第3話 転生者・堕天のカルマ

 鋼地が言い放ったとほぼ同時に、司令室の唯一の出口である一階直通のエレベーターの作動音が鳴り響いた。


 環は振り返ってエレベーターのランプの光を見ると、ちょうどそのランプは、最上階を示す表示の『F80』の文字を輝かせていた。


《勇者機関》初の転生者にして、これから自分と行動を共にする事となる相方に対し、自然と環はその身を強張らせる。


 先程は深くまで深くまで考えなかったが、相手は元大犯罪者。更生の意志があるからといって油断はできない。


 環はいつでも動けるように腰の剣に手をかけて臨戦態勢でエレベーターを睨む。

 そして、エレベーターは軽快な到着音と共にその扉が開き、中から一人の男が姿を見せた。


「……………………えっ?」


 予想もしなかったその男の風貌に環は驚きを隠せず小さく声を漏らした。


 黒い革ジャケット、前髪とその下の機械によって塞がれた左目、冒険家のようなムチを腰に携えた一人の青年。

 犯罪者というのだからもっと悪漢染みた容姿を想像していた環だが、青年のその容姿は悪漢というよりもモデルと言った方がしっくり来る。その整った容姿に、臨戦態勢で出迎えていた環でさえあっけに取られた。


 だが、すぐに観察役としてここで動揺を見せる訳には行かないと、環は臆することなくこちらに向かう青年の前に立ちはだかった。


「あなたが噂の転生者リベンジャーね? ようこそ《勇者機関》へ。あんたみたいな極悪人でも仕事がある事を精々感謝しながら私に尽くしなさい」

 

 挑発的な事を口走った環に、青年はその隻眼から鋭い視線で突き刺すように環を睨みつける。

 その視線はまるで、自分の喉元に剣を突きつけられているような錯覚を起こし、環は背筋が凍るのを感じた。


「っ…………」


 一瞬の緊張が部屋中を駆け巡り、両者とも動かずにいた。


 そして、その緊張の糸を最初に切ったのは、青年の方だった。

 この時点で後手に回った、油断したと思った環が、即座に青年から反対方向に飛ぼうと足に力を入れ――


「…………はっ?」


 そこで環は気づいた。自分に向かってくると思っていた青年が、そのまま自分を無視し、父のいる机に向かって歩いていることに。

 その様子に困惑する環を無視して、鋼地は目の前の青年に笑いかけた。


「久しぶりだなカルマ。どうだ? 八年振りの海空みそらの街は」


 鋼地にカルマと呼ばれた青年は、窓ガラスから広がる街を一望し、鼻で小馬鹿にするように笑った。


「まったく変わらないな、この街は。どいつもこいつも平和ボケしていてイライラする」


 吐き捨てるように言ったカルマの言葉に、鋼地は自然な笑みを零し、


「まあそう言うな。お前にはこれから転生者リベンジャーとして、そこにいる私の娘の環とミッションをこなしてもらいたい」


 そう言って鋼地が環を首で指すと、カルマは驚いたように片目を見開き、後ろにいる環に振り向く。


「こいつ…………社会見学に来ていた小学生じゃなかったのか……?」

「誰が小学生よっ!」


 先ほどの緊張した雰囲気から一変し、環は怒り肩にしながらずかずかとカルマの横まで歩く。


「私のどこが小学生に見えるのよっ!? こんなにも美しく、麗しく、可憐な美少女をっ!!」

「いや、チビだから」

「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 誰がチビよっ! 誰がっ!」

「いや、だからお前がチビだから、それくらいの身長なら小学生だと思ったまでだ。それとも…………」

 カルマは不思議そうに首を傾けると、一度、環の身体を上から下までじっくりと確認して結論を出す。


「お前、まだ幼稚園児か? 託児所なら一階にあるから一緒に付いて行ってやろう」

「私は十四だ馬鹿野郎っ!!」

「おいっ、いい加減にしないか」


 ゆっくりと静かに、だが、その言葉の節々に威厳を感じさせるような重厚な声に大剣を展開して構えていた環がビクついた。 


「とにかく、改めて指令を出す。彩華環、そして《堕天のカルマ》。お前ら二人を正式にチームとし、二人で街の治安維持を保つためミッションを全うしつつ、ヒーロー失踪事件の解決に向けて行動してもらう。これ以外にお前が合同ミッションを受ける方法は無いんだ。やるならしっかりと責務を果たせよ」


 鋼地は先手を打つように、これ以上は譲歩しないと釘を打つ。その結果、引き下がることができなくなった環は、一度諦めるように肩を落とす。


「……分かったわよ……やればいいんでしょっ、やればっ! でも、それなら条件がありますっ」

「…………なんだ?」

「私がもし、こいつと組んでこの事件を解決したら、その時は私のゴールドランクの昇格を認めてください」


 環のその条件を聞いてさっそく鋼地は、環をこのミッションに加えたことを後悔した。


《勇者機関》でのランクは三つ。下から順に、ブロンズ・シルバー・ゴールドだ。


 ヒーローにとってこのランクは、仕事の難易度と共に、得られる所得や名誉に関係する。

 ランクが高ければ、その名誉を用いた宣伝活動や、様々なメディアに出演しているヒーローも少ないない。


 環にとってもそれは同じことで、それを利用することは、環のある目的の為に優先すべき事項だった。


 だが鋼地は、それにはどうしても納得が行かないようですぐには返事ができず、それを察したカルマが助け舟を出すように新たな提案をした。


「それならおっさん。俺がこいつの才能を見極めた上で判断するってのはどうだ? それならおっさんも安心できるだろ」


 突然話に割って入ったカルマに、環は下から睨みつける。


「はぁ? なんで私があんたなんかに評価されなきゃいけないのよ。そんなのお父さんだって許すはずが――」

「それなら良いだろう」

「ハアアアァァッ!?」


 予想もしなかった答えに環は素っ頓狂な声をあげると、鋼地の机に身を乗り出し抗議する。


「何で私が言った時は悩む癖に、こんなぽっと出の奴の提案は即決なのよっ!」

「カルマがそれだけの実力者だということだ。そういう事で、お前の今回の任務の功績をカルマが認めれば、お前は晴れてゴールドランクに昇格ということだ。良かったじゃないか」

「良くないわよっ! なんで私がこんな人の年齢も分からない犯罪者に認められないといけないのよっ!」

「…………環、また犯罪者と言ったな。次にこいつにそんな呼び方をするなら、お前でもこれ以上は看過できんぞ…………」


 その声に薄っすらと怒気が籠もると、環は机から離れて身体を逃がすように反らした。

 こういう時、父が怒りを抑えている時だと、環は知っていたからだ。だからこそ環は思った。 


  ――ここまでお父さんが庇うこいつってなんなの?

 

 一瞬の沈黙がまたもや部屋に訪れようとしたそんな時、鋼地の机の電話が鳴り響いた。

 目を環から離し、鋼地が電話を取り用件を聞く。すると、鋼地はしかめっ面のまま環とカルマの二人を見やる。


「今から少し前に海空市の銀行に強盗数名が入り、その場を占拠しているらしい。すぐにその近くをパトロールしていたブロンズランクのヒーローたちが、近くの住民を避難誘導したお陰で周りの住人に被害は出ていない。だが、銀行員を含めた客数名が銀行内で人質に取られているらしい。そこでシルバーランク以上のヒーローへの応援要請が来た。今から二人には、その現場に急行してもらい、人質の救出と強盗団の捕縛ミッションを発令する。頼めるか?」


 説明を静かに聞いていた環の表情に緊張の色は無く、その程度かと言わんばかりの自信のある笑みを見せる。


「当り前じゃない。銀行団の捕縛なんて大きいミッション、シルバーランクでもそうそう任されない事よ。こんな手柄を見す見す逃す馬鹿はいないわっ」

 


 元来勇者機関の功績の評価は、人の命にどれほど携わったか、どれだけ社会的に貢献できたかが問われる。

 

 そして当り前の事だが、それは大きな事件であればあるほど注目度も認知度も増し、自分の功績や実力を知らしめる場に成り得るため、階級が低くまだ芽の出ていないヒーローにとっては最高の自己アピールの場となる。

 

 そしてそのミッションの割り振りは、その危険度や人命の関わり、その場に自分がいるかとランダムに変わる。今回の環のように突発的に起こった事件を担当できるのは成果を求めるヒーローにとっては幸運なのだ。


「だがカルマ、お前には少し話がある。環は一階のロビーで先に待っていてくれ」

「……まあ、別にいいけど」


 鋼地の様子を少し訝しみながらも環は言われるがままエレベーターに乗り込む。

 エレベーターのランプが下の階に移動したのを確認した鋼地は、改めてカルマに向き直る。


「で、俺に何か用なのか、おっさん」

「あぁ、実は今回のヒーロー失踪事件、起こってるは本部だけではない。他の支部三つから十三人、本部では三人の合計十六人が犠牲になっている。だが、これだけ広範囲に渡る犯罪行為を、巧妙かつ誰にも悟られずに行うのは個人では無理だ。となると……」

「この事件で《輪廻の輪》が動いてる可能性がある。だから、俺を呼び戻した訳か」


 カルマの言葉に鋼地は静かに頷いて肯定する。


「仮にそうならば、奴らの手が環にも届くかも知れん。そうならないよう、お前には今回の事件の解決を目指しつつ、環の護衛を任したい」

「…………了解した」


 少しの間をおいて答えると、カルマはそのまま踵を返してエレベーターを待つ。その背中に鋼地は申し訳なさそうに言った。


「すまんな、あんなじゃじゃ馬娘で。きっと迷惑を掛けるだろう」

「…………あれが、輪廻の妹か」

「あまり似てないか? 仕方がない、輪廻はどちらかと言うと大人しい子だったからな」

「いや……そんな事はないと思うぞ」


 エレベーターの到着と共に、カルマは一度言葉を区切る。カルマはエレベーターの中に入り込んでから思い耽るように再び口を開いた。


「あいつも……輪廻も、俺といる時はあれ以上に騒がしい奴だったよ。それに見た目だって、俺が部屋に入った時には、あの小娘がまるで輪廻の生き写しのように見えたよ」


 そう言うカルマの表情を鋼地は直接窺う事ができない。だが、ふと視線を逸らしてエレベーターの鏡面を見ると、そこに一瞬だけ映ったカルマの表情を見て鋼地は微笑んだ。


 先ほど鋼地の前でも無表情を貫き通していたカルマだが、環や輪廻と呼ばれる人物の事を語るその表情は、まるで花を愛でるように柔らかく優しい笑みを浮かべていた。


 その表情を見て鋼地は再度安心した――カルマになら、娘を任せられると。


「親として、あの子を……環を頼む。今回の件に関わらず、あの子にはまだ危なっかしいところが多すぎる」


 カルマに見えない事を承知で、鋼地はエレベーターの扉が閉まり見えなくなるその背中に向かって頭を下げた。するとカルマは、扉が閉まりきる前に、鋼地に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。


「当り前だ。それが、俺とあいつの約束でもあるからな」


 エレベーターが完全に閉まり、階数を示すランプが一階に向かって右に移動していくのを、鋼地はランプが一階に着くまで見守っていた。


 その姿はさながら、家を出た子供が見えなくなるまで見送る親のようだった。

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