第27話 雫の記憶

 カルマが雫の精神に入り初めに感じたのは暖かな手の感触だった。


 それはどうやら雫の姉である灯理が雫の手を掴んでいた。


 ――侵入成功。という事は、これは雫目線からの過去の記憶のようだな


 それを証拠付けるように先程共にいた筈の灯理の背丈や服装は幼い。


「おいっ、それよこせよ」


 いつの間にか現われた幼い割りにはガタイのいい男の子が、今のカルマ――つまり雫の持っているパンを指差す。


 雫はそれを庇うように隠すと、その反抗的な態度に男の子が声をあげて威圧する。


「上等だ、なら力づくで――いででででっ!」

「上等なのはあんたでしょ? 私の目の前で雫をイジメるなんてな」


 男の子が雫に手をあげる前に隣にいた灯理は男の子の頬を摘み上げる。そして男の子が雫を威圧した時以上の大声を男の子の耳に響かせる。


「次にこんな真似したらただじゃおかないからねっ!! 分かったかっ!?」

「ぎゃああああああぁぁぁぁぁっ!!」


 キンキンとなる耳を押さえて男の子は部屋を一目散に逃げていく。流石にあれは哀れにも思う。


「大丈夫だよ」


 カルマが男の子を哀れに思っていると、隣の灯理が雫に向かって笑いかけた。


「お姉ちゃんが必ず、雫を守ってあげるから」


 そこで一度視界が途切れ、雫の次の記憶を辿る。


 * * * * *


 今度の場所は見覚えがあった。

 椅子の新しさや床の傷など些細な違いはあれど、ここは何年か前の《勇者機関》のエントランス前だ。


「雫~~! 雫見て見てっ! このシュシュ、可愛くないっ!?」


 目の前に意識を向けると、いつもよりハイテンションは灯理が見た事ある赤と青のシュシュを雫に見せてくる。


「私が灯理だから赤で、雫は水っぽいから青ね。それでね、私良い事思いついたんだ」


 灯理は一方的に赤色のシュシュを雫に手渡すと、残った青色のシュシュでサイドテールを作った。


「こうしてお互いの色のシュシュを持っていればたとえ離れ離れでも私達は一緒。いつでも雫を守ってあげられるからね」


 眩しいくらいの笑顔を湛える灯理に合わすように雫も灯理から受け取ったシュシュでサイドテールを作る。


 雫目線のカルマでは今の雫の表情を見る事はできないが、見ずとも雫が灯理に負けないぐらいの笑顔なのは容易に察せられた。


 * * * * *


 そしてまた視界が一変し、今度は《勇者機関》の食堂内に移る。


 相変わらず目の前には灯理の姿が映ったが、その機嫌がすこぶる悪いのは一目瞭然だった。


「最近……雫って活躍してるよね。……私を差し置いて……」


 灯理がそう言うと、視界が一瞬だけぶれた。

 どうやら雫は、この時の灯理が怖かったようで、体をビクつかせたようだ。


「昔から私が雫を守ってあげてたのに。強くなった途端私を捨てるんだね…………本当に最低」


 吐き捨てるように言って灯理は席を離れ雫は一人残された。

 

 するとまた雫の視界がぶれ始めた。だが、今度は雫の体が動いた訳ではない。

 水面が揺らぐように視界がぶれている事から、雫が泣いている事が分かった。


 * * * * *


 そしてまた視界が一変し、今度は見た事もない廃ビルの中にいた。


 銃弾が飛び交う戦闘の中、防戦一方の灯理と雫は、共に壁に背を向けて隠れていた。


 その事からカルマは、この記憶が灯理が話していた雫を最後に見た日の光景だと確信する。


「はあぁぁぁっ!!」


 二人は共にスキルを用いて敵の隙を突きながらビルの上へ上へと移動していく。

 

 それは順調に進んでいると思われていた、ところがそれは間違いだった。


「っ…………!?」


 敵が撃ちはなった手榴弾がビルの階層を支える支柱を破壊し、天井が崩落する。


 その残骸に阻まれ、雫はその階層、灯理は上の階層へと続く階段へと引き離されてしまった。


 もしこのまま敵に襲われてしまえば、先程まで防戦一方だった二人に勝ち目はなく、まだ敵がいる雫の階層では最初に襲われるのは雫だろう。


 雫はなんとかこの状況を打破しようと、姉に協力を仰ぐ為の姉のいる階段方向を仰ぎ見て、


「っ……………………!?」


 そして、声を失った。


 灯理は一度たりとも雫を振り返る事なくそのまま敵のボスがいる最上階へと向かっていった。

 嬉しそうに階段を上がる灯理の横顔に、雫は本当に声を掛ける事ができず、


「――哀れな娘だ」


 その声が耳に入ったと同時に雫は意識を失い、カルマの視界も塞がった。


 * * * * *


 そこまで記憶を辿り、カルマは雫の深層意識を見つけた。


 雫の黒い意識の中でただ一人、その意識の端で座り込む一人の薄汚れた人外の姿をした少女。それこそが今の雫の心だった。


「やっと見つけたぞ」


 カルマは座り込む雫の下へゆっくりと歩を進めようとし、


「があああああっ!!」


 獣のような声をあげた雫がカルマを拒絶するようにその禍々しく変化した手を振るう。


「ちっ……じゃじゃ馬が……」


 振るわれた雫の手を寸での所で避け、カルマは元いた位置まで下がる。


「だが、それも仕方が無いか。自分の精神世界に見知らぬ奴がいたら、それは警戒するか。なら…………」


 カルマは一度大きく深呼吸をし、イメージを頭の中で反芻しながら目を閉じる。


 すると、カルマの身体に異変が起きた。


 高身長だった背丈はみるみる小さくなり、髪の色まで変わっていった。


 そして、全ての変化が終わったのを確認したカルマは、先程と同じように雫へと歩き出す。


「があああぁっ!! があああっ…………あああ…………?」


 突如現われた異物を排除しようと、もう一度腕を振るおうとした雫だが、それは目の前に現われた人物の登場により動きを止めた。


「…………雫」


 それは雫の中の唯一のヒーローの姿。自分をいつでも救ってくれた姉――灯理の姿だった。


「がっ! がががあああぁぁぁっ!」

「怖がらないで、お姉ちゃんが助けに来たよ」


 精神世界に入るのに姿形は必要ない。ならば、この世界でなら自分の姿を変えられるカルマは、雫の記憶を辿って灯理の姿完全に再現し、雫に近づこうとした。


 その考えは正しく、雫の警戒も解け、後数歩で雫に触れられる距離まで来た。


「もう、大丈夫だよ。さ、一緒に帰ろ」


 ワナワナと体をを震わせる雫の頬にカルマが触れたその時、雫に異変が起きた。


「が、が、がああああああぁぁぁぁぁっ!!」


 恐怖なのか、それとも怒りなのか、その行動理念をカルマは指し図る事はできないが、雫は最後の抵抗と言わんばかりにカルマの肩口に食らい付いた。


「ふうぅぅぅっ!! ふうぅぅぅっ!!」


 荒い息を上げながら雫はその口を離そうとせず、魔獣のように研ぎ澄まされた歯がカルマの体を食いちぎろうとしていた。


「よ~~しよしよし。雫はいい子だよ~~」


 だが、カルマはその痛みなど気にした様子なく雫を抱きしめて頭を撫でる。

 

「雫が傷ついてる事に私は気付いてた。それなのに私は自分の事ばっかりで雫を突きはないしてしまった…………。守ってあげるって約束したのに…………」

「ふっ…………! ううぅぅぅぅぅ…………」


 姉の姿になってからの雫の変化にカルマは確信する。

 雫が姉に対して抱いていた感情が怒りや悲しみだけではなかった事を。

 

「でも、それでも私は雫と一緒にいたいから、ここまで来たんだよ。だから――」


 頭を撫でられる度に雫の噛む強さが弱っていくのを感じたカルマは最後に一言告げる。


「――帰ろう、雫。そしてまた家族になろう。私もそれ以外は望まないから」


《洗脳》の精神干渉を切り離した。黒一色の世界に光りが差し込むように白色が足されていき、カルマ達の意識は浮上していく。


 * * * * *


「ピギャァァァァァアアアァァァッツッッッ!!」

 

 割れた薪のように落雷によってメインコンピューターは原型を止める事なく破壊される。


 それと同時にカルマの《洗脳》を受けた怪人はおぞましい産生をあげると、その体から全く別の体を排出した。


 それは地面を何度も跳ね、転がり、滑り込むように仰向けで倒れると、摩擦でようやくその勢いを止めた。


 そしてそれから生えた尻尾を痙攣させ、長い舌を力なく伸ばして微動だにしない魔族、コネクターの姿を認めた環が急いで灯理の方を見る。


「あっ……ああ……!!」

「どうやら、成功したようだな。任務完了だ」


 環が歓喜に身を震わし、カルマは一息付くようにムカデの死体に座りこむ。


 空色の長い髪を灯理のシュシュで留め、幼さの中に理知的な印象を思わせる顔立ち。それはまさしくカルマと環が荷台の中で見た写真の少女にして灯理の実の妹である《双水のシズク》だった。


「すぅぅ……すぅぅ……」

「……おかえり、雫……良かった……本当に、良かった……!」


 歳相応の愛らしい寝息を立てる妹の頭を抱きかかえて、灯理はその目から大粒の涙を妹の頬に落とした。

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