第29話 最低ヒーローは最凶ヴィランに立ち向かう
窓から差し込む朝日に瞼を焼かれた環は静かにその目を開いた。
白い天井を少し見つめて白いカーテンに覆われたベッドの上にいる事に気付くと、環は布団吹き飛ばして身を起こした。
「痛っ……!」
突然感じた痛みで、環は自分の手足が包帯に包れている事に気付き、ここが病院の個室である事を理解した。
「どうやら起きたみたいだな」
「…………っ!」
少し首を動かすと、そこにはトレーの上に置かれた病院食をモサモサと食べるカルマがこちらに目を向けていた。
その左眼には何重にも包帯が巻かれ、見るだけでも痛々しくその整った相貌を隠していた。
怪我の部位からそれはカルマの左眼に宿っていた《支配》のスキルの反動だと想像するに難くなかった。
だが、そんな事よりも環は気になる事があった。
「…………あんた、何食べてるの?」
「肉じゃがと米と味噌汁だな」
「それって私の病院食じゃない?」
トレーの端に書いてある自分の名札を指差して環が言うと、カルマはさしも何とも無いように言い放った。
「気にするな、ここの飯はそんなに美味くないし、お前が食べても満足しなかっただろう」
「その判断は私がするのよっ! 勝手に食うなっ!」
環が怒りを形相で叫ぶのもお構いなしにカルマはそのままかき込むように米を口の中に放り込み、行儀良く手を合わせた。
「しかし、お前も無理をしたな。ただでさえ《支配》のスキルで無理な強化をしていたにも関わらず、他のヒーローまで運び出したらそんな風になるに決まってるだろうが。あと少し治療が遅れてたら、お前はとっくにお陀仏だ」
そう言われて環は改めて手や足を見やる。腕や足など様々な場所に巻かれた包帯、それはどこからどう見ても重体だった。だがそれでも体が動かせないほどではなく、骨が飛び出してきた右足もすっかりと完治していた。
「流石は元『世界一安全な街』海空市の病院だ。医療技術の進歩も他の追随を許さないな」
カルマが言った事に対して環も黙って納得する。
毎日のように運ばれるヒーロー達の治療には、《勇者機関》専属の研究機関から開発された最新鋭の医療機器が使用される。
もしも今回の事件が海空市での事件でなければとっくに死んでいただろう。その事実に環は肝を冷やした。
「でもあんたが生きてるって事は…………」
おそるおそる環が聞くと、カルマはただ淡々と答える。
「施設の爆発は途中で止めた」
カルマの答えにタマキが目を見開くのも気にせず、カルマはそんな事よりも話しを進める。
「もっとも大量のエネルギーの暴走は施設内の機械を破壊しまくって、もうあそこからは《輪廻の環》の情報は得られないだろうな」
「…………そう」
そこまで聞いて環は歯を食いしばって悔しがる。
――結局、私はこいつに救われてばかりじゃないっ
カルマがいなければ今すぐにでもここから飛び出したい気持ちを環は必死に押さえ込む。
「まぁいい。とにかく行くぞ。準備しろ」
突然の事に環は頭を横に倒してカルマに疑問を表す。
「え? どこに?」
「隣の病室だ。そこに灯理と雫がいる」
部屋を出た環とカルマは、そのまま右に数歩進んで隣の病室の扉をノックする。
「し、失礼します……」
環が扉を開けると、隣の環が寝ていた部屋と同じように窓際にベッドが配置されており、その枕元の椅子に座りかけていた灯理と目が合う。
「あっ! あか……」
「タマちゃあああああぁぁぁぁぁんぅぅぅっ!!」
環が灯理の名前を呼び終える前に、灯理はタックルをするように環に飛びついた。
その攻撃をもろに腹に受けた環は、その後ろに控えていたカルマがそれを難なく避けた事によりそのまま廊下の壁に後頭部をぶつけた。
「いったいよ灯理ちゃんっ! いきなり何するのよ! 馬鹿なのっ!」
「馬鹿はタマちゃんでしょっ!」
環の胸元で怒りを露にしながら鼻水を垂らした灯理の顔を見て環は口をぽかんと開ける。
「あんな風になるまでスキルを使ってボロボロになって、助かったと思ったら三日も気を失って…………心配だったんだからぁぁぁ…………!!」
灯理が泣きながらの訴えに環は心配をかけた申し訳なさと同時に喜びで頬が吊りあがった。
「……灯理ちゃん。心配かけてごめん、それと……心配してくれてありがとう」
自分の胸元で泣きじゃくる灯理の頭を優しく撫でながら環は微笑む。するとその微笑みを見た灯理も笑顔で答えた。
「うん……うん、許してあげる。友達だもんっ」
クスクスと笑いあいながら花が咲いたような笑顔を見せ合う環と灯理。その姿を少し離れた位置で見ていたカルマが、退屈そうに息を吐いた。
「おい、もういいか? 俺はいつまでここで突っ立ってなきゃならない?」
「あぁ、すいません! つい感情的になっちゃいました。どうぞお入りください」
目元や鼻元を拭って灯理はカルマと環を病室に招き入れると、ベッドの枕元からベッドで寝ている人物の頭を撫でる。
「改めて紹介します。これが私の妹の雫です」
そう言って紹介されたカルマと環は、灯理のように雫の顔を覗きこんだ。
コネクターの怪人化によって頬まで覆われていた鱗は綺麗に消え失せ、再びその顔付きに理知的な印象浮かべた雫。
同じく怪人化の影響で黒みがかっっていた長い髪も、艶のある空色に戻り、何の憂いも無いように静かに寝息を立てていた。
「やっぱり双子だね。ほんとに灯理ちゃんにそっくりだ」
「ふふんっ、そうでしょ。私と同じくらい美人さんでしょ」
自慢するようにニッと歯を見せて笑う灯理に、雫の顔をまじまじと見ていたカルマが聞く。
「怪人化やコネクターの魔術の後遺症は無いのか?」
「はいっ、でもやっぱり未知の薬を使われた事もあって、その薬の影響が完璧に無いかどうか検査するためにしばらくは入院するみたいです」
「それでも今のところは問題ないんでしょ? だったらこの事件は万事解決ね」
「いや、まだだ」
突然後ろから会話に参加した声に一同が振り返ると、そこには眉に皺を寄せた厳つい顔でカルマたちを睨む指令官の鋼地の姿があった。
「と、父さんっ!? どうしてここに……」
父親の来訪に驚きを隠せない環が問うと、鋼地はその足をゆっくり進めて灯理の目の前まで止まる。
「灯理くん、君がこれから何を言われるか、分かるね?」
「…………はい」
「…………っ!?」
そこで環は事の重大性に気付いた。たとえ妹を人質に取られていたとはいえ、灯理が《勇者機関》の情報を、スパイとしてコネクターに渡していた事は揺るがない事実だ。そしてそれを罰しないほど、鋼地は甘くない。
だがそれが分かっていても、環は灯理を庇わない訳にならなかった。
「違うんです指令官! 今回の件で灯理ちゃんがそういう事をしなけれあならなかったのには理由が…………!」
「いいのよっ!!」
環の必死の弁明を遮るように灯理は声をあげた。
「いいのよ、タマちゃん……。どんな理由があろうとも私のした事は変わらないから……」
「…………灯理ちゃん…………」
灯理は一度身だしなみを整えると、足をピタリと揃えて背筋を伸ばし、最後にヒーローとして恥ずかしくないような佇まいをする。
「どうやら聞く準備ができたようだな。…………それでは、改めて」
そこで一度言葉を区切った鋼地は、硬く分厚いその手の平を、灯理の肩に収めるように置く。
「おめでとう、今回の事件の功績を称えて、シルバーランクヒーロー《双炎のアカリ》同じく、彩華環のゴールドランクへの昇級を認める」
「「……へっ?……」」
その言葉を耳にした環と灯理は、二人とも同じタイミングで目を丸くし、そして、
「「えええぇぇぇぇえぇぇぇぇぇっっっ!?」」
またしても同じタイミングで素っ頓狂な声をあげた。
「え? 何? え、えっ!? ど、どういう事よ父さん!? 父さんがここに来たのって、灯理ちゃんを捕まえに来たからじゃないの!?」
あまりの状況に理解が追いつかない環は鋼地に質問を投げかけるが、そう問われた鋼地も何の事か見当がつかないと言ったような顔を浮かべた。
「ん? いや、どういう事も何も灯理君は自らも危険に晒すような二重スパイとして的の本拠地である施設の場所を特定。環は黒幕であった魔族を打ち倒すだけでなく、さらにはその身を文字通り削っての救助活動を実行した。これらの功績は確実に昇級するに充分な功績といえるだろう。環に関しては約束を果たした事にもなるしな」
うんうんと力強く頷く鋼地が嘘を吐いてるようにも見えなかった環と灯理は、お互いに目を見開いて首を振る。そして同時にある一人の男の方へと向けた。
「…………まさか……あんたが……っ!?」
「…………」
二人の視線を受けてもなお無言を貫くカルマを見て、カルマが灯理に罪を着せないために、カルマが報告書に虚偽の報告をした事を確信する。
「では、環は明日から、灯理くんは雫くんが回復次第ゴールドランクのヒーローとして活動してもらう事になる。これからも良い活躍を期待しているよ」
「よ、良かったね、灯理ちゃんっ!」
「っ…………」
友人が罪に問われず環は胸を撫で下ろした。だがそれに対して灯理は、鋼地に何か言いたそうに唇を噛み締めて無言で下を向いていた。。
「…………待ってください」
話しを終えた鋼地が踵を返して立ち去ろうとしたその背中を、灯理が引き止めた。
「ん? どうしたんだね灯理くん」
振り返った鋼地の顔を見て一度は口ごもりそうになりながらも意を決して灯理は真っ直ぐに伝える。
「……その報告書には、間違いがあります。私は……《勇者機関》の仲間の情報を妹の命欲しさに売っていました……」
「あ、灯理ちゃん!? 何言ってるのよっ!?」
突然の告白に灯理の肩を揺すりながら環が問いただす。
「そんな事言っても灯理ちゃんには何の特もないじゃないっ!? どうしてそんな事……!!」
「…………タマちゃん、あの時言ったよね。自分の心に嘘を吐いたらなりたい自分にはなれないって」
灯理は少し遠い目で環の潤んだ瞳を見つめると少し自嘲気味に笑った。
「私がなりたいのは、雫の為に私の全てをかけて戦うかっこいいお姉ちゃんなの。でも、私はそんな自分の理想すらも、雫と一緒に裏切ったの……」
「…………」
「もしこのままゴールドランクに昇級しても、心の中にいる”本物の私”が私を許さない。ならせめて私は、自分が自分を許せるまで雫の傍にはいちゃいけないのよ」
灯理は環の手をゆっくり下ろすと、鋼地の目の前に立ち、両手を前に差し出す。
「お願いします。私に…………この裏切り者の悪党に相応しい罰を……科してください」
病室にしばしの静寂が訪れる。
そしてその中で灯理は一人、零れ落ちそうになる涙を体を震わしながら抑えながら思った。
――泣いたちゃ駄目だ。今の私にそんな権利はないもの
――むしろ、何でタマちゃんが泣いてるの? そんな顔みたら、私も泣きたくなっちゃうよ
――ごめんね、雫。本当に駄目なお姉ちゃんだね
――でも、最後くらい、かっこいいお姉ちゃんでいさせてね
様々な思いが灯理の中で募り出し、それが涙と一緒に零れ落ちる。その時、
「お前は、悪党の流儀を履き違えてるぞ」
鋼地が現われてから口を閉ざしていたカルマが、まるで言葉で刺すように灯理に言い放った。
「ど……どういう事ですか……?」
「俺が《洗脳》で雫の精神に入る際、俺はお前のイメージで雫に接触した。すると案の定、雫の堕ちきっていた心はみるみると表層意識まで浮上し出した」
カルマの説明にあまりピンと来ていない灯理に向けて、カルマは更に言葉を続けた。
「つまりだ、俺のイメージだけじゃ雫を救う事はできなかったんだよ。俺や小娘、ましてや他の誰でもない、あいつが心の底から救いを求めていたお前だからこそ、俺は雫を救い出せた。いや、この言い方には語弊があるかもな」
そこまで言うとカルマは、ワナワナと震えて床に涙を零す灯理の頭の上に手を置いて諭すように言った。
「雫の中で誰よりもかっこいい自慢の姉。そのお前が重ねた今までの努力が、愛情が、雫を救ったんだ。そんな奴が俺と同じ悪党だなんて――この俺が許さない」
「ぅっ……!! ぅぅぅっ!!」
カルマの言葉を受ける度に灯理は堪えきらずに前のめりに床に座り込んでいく。
咽び声をあげて下を向く灯理の頭をそのまま無造作に撫でながら、カルマは力強い声音で灯理に告げた。
「だから、その報告に誤りもなければ、お前は俺のような悪党ですらない――どんな奴にも引けを取らない、立派なヒーローだ」
「…………っ、うぅっ…………!!」
我慢しようと何度も鼻をすすっても、何度目を擦っても、灯理は自分の内から溢れ出る熱を押さえる事ができず、声をあげて泣いた。
小さく丸めるてその背中に寄り添うように、環が灯理に優しく抱きついて微笑む。
「私も、灯理ちゃんは最高のヒーローだと思うよ。前も言ったけど、確かに私はあの時、灯理ちゃんに救われたから」
環の言葉に涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらも、灯理は何とか笑顔で応じた。
「…………ありがとう、カルマさん。それに…………タマちゃんも…………」
ぐしゃぐしゃの笑顔の中に確かに雲間に差し込むような灯理の笑顔を見ると、カルマは灯理から背を向けて意心地が悪そうに頭を掻いた。
「ちっ……らしくねぇ事を言っちまった」
悪態を一つ吐くと、カルマはそのまま鋼地を連れて一緒に病室を出ようと扉を開く。
「待ってよ、父さん」
それを今度は環が鋼地を呼び止め、カルマと鋼地は足を止めて環を見る。
「今度はお前か。何だ?」
「父さん……いえ指令官、私は今回の昇級を受ける訳にはいきません」
「…………なぜだ? あそこまで昇級したがってたじゃないか」
鋼地がそう言うと、環はゆっくりと頭を横に振って否定した。
「それは私が結果だけを求めるあまり、自分の身の丈に合わなず無責任に言った条件だったからです。それに悔しいですけど、今回は、そいつのスキルがなければ私たちはあの場に一瞬でも立ててないでしょう。だから…………」
一度言葉を区切った環が立ち上がると、カルマを指差して真正面から宣言する。
「今度、私が昇級する時は、あんたに私をしっかりと認めさせた上であんたの上をいってやる、それまで私は、あんたとのコンビを解消しないから覚悟しなさい!」
環がそう宣言したのを聞くと、カルマはくつくつと腹の底から面白そうに笑った。
カルマが見た環のその強い目の奥には、報告を甘くされた哀れみから昇級を許されたなどそんな粗末な事など微塵もなく、ただ”自分に打ち勝ちたい熱意”だけだ。
そんなヒーローらしい心構えを、カルマは対抗するように一流の悪党だけが放つ不敵な笑みを浮かべ、堂々と受けて立つ。
「ふっ……いいだろう。もしそんな時が来たら、この
カルマはその隻眼に倒すべき敵を刻み込むと、嬉しげに口角を吊り上げて環から背を向けて病室を出る。
振り返らずに悠々と廊下を歩くカルマの背中を、環はしばらく瞳に焼き付けるように見つめながら、環は自分が知っているカルマを思い返した。
邪道な戦い方、破天荒な持論や生き方を持ってしてヒーローだろうが悪党だろうが打ち破る男。
そしてその言葉で環は自分を思い出す事ができ、灯理は自分で自分を許す事ができた。
だがそれでも、そのやり方は環の求める”理想のヒーロー”とはまったく違った。
姉のようになる事を憧れた事を思い出した環にはその事実は特に重要な事だった。
だからこそ環は、カルマの上に立ち、正々堂々とねじ伏せたかった。
それを成し遂げてこそ、環は自分のヒーローとしての人生が始まるのだと。
その気持ちを知って知らずか、カルマもこれまで何度も見せた不遜な笑顔で受けてくれた。だから環もそれに対し、強気な笑みで応える事ができた。
多くを語る必要は無い。
環はまるで自分に言い聞かせるように、はたまた強く心に刻み込むように、自分がこれから望み、挑み、そして打ち倒す巨悪の背中に一言だけ呟いた。
「絶対に、私が勝つ」
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