第16話 最低と最高
磁道が起こした事件、その翌日の《勇者機関》の食堂は、いつものように朝食を取ろうとする職員やヒーローたちで溢れ返っていた。
そんないつもと何ら変わりない賑わいを見せていた食堂の中に、環が姿を現すと、先ほどとは食堂の雰囲気がガラリと変わった。
環が歩く度に近くにいた人たちは環をいぶかしむように見たり、遠くの方では環を見ながら小さく囁きあう集団がいくつも出来る。
環がそれらの集団を一睨みすると、彼らは環とは目線を外すように視線を変えた。
一気に険悪な空気が立ち込める中、ただ一人だけ環の事など気にせず、朝のコーヒーを嗜むカルマの姿を見つける。
環がテーブルを挟んでカルマの対面に立つと、カルマは迷惑そうに環を睨んだ。
「なんだ小娘? 朝から俺に何か用か」
朝の有意義な一時を邪魔された事で、声音に多少の怒気を滲ませるカルマ。
普段の環なら、多少気圧されていたかも知れない――だが、今日の環は違った。
「昨日のことで話があるの」
「残念ながら俺にはない。話がしたいなら、友達でも作るんだな」
カルマが適当に環をあしらおうとするのも構わず、環は懐から一枚の赤い紙を取り出し、それをテーブルの上に叩き付けた。
「あんたの事について詳しく調べさせてもらったわよ」
カルマはテーブルの上に置かれた紙を横目に見る。その表紙にはカルマの名前や身長と言った個人情報が記載されていた。
「これは《勇者機関》で保管してあった今までの犯罪者の前科記録よ。そしてその中には、あんたの名前も書いてあった」
「…………」
無言で紙を見つめるカルマの顔を睨みながらも、環は紙の中の項目の一つを指差す。
「悪党として付いた異名は《堕天のカルマ》。あんたのスキル《洗脳》は、自身の眼を見た相手を自由に操る事ができる発達型のスキル。このスキルを使い、数十人のゴールドランクのヒーローを操り、国家転覆を狙った大犯罪者。これを使えば、あんたが私を洗脳して磁道を殺させることもできるわ」
「……証拠はあるのか?」
カルマがそう言うと、環は鼻で笑い飛ばす。
「そんなの普段のあんたの言動や行動を見てれば分かるわ。おぞましい魔蟲を使い、人を見下して叩きのめすようなヒーローらしくない戦い方、それに伴う粗暴な言葉遣い、それらが証拠よ」
環の発言をカルマは一笑に付す。
「なかなか飛躍した考えだな。それに証拠というなら、磁道の死因は感電死らしいが、心辺りはないか?」
「話しを聞いてなかったの? それはあんたが私を洗脳して――!」
「もしそうなら、公園付近の監視カメラで調べたらいい。それで俺がスキルを使っていないと証明できる」
「そんなもの見たって分かる訳ないでしょっ! あんまり適当なこと言ってると――」
「――はい、ダウト」
「はっ……?」
カルマがそう言って環に指を指すと、環は呆気に取られて声を漏らす。
「なっ……何が、ダウトなのよ…………?」
環の質問にカルマは笑いを堪えるように肩を震わし、俯きながら答えた。
「確かに俺のスキルは《洗脳》だ。だがな……俺はスキル使用時、眼が赤く光るんだよ」
「っ…………!?」
「もし、このまま監視カメラを見たら、俺がお前にスキルを使っていないのがバレるが……いいのか?」
――まさか、嵌められた!?
そう気付いた環は、なんとか話の論点をズラす方法を考えるが何も思いつかない。
それもその筈。環が言ったカルマがスキルを使って環を操ったという仮定は、元より環のでっち上げなのだから。
それに気付いているのか、カルマはそのまま環の心情を知っているように、環の心を読み取っていくようにつらつらと話す。
「恐らく、昨日あの場所から帰ったお前は、すぐさまあの公園や付近の道路の監視カメラの記録を指令官であるおっさんのコネで、警察に頼んで見せて貰ったんだ。だが、それを見ても、その記録の中の動画では自分が磁道を殺しているようにしか見えなかった。そこでお前は、自分の意志ではなく、なんらかの理由で俺に磁道を殺させた事にしようと画策した」
「ち、違うっ……!」
「元犯罪者の俺なら、動機はなんであれ、人を殺してもおかしくない。そんな風に安直に考えたお前は、《勇者機関》で保存している俺のスキルを見て思ったんだ、『これは使える』ってな」
「だ……だから……違うって……!」
「後は簡単だ。人の多い所で俺の過去をばらした後、いかにも俺がやりそうな理由を付けてしまえば、とりあえずは合同任務に外される事は無い。まったく、単純明快すぎて笑いを堪えるのに必死だ」
「違うって言ってるでしょうっ!!」
我慢出来なくなった環は、カルマの座っているテーブルを叩いて激しく否定する。
全てカルマの言うとおり、図星だったからだ。
焦る環の内心にカルマは呆れた笑みを浮かべ、
「そんなに昇級したかったか?」
「……うるさい……」
「こんな雑な嘘がバレないとでも思ったのか?」
「うるさい……うるさい……」
ワナワナと体を震わせ、俯き、視界が歪んでいくように錯覚していく環。呼吸は荒さを増し、冷たい汗を掻いていた。
そして――
「そんなにしてまで、認められたかったのか?」
「っ…………、ぅぁ…………!?」
カルマが環の秘めていた願望――核心を突いた。
その時、いつの間にか静まり返っていた食堂に、破裂音にも似た乾いた音が弾けた。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……!!」
机に身を乗り出してカルマの頬を叩いた環は、目を潤わせえてカルマを睨む。
「――最高だな、お前」
「…………ひっ!?]
静かに、ゆっくりと顔を向けたカルマの表情を見て、環は背筋が寒くなり、思わず後ずさる。
黒い瞳孔を見開いた隻眼、一切の感情の起伏も見えない口元。それは失望しているようにも見えたが、今の環がその表情に見出した感情は、恐怖だった。
その暗い瞳を見た環は、《洗脳》のスキルを受けた訳でもないのに、立ち尽くす。
その瞳は先日、カルマが相手にした悪党、真白に向けていたモノと同じだったからだ。
まるでカルマの瞳が、”自分もアイツと同じ悪党だ”と言っているような気がした。
カルマはゆっくりとした所作で椅子から立ち、環の下まで歩く。そして、環の脅える瞳を全てを見据えるように、一分たりとも揺るがない隻眼で覗き込む。
「自分が不利になれば誰かに罪を着せ、その上で自分が上手い蜜を吸う。そして少しでも自分に都合が悪くなれば、権力や暴力に訴えかける。そして今回、お前は自分が磁道を殺した事を俺に擦り付けようとして失敗し手をあげた。結局の所、お前は自分で自分の無能を晒してるんだよ」
「た、確かに……あんたに罪を着せようとはした……それは認めるわ……」
寸での所でなんとか泣くのを堪える環は「……でも」と言葉を続けて、せめてもの釈明をする。
「私は……あいつを……磁道を、殺してないっ……! それだけは本当なのっ…………」
「その言葉、今周りの連中に向かって言えるか?」
カルマの言葉に促されるようにして、環は周囲を確認する。そして――
「……ぁっ!……あ、あぁっ……」
環の周り、ひいてはカルマのテーブルを囲むようにして、食堂にいた人々が環を見ていた。
氷のように冷たい目。その視線が、四方八方から環を刺していた。
期待も、呆れも、失望も、ましてや怒りすら感じないその視線。それを見て環は初めて自分が置かれている状況に気付いた。
自分は誰にも信用されていないと。
「お前が何を言おうと、もうお前を信じる奴なんかいない」
この場にいる者、全てが理解している周知の事実を、カルマはあえて環に言い放つ。
その言葉一つで、環の折れかけていた自尊心は砕け散り、股を閉じるように床にへたり込む。
絶望だけをその瞳に浮かべ、環は今度こそ言葉を無くす。
「各々の持てる『技術』を持ってして、『勇気』を奮い立たせて戦う者たち。それがここ《勇者機関》のキャッチコピーだよな? じゃあそれに全く当てはまらないお前はなんだ?」
カルマはそこで一度言葉を切ると、目の前で立ち尽くすだけの環の耳元まで顔を近づけて囁く。
「あらゆる手段を用いて人を蹴落とし、偽善と欺瞞を振りまく勇者。言うなれば――ただの偽善者だな」
「うぅ……うっ……わぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その言葉が環を押さえつけてい理性を決壊させる決め手となった。
崩壊した心のダムから大量に流れ出た悲しみや悔しさ。それを全てまとめたような環の慟哭が食堂中に響く。
すると食堂の入り口付近から、人ごみを掻き分けて鋼地が現われた。その隣には灯理が心配そうに環を見守るように見ている。恐らく、騒ぎを聞きつけた灯理が、鋼地に事情を説明して、ここまで来てもらったのだろう。
鋼地は環とカルマの二人を交互に見ると、泣き崩れている環のすぐ隣に立つ。
「……とっ……お、とう……さん……」
「…………」
涙で潤んだ目を縋るように鋼地に向ける環。そして、それを鋼地も無言のまま見つめる。
鋼地は覚悟を決めるように自分の目を一瞬閉じると、指令官の顔を持ってして環に宣言した。
「シルバーランクヒーロー彩華環。指令官命令により、今からお前を無期限謹慎に処す」
鋼地の命令を聞くと、環の瞳から完全に光が消えた。
虫の良い話だとは分かっていた。だが、それでも最後の最後で信じてくれるのは親の鋼地だと信じていた環に、この言葉は重かった。
「やって……ない……私はっ……! やってないっ……!」
それだけを言い残すと、環は鋼地の横を走り抜け、一目散に食堂を飛び出した。
自分の横を通り抜ける際、前髪に隠れた環の涙に気付きながらも、鋼地は娘に振り向こうとはしなかった。
その様子を見て悩みながらも鋼地の横にいた灯理は、鋼地に一礼してから環の後を追った。
先程の沈黙とは違った、重苦しい静寂が食堂を包み出す。そんな中カルマは、まるで何事も無かったかのように再び席に戻り、コーヒーを飲もうとする。
「すまなかったな…………」
カルマがカップに手を付けた瞬間、その対面に立った鋼地が酷く申し訳なさそうにカルマに謝罪した。
「別に問題ない……ただの小娘の戯言だ」
「その戯言如きに随分と付き合っていたものだな」
挑発気味な鋼地の言葉に、カルマは鋼地を睨む。
「…………何が言いたい?」
「今回の件は確実にうちの娘が悪い。が、本当にあんな顔をさせる必要があったのか?」
「…………」
自信という光りを失った瞳。恐怖や悔しさから震える唇。
カルマがコーヒーの水面に目線を落とすと、まるで環のその顔が映りこんでいるように思えた。
「…………許せない程ではなかった。だが、昔の俺に似てるあの小娘の考えが……気に食わなかった」
「…………そうか」
謝罪にも聞こえないカルマの言い分に鋼地は何かを察したのか、納得したように踵を返して司令室に戻っていく。
それを見届けると、カルマを気持ちを入れ替えるようにコーヒーを飲みながら朝食が届くのを待つ。少し冷めたそのコーヒーは、先程よりも苦みを増している気がした。
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