第7話 異質・奈落の流儀
既に自分が敵の罠に掛かってしまったと理解した環、だが、それでも環は諦めずに勇猛果敢に目の前の敵を刺すように睨み付ける。
「……雇われのチンピラにしては見事ね……。でも残念、ここで私を倒してもまだ私と一緒にいたヒーローたちがいるわ。今頃は人質の保護を完了してこちらに向かってきているはずよ」
「それは無いですね」
「……!?」
真白は環が縋った一縷の希望をまるで一蹴するように否定すると、おもむろに自分の耳から一本の糸を引っ張り出した。
「私の糸は糸電話のように張ることで、その糸の先の音を回収する事も可能で、そして、この糸の先には先ほどから銀行の方に居る他のヒーローの方の声も聴こえているのですよ。こんな風に」
真白がその糸を指先で調節すると、その糸からいくつもの人の声が路地裏に響き出す。
『事件解決。人質は全員救出しました』
『了解。では我々も撤収しましょう』
『……? 環さんの援護は良いのですか?』
『何を言っている、彼女はシルバーランクだぞ。今頃逃げた強盗を打ち倒して拘束でもしているはずだ。それよりも俺たちは、環さんの相方の方に言われたように本部に戻って今回の事件をまとめよう』
『確かにそうだな。相方の方は先に本部に戻って報告書を書くと言っていたことだし、俺たちも俺たちもそうするか』
『あぁ、そうしよう』
そこまでを環に聞かせると、真白は電話の通話を切るように張っていた糸をプツリッと音を立てて糸を千切り、盗聴を終了させる。
「そ……そんな……そんなことって…………」
「流石はあの最強の勇者と言われた《転生のリンネ》の妹さんですね。大分お仲間方にも信頼されているようで羨ましい限りです」
真白からの賞賛を受けて、環は自分が思っているよりも最悪の状況に立たされている事を理解した。
最年少ヒーロー。ベテランとみなされるシルバーランク。指令官の娘で最強の勇者の妹。
様々な理由で環は、自分が扱いにくい新人として《勇者機関》の中で目の仇にされているのは知っている。
さらには、普段から先輩に対しても不遜な態度を貫く生意気な自分に仲間から人望が無いことぐらいは自覚している。
それも戦闘時に一人でも問題無いと思われることすら無い程にだ。
ならば、なぜ彼らはそんな無意味な会話を繰り広げたか、その意味は明白だった。
――あいつら、私を見捨てやがったっ!!
自分の充てが外れた環は、今度こそ本当に余裕でいられなくなった。
痛みで痺れる体を何とか起こして、再び真白に立ち向かおうと立ち上がる。
「だから無駄ですって」
「なっ……!? きゃあっ!?」
その動きすら真白にはお見通しのようで、環が何とか立ち上がった瞬間、真白は自分のスキルで環の傍に仕掛けていた糸の罠を起動させる。するとその糸は、環の四肢と首に巻きつき空中で大の字に吊り上げた。
「さぁて、もうそろそろ時間稼ぎも済みましたし、どうせならあなたを使って逃走用の人質にでもしましょうか」
「ふっ、ふざけんじゃないわよっ! 私が黙ってあんたらに利用される訳が……!!」
環が言い終わる前に真白は環の首の糸を締め上げて黙らせた。
言葉のかわりに空気が掠れるような音を出す環を、変わらず紳士然とした態度で真白は見つめる。
「あまり抵抗されると面倒ですからね。先に意識を落としておきましょう。大丈夫ですよ、あなたが起きる頃には全てが終わってますから」
「こっ……! く、ひょ…………ぅ…………]
実質の勝利宣言をする真白に、環は掠れ行く意識の中で最後まで抵抗しようと体を動かす。
だが、先程の罠を仕掛けていた糸と首に巻きついている糸は強度が段違いで、環の体を拘束する糸はもがけばもがくほど環の体を縛り付けてくる。
スキルを発動しようにも、先程のように罠用の糸も一緒に体に巻きつけられていた場合、更に状況が悪化する可能性が出てくる。
体の自由も奪われ、脱出の策も封じられ、環にはもう手が無かった。
ゆっくりと落ちていく意識の中で、環が諦めるように目を閉じようとすると、真白の後ろから先程、真白に言われて逃走用の車の場所に向かっていった男二人がこちらに向かって走っていた。
――きっとこのままあの二人に袋詰めにされて、拘束されて、惨めにこいつらに利用されるんだろうなと、そんな事を他人事のように思いながら、環はふと視線を逸らす。
だが環の思惑とは違い、真白は訝しげに部下である二人に違和感を覚えていたようだった。
「お二人ともどうしたんですか? 先に車で待っている手はずですが、そんな簡単な命令すら聞けないのですか?」
どうやらここに二人が来る事は真白の計画にはなく、真白は走ってくる二人に問いを投げかけるが、二人はさらに速度をあげ、そして、
「ぐはあぁぁぁ!!」
そのままの勢いを殺すことなく、飛び込むように一人の男が真白の顔面目掛けて殴りかかった。
あまりにも唐突な裏切りに、流石の真白も反応する事ができず、そのまま地面へと横たわる。
「なっ!? 何をする貴様らっ!?」
今までの紳士然とした態度を崩さず、それでも怒りを声に込めた真白の声に対して、二人の強盗は幽鬼のようにふらふらとした足取りで真白にもう一度殴りかかる。
「くっ! これは、一体、何がっ!? お前らいい加減にしろっ!!」
六本の腕で二人の拳を受け止める真白は、改めて二人の様子を真近で見る。
二人の目は虚ろで生気が感じられず、これほど激しく動いているにも関わらず息すら途切ていない。
誰の眼から見ても、彼らは明らかに正気ではなかった。
「っ…………! くそっ!」
悪態を吐きつつ真白は迷うことなく二人を壁に投げ飛ばし、糸で壁に 磔にする。
完璧に動きが取れなくなったにも関わらず、二人は無理やりにも体を動かして拘束から抜け出そうとする。
腕や足の関節がぎこちなく動く様を見て、恐らく関節の節々が外れているが真白から見て分かった。
常人では声をあげない訳がないその痛みを受けても、未だに二人の目に生気は宿らず、その異常な光景に真白は動揺を隠せない。
「一体、何がどうなって……?」
「――最高だな、お前」
閑静な路地裏に響く新たな声。その声の方に真白は向くと、そこには運転手として目的地で待っているはずの部下一人を侍らして立つ一人の青年がいた。
黒革のコートに腰に冒険家のようなムチを携えた隻眼の青年、カルマはその美顔を邪悪な笑みで歪めて真白を路地裏の闇から見ていた。
「そこの小娘が世話になったみたいだったからな。お礼に小遣いをやったつもりだったんだが…………どうやら気に入ってはもらえなかったみたいだな」
「こず……かい……? まさか、それはそこの彼ら二人のことですか? 彼らに一体何をしたんですかっ?」
「お前の失敗は、その甘さだ」
真白の質問を無視し、そのままのペースでカルマは切り出した。
「銀行に着いて周りの民間人の中に自分の身内が中にいることを知っている人間が何人もいた。確かに事件的には大きいが、まだマスコミの報道陣もいない状況で中の人間が把握できるというのは、そいつらが銀行から逃げてきたことを意味する。だからこんなにも早く《勇者機関》のヒーローが駆けつけた訳だ」
カルマの言葉に何も真白は何も言うことなく、カルマもそのまま言葉を続ける。
「だが、それは部下の不始末かも知れない。でも爆弾の用意ぐらいになると話は変わって来るよな? しかも良く出来た偽者の爆弾なら特にな」
「!? 何故それをっ……?」
「対したことじゃない。たまたま同じ物を昔に使ったことがあっただけだ。解除方法も同じ爆弾の方法と同じじゃなければならない所も変わってなかったしな」
その言葉で真白はカルマがまともなヒーローでない事を確信し、環の首を絞めていた糸を手放し、六本の腕をフリーにする。その行動を指差して責めるようにカルマは続ける。
「そして、人質という悪党の常套手段である切り札を手放すその手法。それがお前の甘いところだと言っている。その小娘を使えば、少しはこの俺よりも優位に立てたかも知れないのに、それを自分自身で切り捨てる。まあ、そんなことしたとしても、人質はその小娘も含め全員解放したがな」
カルマがそう告げた時、真白の視界の端から一つの鉄の板が飛来し、真白を襲う。
異形型のスキルで蜘蛛のように拡がった視覚を持つ真白は、その攻撃を軽々と避けるが、真白が完全に避けたはずのその鉄の板は、真白の横を通り過ぎるとまるで意思を持っているように空中で旋回し、環を拘束していた糸の全てを切り離した。
「……はっ!! はぁ……はぁ……はぁ……た、助かった……」
拘束から解かれ安堵したのも束の間、環が危惧していた通りに糸が切られたことで、真白の仕掛けた罠が作動。
路地裏の建物の屋上から大小様々な大きさの角材が環の頭上に降り注ぐ。
「……はぁ……はぁっ……!!」
まともな呼吸が出来ず体力を消耗していた環にその罠を避ける術はなく、環は責めてもの抵抗としてその小さい体をさらに小さく丸めて当たる範囲を狭める。
一貫の終わり。そう環と真白が思ったその時、先ほど環の拘束を解いた鉄の板がその表面を薄く伸ばしていき、環の体をシェルターのように囲って上から降ってくる角材から守った。
人一人では到底運ぶこともできない大きい角材、それらの脅威を寄せ付けぬ程に強固なそのシェルターは、それら全てを弾き返していく。
そうして仕掛けである角材が落ちきった場所には、その外壁に傷一つ付いてないシェルターだけがそこにあった。
「まったく、本当に世話のかかる小娘だな」
面倒そうに舌打ちをしながらカルマが自分の人差し指を内側に曲げると、シェルターは見る見る螺旋階段のように上に昇り、その全容を晒した。
「…………ひいっ!?」
それの姿を見た時、守られたはずの環でさえ小さな悲鳴を上げ、真白はさらに警戒を強めた。
それは、瓦のように重なった黒い金属の脚部をガチガチと擦り合わせながら動き、その先端部分に鋭い二本の牙を持つ巨大なムカデだった。
「おいおい心外だな、俺のペットでも流石に傷つくぞ」
「…………ペット…………という事は、あなたは魔獣使いでしたか」
「あぁ、何か問題でもあるのか?」
真白の言葉にカルマは不遜な笑みを浮かべて肯定した。
この世には人間とは全く別の進化を遂げた人類――魔族が放つ魔力や毒により後天的な進化を遂げた魔獣が存在する。
魔獣達の多くはその進化に精神が付いていけず凶暴になってしまう物もいるが、その魔獣を使役し、様々な方法で操る事ができる人々を魔獣使いと呼ぶ。
「それにしては趣味が悪すぎるのではないのですか? よりにもよってムカデの魔蟲とは」
人一人を容易く切り刻めるであろう歯をギチギチと鳴らすムカデを見ながら、真白は更に警戒を強めて指先から出る糸で罠を仕掛ける準備をしていた。
「俺は心が広くてね。多少の見た目なら不細工な女も虫も気にしない主義なんだよ。ちなみにこいつはヨロイムカデって種類の魔蟲で、ここまで育てるには時間が掛かった」
カルマの前に強盗が先陣を切るように戦闘態勢を取ると、カルマは何事もなかったように話を戻し始める。
「それにお前も素人の悪党ではないみたいだからな。念には念をってな」
「ほう? どうしてそう思うのですか?」
真白が値踏みを付けるようにカルマを注意深く観察する中、カルマはそんな視線も気にせずどこか懐かしそうに辺りの壁や地面を見る。
「この路地裏は昔から悪党御用達の逃走ルートなんだが、ここの有用性を知っている人間は指で数える程しかいない。ここを好んで使うってことはお前も中々のワルなんだろ?」
「随分と悪党のやり方にお詳しいですね、改めて何者かお伺いしても?」
「別段、名乗る程のもんじゃない。お前らと同じただの悪党だ」
カルマの返事に、真白はおかしそうに笑う。
「冗談は程々にして頂けませんか? ヒーローと一緒にいる方が普通の悪党な訳がない」
「冗談と思うなら、お前も俺の所まで墜ちれば分かるさ」
試すような言い方をするカルマの顔を見た瞬間、真白は背筋が凍るような錯覚を起こして戦慄した。
その隻眼の奥はガラス玉のように透き通っている、だがそれは純粋とか淀んでいないという表現ではない。
その眼に何も移さない様な、生気の無い眼。
そして己を悪党と呼ぶ者に相応しい程に歪みきった笑みは、深淵のようにどこまでも深みを増していた。
「銀行強盗に拉致と来たら、次は何をしてくれる? 今度こそ本物の爆弾で銀行を襲うか? それともスキルを使って巧みに罠を張るか? 今度こそ殺人でもしてみるか? 大丈夫、安心しな、お前程の奴ならまだ下まで行けるさ。それとも今ここで俺を殺して逃げるか? それならそれで悪党の先輩である俺が手取り足取り教えてやるよ、お前がまだ行ったことも無い、地獄の底って奴をよ」
二、三歩、その圧に押されて真白が後ろに下がる。そんな真白に、カルマは親指を逆さにして突きつけて言い放った。
「――さあ、墜ちるとこまで墜ちてみな」
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