第15話 裏切られた憧れ

 五年前、海空市で起こった《デモンショック》により、《転生のリンネ》は殉職した。


 その事実は、当時十歳だった環には大きく、《勇者機関》が保有し元輪廻の寮室で一人塞ぎこんでいた


 そんな風に環が引きこもっていると、ある日、部屋に赤ん坊を抱えた知らない女性が環を尋ねてきた。


 女性の話を聞くと、どうやら過去に姉に命を助けられたことのある人だったらしい。

 女性は、勇者である姉が今回の事件で殉職したことをニュースで知り、お礼が言えなかったことを悔やんだ。


 そこで自己満足になるかもしれないが、せめて親族の方にだけでも、姉には伝えられなかった感謝の気持ちを聞いて欲しかったそうだ。


 それからというもの、その女性を皮切りに多くの人たちが連日、輪廻の寮へと足を運び、姉に伝えれなかった感謝の気持ちを代わりに私に伝えに訪れた。


 時には歯医者、時には弁護士、時には専業主婦など様々な人種の人がそれぞれの感謝の気持ちを口頭だけでは飽き足らず、手紙や私に渡すようにお菓子を持参する人もいた。

 ヤクザが来た時は怖くて驚いたが、それ以上に環の中で、ある疑問が膨らんでいった。

 

 ――どうしてそこまで、姉さんは慕われてたんだろう?

 

 そして気になった環は、司令官である鋼地に頼み込み、これまでの姉の活躍が載っているファイルや資料などを一式見せた。

 本来は個人のヒーローの細かい情報や事件の資料は国家安全保障省などの手に渡り《勇者機関》では閲覧できない。それを鋼地がわざわざ環の為に無理を通して様々な資料を集めたのは、大切な姉を自分の命令で奪ってしまった環への贖罪も含まれていた。


 そんなことも露知らず、環はそこには映る自分が嫌いと罵ったヒーローとしての姉の姿を始めて見た。


 建物の倒壊を一人で抑える輪廻。犯罪組織を潰した事実。自分とより少し年の離れた青少年の犯罪者の更生の為に尽力したニュース、様々な逸話がそこには記録されてた。


 その中にいる姉はどれも格好良くて、可愛くて、強くて、優しくて――まるで自分が大好きな特撮ドラマのヒーローたちのように環には見えた。


 そして思った。


 姉がこの世からいなくなっても、姉を覚えてくれて、感謝して、そして、明日も生きていける人たちがいる。その事実に感動した環はその時、強く決意した。 

 

 ――私も、こんなヒーローになりたい!


 そこからの環の行動は早かった。


 《勇者機関》が主体で実施しているスキルの診断結果。そこでレアスキルと診断された環は、それを説得の材料としてヒーローの訓練学校に入学した。

 

 姉が殉職したこともあってか、鋼地を説得するのには大分骨が折れたが、そこは想いと決意で乗り切った。

 

 レアスキルのお陰か、努力の成果か、異例の成績で訓練学校を飛び卒業した環は、灯理と雫を超えて最年少ヒーローとして《勇者機関》に迎えられた。

 

 姉さんと同じように、街の人々を泣かせる悪党を退治するんだ――そう思っていられたのも、《勇者機関》に所属してから、最初の一ヶ月間だけだった。


 始めは新入りの環に甲斐甲斐しく世話を焼いていた先輩たちは、環の能力の高さから自分の手柄を取られることを恐れ、だんだんとヒーローとは関係ない仕事を環に押し付けるようになっていった。


 ある時はドブ掃除、ある時は先輩たちの荷物の用意、酷い時には、そんな仕事さえ割り振ってくれない時もあった。


 それでも憧れた姉と同じ仕事に就けたことを誇りに思っていた環は、”姉さんのように人々に愛されるヒーローになる”という目標を支えに、なんとか踏ん張っていた。


 その考えが変わったのは、ある一つの事件がきっかけだった。


 新入りが一週間の内に、ノルマとして一回のみ許されるパトロール中、たまたま居合わせた環がひったくり犯を拘束したのだ。


 ヒーローになってから一ヶ月、初めて自分が誰かの役に立てたことに喜び、これで他のヒーローのみんなも自分を認めてくれると思っていた。


 次の日、環は更新された《勇者手帳》を開いて自分の手柄を見ていた。

 だが、何度も何度も更新しても自分の功績による評価はされておらず、我慢の限界を向かえた環は、パトロールの時、自分の世話係を任されていた先輩ヒーローの下へと向かった。


 先輩は食堂で他の仲間たちと喋りながら食事をしていた為、すぐに見つけることができた。

 環が昨日のことを聞こうと口を開きかけたとき、その先輩の会話の内容に思わず自らの耳を疑った。


「でさ、あの子ったら、『私が替わりに上に報告しておくから先に帰りなさい』って言ったら、馬鹿みたいに素直に帰って行ったのよ。私、もう少しで吹きそうになる所だったわ!」

「え~~、でもいいのか? 自分の後輩の手柄横取りして、しかもそれで昇級するって、ハハハッ!」


 ――手柄を……横取り?……何を、言ってるの?


「別にいいでしょ? あの子って、口を開けば『姉さんみたいなみんなのヒーローになるんだ!』ってうるさいのよ。それにこれで私のために尽くせたんだから、正真正銘みんなのヒーローでしょ?」

「確かにな!」


 ゲラゲラとした笑い声で、環は自分の手柄を信頼していた先輩に横取りされたことに気付いた。


 そんなこと、ヒーローがやって良い事じゃない。ヒーローがやる事じゃない。

 そう思うと環は声を上げずにはいられなかった。


「あ、あのっ!」


 先輩とその周りの仲間たちが、環を胡乱げな目で見てくる。

 その視線に押し潰されそうになりながらも、環は言うべき事があると自分を奮い立たせ、先輩を問い詰める。


「わ、私の、昨日の事件の功績……なんで……そんな事をしたのですか?」

「はあ~~? 何の事?」

「とぼけないでくださいっ! 今の話、全部聞いてました。どうしてこんなことするんですかっ!? そこまでして昇級したいんですかっ!?」

「じゃあ、証拠あるの?」


 細く冷たい目でこちらを睨みながら、私に近づく先輩。その冷たい目のまま、先輩は私の耳元で囁くように言った。


「例えあったとしても、ここでは結果が全て。結果がなければ何も関係ない。大体、自分が解決した事件の報告を自分でやることなんて、この界隈では常識中の常識。それをしなかったあんたが悪い」

「そんな……そんな事が、許される訳――」

「いいや、許されてる。だから私は昇級したし、あんたの手帳には何も記されてない。それが全てよ。姉さんみたいになりたい? 笑わせてくれるわっ! それって、神聖剣に選ばれる勇者になるってことでしょ? 成れる訳がないじゃない。あんたみたいな功績も手柄も、そして、階級も低い新人が、無駄に目立つことするんじゃないわよ。分かったらつべこべ言わず、明日の任務の用意でもしてなさい。そこにいる限りは、一生こき使い続けてあげるわ」


 そう言って肩を押された環は、抵抗せずに床に尻餅を付いた。

 

 立ち上がれる気がしなかった。

 ――私が間違っていたの? 追いかけるのは、無駄なことなの? そもそも根本的に間違っていたのかもしれない。


 夢や理想や目標なんて、体の言い売り文句だ。何も知らない奴の戯言だと、環はその時本気で思った。


 なぜなら、現実はこれだ。

 憧れた舞台に上がってみたら、その壇上はカビと垢だらけで、その上で汚れをお互いに擦り付け合っているだけの醜いヒーローたちがそこにいた。 

 だが、環はそれを簡単に認めたくなかった。

 認めてしまえば、大好きな姉も目の前の奴らと同じクズと認めてしまうから。


 だから、環は変わった。


 夢や理想を語る為に、まずはそれを語れるくらいの階級に上がらなければならない。

 手柄と功績を一番に考えて、それを奪おうとする周りのヒーローも突き放し、絶対にやりたくなかった親の名前を盾に任務を受け続けた。

 

 それで失敗すれば、こうはならなかったのかもしれない。

 

 だが、環はその一ヵ月後、シルバーランクに昇格してしまった。

 自分自身の編み出した歪んだ方法。それを正しいと環自身が証明してしまった。

 そして、そうなったらもう、環は自分では止まれなかった。


 * * * * *


「んっ……んぅ~~」

 

 目を開けると、環は自室の机のパソコンを開いたまま、机に突っ伏して寝ていた。

 

 磁道を殺したと周りから疑われたあの後、司令官の鋼地からその場にいたヒーローに向けて一斉メールが届いた。

 

 内容は、事件の報告のために環とカルマは本部へ戻り、現場の後始末は応援で来たヒーローや警官隊に任せろと言う指示だった。


 環とカルマの二人はそれに従い、他のヒーローや警官隊から刺さる視線から逃れるように本部に戻った。

 そして、事件の報告をする為に、環は事件の報告書を書き上げて、それを印刷している間に寝てしまっていた。


 いつもなら、報告書を書き上げるなんて造作も無いことだが、今回は他の調べ物に手こずった為に慣れないことをした疲労感により睡魔に襲われた訳だ。

 

「…………懐かしい夢を見たな」


 シルバーランクになってから、更に一ヶ月が経った。環は天井を仰ぎ見ながら自分自身の変化を顧みる。


 自分に近づく同業者は灯理と仕方なく組んでいるカルマぐらい。父や《勇者機関》の従業員、他のヒーローはもちろんのこと、普段の歯に着せぬ物言いや不遜な振る舞いから街の人々にも毛嫌いされている。


 ――仕方がない、私がそういう風に振舞ってるんだもん。

 

 環は本気で後悔していないと思っていた。


 みんなそうやって自分の居場所を確保してる。そうしなきゃ、自分が他人に搾取されるだけだから。


 パソコン画面に映る物をコピーした紙の表紙を見て、改めて環は覚悟する。


 これからすることは別段特別なことでは無いし、他の人たちだってやってることだ。

 他の人がやっているのだから、自分がやってはいけない訳は無いはずだ。

 やられたらやり返さなければ、永遠に自分は惨めなだけ。だから、これは決して悪い事じゃない。私は間違っていない。 


 間違っていない――そう何度も環は頭の中で同じ言葉を繰り返す。その小さな胸に感じる痛みを無視して。

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