」
――もぉ、びっくりなんですけど~、とライカは彼の耳元で囁く。
「はぁ~っ!?」
今度は彼が驚く番だった。
家茂、と聞いてたちどころに一四代将軍と知る者は、今現在ここにいる筈がない。
彼の素性は『紀州徳川藩主
――家茂
と名を改めるつもりであるという意向は、まだ僅かな側近達にしか明かしていない。
どういうことか。このおなご、何者か!?。薩摩藩あたりの間諜か。いや、そうであっても辻褄が合わない。
(どういう事だ!?)
ライカの顔をまじまじと見つめた。警戒とは別種の、曰く言い難い不可解さが、募った。
「ライカと話がある。他のおなごは皆、席を外せ」
されば……、と奥座敷のさらに奥へと案内され、改めて膳が二つ整えられた。
郭の習わしで、その傍らには布団が二組、敷かれている。
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