第28話 なりたい私になる為に

 雫と灯理、二人の姉妹が再会した姿に、環も離れた場所から同じように涙を流して安心する。


 肉親が居なくなる苦しみを与えずに済んだ、心の底から思って環は技の反動で痺れる身体を動かして灯理と雫の下へ走り出そうとした――


「なっ…………何よこれ…………!?」


 部屋中に地鳴りのような警鈴が鳴り響き、壁を埋め尽くしていた紫色のパイプ色が真っ赤な警戒色に染まり出す。


 それはパイプの中で血のように流れ出し、エネルギーを供給していたメインコンピューターではなく全く別の所へと流れ出した。


「なっ……! 何よこの音!? メインコンピューターは壊したはずでしょっ!?」

「……シシッシ……馬鹿、ですね……あなた方は…………」

「っ…………!?」


 気味の悪い笑い声のする方へカルマが目を向けると、そこには怪人化から解き放たれ、仰向けで倒れていたコネクターが、その瞳孔を剥き出しにしてカルマたちを嘲笑っていた。


「この音は、この施設の自爆装置が作動したのを知らせる警報ですよ……シシシッ……。念のために、自爆装置だけはメインコンピューターとは違う場所に配置してありましてね…………もう十分もしない内にこの施設は跡形も無く爆発します……これであなた方の努力も全て水の泡ですね……シシシシシッ……!!」

「っ……そ、そんな……!?」


 灯理が悲痛な声を漏らすと、コネクターの笑いに喜びの色が帯びる。


「せめて最後はあなた方も、捕らえていた研究体たちも道連れです! 精々その顔を恐怖に歪めながら死んでください……シシシシシッ!!」

「こっ……この! ……クソ蛇がぁぁぁあああぁぁぁっ!!」 


 環が怒りのままにコネクターの方へ歩みを進めたのを、カルマの広げた腕が進行を阻む。


「待て、今はあんな奴に関わってる場合じゃないだろうが」


 カルマは左眼に宿る《支配》のスキルを環に向け発動。すると環の身体を蝕んでいた痺れが無くなり、環は手を何度も開閉して身体の具合を確かめた。


「とりあえず、今は少しでもここから逃げ延びるのが先決だ。俺はなんとかここから自爆装置の停止を試みるが、それが成功するとは限らない。俺の《支配》を受けたお前の身体なら、灯理と雫の二人を担いでここから入り口の地下トンネルまで逃げ延びる事ができるはずだ」

「っ……!? かっ、勝手に決めないでよっ! それじゃあ、失敗したらあんたが……!」

「ほぉう? 何だ? ここに来てやっと俺の心配か? 随分と短い間に俺の株も上がったもんだな」


 顎に手を当ててカルマが環の顔を面白そう見ると、環は顔を真っ赤にして否定する。


「だ、誰があんたなんかっ! ただ私は報告する時に殉職者欄にあんたの名前を書く手間を減らしたいだけよっ! 心配なんて微塵もしてないわよっ!」

「ならさっさと行け。時間が勿体無いだろうが」


 それだけ言うと、カルマは環に背を向けてメインコンピューターに備え付けられていた液晶パネルを操作し始める。


 数秒もしない内にカルマはコネクターが塞いでいた部屋の入り口を開き、環達の道を開く。


 その様子を見て会話の余地が無いと悟ると、環もカルマに言われた通りに灯理と雫を背負う。


「行くよ灯理ちゃん、しっかり捕まっててね」

「…………タマちゃん」


 灯理は環に何かを言おうと口を開きかけるが、辛そうに口元を強く結ぶ環の横顔を見て口を閉ざした。


 そして環もカルマに背中を向けてスーツに電力を充填する中で、カルマに聞こえるかどうか妖しいくらいの小さな声で一言だけ言い残す。


「…………死ぬんじゃないわよ……カルマ……」


 電力を全て膂力に変化させた環は、二人の怪我人を背負っているにも関わらず、いつも以上の速度で駆け出した。


 * * * * *


 その力は数秒で最深部の部屋を抜け、数分経つ頃には既に環たちは誘拐されたヒーローたちが捉えられていた一本道の部屋に入った。


「……! 見てっ! 機械に捕まってた人達が外に!」


 目の前の先に開いた培養糟から倒れこむようにして解放されたヒーロー達。

 

 酸素マスクが外れ、通常通りに呼吸をしている様子を見ると、どうやら気を失っているだけらしい。


「…………!?」


 うつ伏せで倒れている彼らの上を環は少し罪悪感に駆られながらも飛び越える時、環はふと見た横顔に一瞬呼吸をするのを忘れる。


 それは以前、自分の世話役として磁道が派遣される前、環の手柄を横取りしそれを手土産にして兵士級へと昇級した女の先輩だった。


「…………」


 環はその姿を認めると、まるで彼女から逃げるように目を背けて飛び蹴りで地下トンネルで扉を吹き飛ばして地下トンネルに出た。


「はぁっ! はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

「お疲れさまタマちゃん。タマちゃんは少し休んでて、私は地下から出てすぐに《勇者機関》の人に救援を頼むから!」

「……っ! 待って、灯理ちゃん!」


 雫を壁に持たれかけさせて準備を始める灯理に環はその意志を振り切るように話す。


「……? タマちゃん?」

「灯理ちゃん……私……放っておけないよ……だから、助けようと思う」


 その言葉の意味を理解した灯理は目を見開いた。


「助けるって…………駄目だよ! カルマさんにも言われたでしょっ!? 今私たちがやるべき事はないんだよっ、それに、もし、カルマさんが自爆の停止に失敗したら、タマちゃんだって無事じゃ……!!」

「分かってるわよ、そんな事っ!!」


 灯理の言葉を消しさるように環は声を荒げる。


「でも、それはあの人たちも一緒でしょ? 私達は確かに雫ちゃんの救出という目的でここに来た。そしてその任務を達成して後は帰還するだけよ。でも、ならどうしてあいつは残ったのよっ!! 私たちや囚われているヒーローの為じゃないのっ!?」

「……!?」


 それで灯理は改めてカルマの考えを理解した。 


 ただ逃げるだけでいいならば、多少無理をさせても環に任せれば体の大きいカルマも施設から逃げれたはずだ。


 でもそうしなかったのは、自爆で起こる地上へのリスクや傷ついた自分達の為に自らを犠牲し、その場から逃がす為の詭弁だったのではないかと。


「あいつは……カルマは……まだ戦ってるのよ。なのにどうして私は逃げようとしてるのっ!? そんなのおかしいじゃないっ!!]


環は灯理に背中を向けると、スーツに電力を溜め始め、自分の身体能力を強化していく。


「タマちゃ……!! っ……!!」


 それを見て灯理は環を止めようとするが、思ったよりもダメージが蓄積された灯理の身体は言う事を聞いてくれず、灯理は縋る様な目を大切な友人に向ける。


「タマちゃん……お願い、行かないで……! 雫が帰ってきても、今度はタマちゃんがいなくなったら、私っ……!」

「……灯理ちゃん、ごめんね。これはただの、私の我が儘なの」


 泣きながらに訴える灯理を一瞥もせず、環は自分が蹴破った扉の先を見据えて答える。


「私はヒーローになってから、一度たりとも人の為なんて真剣に考えてこなかったの。姉さんのようなヒーローになりたいとか、誰よりも有名になりたいとか、そんな低俗な事ばっかり考えてた。だからかな、そんな私に誰も近づこうとなんてしなかった。でも私、それでも良いって思ってた。誰にも認められなくったって、私があんたらに勝ってる事実は揺るがないって意地を張ってたの」


 そこで一度言葉を途切れさすと、環は視線を更に奥へと向け、そこで戦っているであろうカルマに向けた。


「でも、あいつに言われたの。『そんなに認められたかったのか?』って、それで気付いた。私が求めていたのは、有名になる事でも、ゴールドランクのヒーローでも、姉さんのような勇者になる事でもない。私はただ”私が誇れる私になりたかった”のよ。そして今、その私がなりたい私が言うのよ。”行って来い”って」


 迷いも、後悔も、悔しさも、辛さも、全てを背負って、環は自分自身と向き合う。


「――だから、私は行くよ」


 その眼差しに救うべき人たちを映して、環は今一度、自分自身に決意を込めて、そう言う。


「自分の心すら騙したら、今度こそ私は、私がなりたい私になれないからっ!!」


 その一言で、環は地を駆けた。


 扉をくぐり一本道の部屋へと突入した環は一つずつ機械の中身を確認していく。

 既に中身は無く、その下に倒れたヒーロー十五名を捉えると、奥の道の方から二人ずつ背負っていく。


「くっ……なんのこれしきぃぃぃ……!」


 体にずしりと圧し掛かる二人分の体重を気にする事を止めて、環は再び一本道を逆走する。


 一回目の往復完了。

 ゆっくりと気を失った三人を降ろして、環はもう一度走り出す。


 今度は先程よりも手前側の男二人を見定めて、勢いを殺さずに小さな背中が埋もれるように背負う。


「がぁっ!! ふっ! ……ふっ! ……ふっ! ……」


 恐らく男二人の戦い方が身体主体なのだろう。


 その身体の鍛え方は先程の男女とは比べ物にもならず、コスチュームに覆われた足の節々から噴出すような悲鳴が聞こえる気がするのを、環は思考をねじ切って一目散に駆け出す。


「ぐっ! はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

「もう止めてよ! これ以上はタマちゃんの身体が持たないよっ!!」


 環が運んできたヒーローたちの容態を見ながら、灯理は環のコスチュームの節々から紅く赤黒く滲み出してるのを見て切に叫ぶ。


 だが環は自分の安否を気にする友人の言葉さえも置き去りにして、何度も何度も往復を繰り返す。


 既に意識も朦朧とし血まみれで走る中、環は今までの自分の行いを思い返して自嘲した。


 ――本当は、ただ、認められたかった


 ――姉さんばかりちやほやされて、望まれて、私が要らない物みたいなのが嫌だった


 ――でも、それでも私は姉さんが大好きだった。嫌いになんてなれなかった


 ――そして、そんな姉さんに近づけば、私も、大好きな姉さんと同じようになれると思った 


 ――だからヒーローになったのに、結局私自身が私を認めてなかったんだ


 そう思っている内に、環はいつの間にか残ったヒーローは一人だけになり、八回目の往復を迎えている事に気付く。すると環は、無意識の中、最後に残したのが環の元先輩ヒーローであった事に心底自分が嫌になった。

 

 結局、こう言うところから自分の弱さが出るのかと。


 そう思いながらも、環は気を抜く事なく最後の一人を背負い、一気に道を駆け抜けようと再度電力を溜めようとした――その時、


「があああぁぁぁっ!!」


 《支配》のスキルでの短時間の強化。その限界による反動が今、環を襲った。


 突如、スーツに供給していた電気が止まり環は自分の体よりも大きい体重と重りと化したパワードスーツの重みに襲われた。


 何の強化もしていないか弱い少女の身体に圧し掛かる負荷、《支配》のスキルにより無理に引き上げられた所為で衰弱し尽くしたその身体は、骨までもが女性一人分の重量にすら耐え切る事ができず、軋みをあげて折れていく。


「があっ!! ……はっ、はっ、はっ……くっ! ぅぅぅ……」


 アドレナリンでは感化できないほどの骨が折れる痛みに、顔中を涙や鼻水で汚すのもお構いなしにのた打ち回る。


「ま…………だ、ま……だ……っ」


 環は背中に先輩のヒーローを乗せたままうつ伏せの状態でパワードスーツの力の源となる手首や足首に嵌めたバンド、そしてそれに接続している機械のもろもろと愛剣である折りたたみ式の大剣を放り出して身を軽くしていく。


 だが、多少身軽になったからとはいえ、環の折れた骨にかかる負荷が軽くなる訳ではなく、手の感触から環は自分の右足の骨が皮膚を突き破っているのを理解した。だがそれでも環は、そこら辺の手すりを掴んで果敢に片足で立ち上がる。


 ――早く……行かないと……


 環の頭の上ではまだ施設の自爆を伝える警報が鳴り響いていた。コネクターが言う事が本当ならば、もはやいつ自爆してもおかしくない。そしてそれは、カルマが装置の停止に失敗した事を意味する。


「ぐっ……ぅぅ……」


 もはや環は痛みに耐えるだけで精神を削られ、思考する事も忘れてただ亀のように前に進む。


 足を動かす度に骨が突き出した右足から壊れたボールペンのように地面に痛々しい血痕を描いていく。


「……っ……か………………」


 わずか数メートル先の出口の光を追って環は虚ろな目を向けた。


 後少し。もう少しで出口に辿り着く。その証拠に虚ろな視線の先、出口の光に照らされた人影がこちらに向かって声をあげているのが薄っすらと分かると、環の口元は自然と柔らかくなる。


「……ちゃ……! は……く……タマ…………!」

「……え? 今、なんて……?」


 目的まで後少しと分かると、環も精神的に安心したのか、だんだんと意識も回復していき、目の前で声をあげているのが灯理と理解する。


 だが灯理は環の思いとは裏腹にこちらに必死の形相で部屋に入ろうとしていた。


「タマちゃんっ!! こっちに来てっ!! 早くっ!!」

「…………!?」


 その余裕の無い灯理の顔を見て環は初めて周りの景色の変貌している事に気付いた。


 先程まで暗い蛍光灯に包まれていた一本道に部屋の蛍光灯の色が紅く染まり、施設の天井からは無機質な機械音のカウントダウンが始まっていた。


『施設爆発まで、残り十秒、九、八……』


 そのカウントを聞いた瞬間、環は無理やりにスキル《雷電》を発動すると、肩をあげるのでも精一杯の腕に直接微弱な電気を流し、筋肉を無理に動かして筋力を増強した。


「きゃああああっ!!」


 強化された腕一本を犠牲に背負っていた先輩ヒーローを灯理に投げつけ、無理やり施設の外へと追い出す。


「かっ……は…………」


 無理なスキルの行使により最後に環は自分を支えていた精神力さえも使い果たす。そして力無く顔面から環は倒れ、指の一つも動かせなかった。


『六、五、四……』


 残り時間は三秒。その短い間に消えそうになる意識の中、環は様々な事を思った。それは走馬灯のように脳裏を映像として駆け巡り、あった可能性も無かった可能性も全てを映し出した。


 父にヒーローとして褒められ、いつか約束した灯理や雫と共に楽しく食事をする。

 これからは考えを改めて他のヒーローとも連携して街を救っていく。

 そしていずれは姉を越える程立派でカッコ良くて可愛いヒーローになる、そんな都合の良い未来。 


 この気持ちの良い夢は死ぬ直前でも見続けるだろう。だが、それで環は充分だった。


 ――姉さん。最後の最後で分かったよ。私がなりたい”私”が


 そっと目を閉じ、一筋の涙を零して、それでも環は笑えた。その喜びを噛み締めて環は覚悟を決めて静かに目を閉じた。

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