第17話 妹のような親友

《勇者機関》七〇階は、ここで働いている職員の社員寮になっている。


 過去に非戦闘員の社員を狙った事件が起こり、その対策として最新の防犯設備を兼ね備えた《勇者機関》が無償で運営している。


 その部屋の大きさは全て1LDKだが、備え付けの家具や最新のキッチン、高層から見渡せる海空市の町並みが売りで、雑誌の特集でも『住みたい職場ランキング』上位に位置する程だ。

 そして、その寮室の一つに環も一人で暮らしていた。


 電気も付けずカーテンも締め切られた部屋には光はなく、その暗い部屋のベッドの片隅に膝を抱えて環は目を腫らして泣いていた。


 先ほど食堂でカルマに言われた事実の数々が呪いのように環の心を蝕み続け、それに耐えるように環は自分の頭を抑える。


 ――どうして……こうなったんだろう……?


 暗い瞳を部屋の隅に向け、何かを考えることすら億劫になったその時、


「お邪魔しま~~す」

「えっ…………?」


 勢い良く扉を開けて、無遠慮に部屋に入って来た灯理に環が驚く。


「ぁ…………灯理……ちゃん…………どうしたの……?」

「いや、タマちゃんってまだ朝ごはん食べてないでしょ? 適当に軽くパンと牛乳買ってきたから、一緒に食べようと思って」

「……嬉しいけど……今は…………」

「どぉぉぉぉぉんっ!!」


 申し訳なさそうに灯理の誘いを断ろうとした環のベッドに、有無を言わさず灯理が環の隣に飛び込んだ。


「はいっ、タマちゃんの分これねっ。私はこっち」

「…………」


 灯理に手渡された袋を渋々受け取ると、環は袋の中から紙パックの牛乳にストローを刺して飲み始める。


 それを微笑みながら見て灯理も同じように紙パックの牛乳を飲み始める。


 しばらくの間、お互いが話しかける事もなく食事の音だけが部屋の中に響く。


 そんな雰囲気が気まずかったのか、環は隣でメロンパンを口いっぱいに頬張っている灯理に話しかけた。


「ねぇ……灯理ちゃん……」

「んぅ~~? ほふひはほ?」


 おそらく「どうしたの?」と、口の中をいっぱいにした灯理が目だけを環に向けると、


「初めて会った時も、灯理ちゃんから無理やり私の隣に来てくれたよね……。私ね……それが、本当に嬉しかったの……あの時にはもう私は周りから嫌われてたから……」


 それは環の記憶の中でもまだ新しい、灯理と環の出会い。

 いつものように食堂の端で一人食事を取っていた環の隣に突然灯理がやって来て、半ば無理やり一緒に食事をした事がきっかけであった。


 それからというものの、毎日毎日灯理は環の席に押しかけ、環はそれを拒否しながらも一緒に食事を取るという習慣が付いた。


 そうして、環と灯理は友達になった。


「……なんで……その……私と…………友達に、なってくれたの……?」


 直接言葉にすると、環は胸が締め付けられるように苦しくなった。


 今までも環は灯理には対しても不信感を持っていた。


 手柄のため、身分のため、昇級のため、手段を選ばずに行動してきた環は、自分が回りの人間に迷惑と思われている事を知っていた。


 それなのに灯理は環の前に現われた。友達になってくれた。

 それだけが環にとってはまるで奇跡のようで嬉しかった。

 だが、それと同じくらいに環は、灯理の見えない本心が怖かった。


「…………」


 食べかけのパンを口から離して、灯理は少し寂しそうな笑顔を見せて応えた。


「…………似てると思ったからかな?」

「…………? 誰が、誰に……?」

「私がタマちゃんに」

「え? 灯理ちゃんが…………私に?」


 環はそれに頭をブンブン振って否定する。


「そんな訳ないよ。だって、灯理ちゃんって、私と歳も一つしか違わないのに異名持ちで、明るくて、優しくて、どんな事にも前向きじゃん…………。私は灯理ちゃんとは全然違うよ…………捻くれてるし、優しくないし、どんな事考えたって、悪い所ばっかりに目がいっちゃうし…………」


 灯理も環の真似をするようにして首をゆっくり振ると、目を細めて懐かしむように言う。


「私がそうしていられたのは、雫のお陰なの」

「…………雫ちゃんの?」


 環がそう言うと、灯理は小さく頷いて話を続けた。


「五年前の《デモン・ショック》で親を失った私と雫は、その後孤児院に預けられてたの。そこは力の強い子が一番偉くて、弱い子はいつも苛められてるっていう感じの所だった。だからこそ、お姉ちゃんの私が雫を守らなきゃって思ってた。そして《勇者機関》が行うスキル適正診断で、私たちは二人共スキル適正が認められて孤児院を出れたの。そこからは必死に二人で勉強して、スキルも練習して、そうしている内に二人で最年少ヒーローなんて呼ばれたの。嬉しかったなぁ……」


 そこで一旦言葉を切ると、灯理は目を伏せて悲しそうに続ける。


「そんな時に例の失踪事件が起こって、雫もその被害者になったの。私、それが悔しくて……悲しくて……色んな人を巻き込んで、無茶苦茶な捜査を一人でしていたの……。そうしている内に周りには誰も私を心配してくれる人はいなくなっちゃった……だから……そんな時だったから、いつも隅っこにいるタマちゃんを見つけたの。手段を選ばず、誰にも頼らないそんな姿が、当時の私にそっくりだった。…………だから、つい声を掛けたくなったんだ」


 静かに灯理の話しに耳を傾けていた環は、それを聞いてまた目元を熱くさせた。


 何も出来ない、どうしようも無い自分を、自分と同じだと理解してくれようとしてくれた。  


 環はそのことに感謝し、それと同時にここまで自分を思ってくれている友達を疑っていた自分自身を情けなく思った。


「ごめん……ごめん……ごめんね、灯理ちゃんっ……」


 本気で思ったからこそ、震える声で必死に搾り出した環の言葉は、純粋な謝罪だった。


「私…………灯理ちゃんのこと、疑ってた……本当は、何か、目的があるんじゃないかって……私のこと、利用してるんじゃないかって…………本当に……ごめんなさいっ!!」


 咽び声をあげながら環は灯理に向かって深々と頭を下げる。その頭を灯理は胸元で抱き止めて、ゆっくりと手馴れたように撫でる。


「よぉしよしよし、良い子良い子。辛かったね~タマちゃん。良いんだよ? 我慢しなくて。これからはいつでも頼ってね。私たちは友達なんだから」


《勇者機関》に来てから、久しく忘れていた優しさを灯理が環に触れさせてくれた。


 その止め処なく流れ込む感情を抑える術を、環は持ちえてなかった。

 灯理の胸元で頭を撫でられる度に環は今まで押さえていた感情の全てを吐き出していく。


「苦しかったよぉぉぉ……辛かったよぉぉぉ……!! 誰も、信じられなくて…………でも、誰かに認められたくて……でも、それを見透かされて、悔しくてっ……!! それなのに、誰も助けてくれなくて…………うぇぇぇぇぇんっ…………!!」


 その後、環の慟哭は一時間にも及び、泣き疲れた環は灯理の膝元で赤子のように眠った。


 その寝顔を崩さぬように灯理はゆっくりと部屋から出て行き、自分の仕事へと向かった。


 ――自分をここまで慕ってくれる、まるで妹のような友人の汚名を晴らす為に。そんな想いを胸に抱いて。


 そして、その翌日、灯理が配属された部隊の通信が途絶えた。

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