第29話 友達の治療

 それからしばらく経ち、プール開きの日がやってきた。

 プールの授業の少し前の休み時間。


「あぁ、今日休むぅ」


 元気をなくした表情で机に突っ伏している千宮せんのみやさん。僕はその机の横に立っている。


「プール嫌いなんですか?」

「うん。海は好きなんだけど、プールはきらーい」

「どういう理屈ですか?」

「私泳げないの。海だと砂浜で遊べるけど、プールだと泳がされるから」

「ああ、なるほど」


 僕もあまり泳げない。運動音痴同士よく似ている。テニスの一件を見るに僕以上に泳げない可能性は十分あるが。僕は一応十メートルくらいは泳げる。自慢にならないけど。


「だから、逃げ道作ったの。水着持って来てませーん」

「じゃあ、一緒ですね。僕も今日見学なので」

「えっ、ホント?」

「はい。盲腸の手術の件を中郷なかごう先生から心配されまして、休んだら、という提案をされました」

「じゃあ、一緒に座って見てよう」

「そうですね」


 先程の不機嫌が嘘のように明るくなっている。共犯者精神だろうか。


「あ、一組と二組の合同授業なので、きょうどうさんは泳ぐんじゃないですか?」

「あ、そうだった……」


 何故テンションがさがるんだろう。ふたりって仲悪かったっけ?


 プールの授業のため、プール場まで移動する。他は水着を着ている中、僕たちだけ制服だ。みんなは水浴び場に向かうが、僕たちは隣にある階段からプール場に入り、真ん中に置かれた屋根付きベンチに腰を下ろす。


「うわあ、よく見えるね」

「そうですね。今年初めてのプール授業なので、水も綺麗ですね」

「ホントだ! 透き通ってる」


 風で揺れる水面は美しかった。光が反射し、虹のような光沢を生んでいる。

 ぞろぞろと生徒が水浴び場からプール場に移動してくる。

 体育教師の男性が僕たちの対岸の真ん中に立ち、体操をし始める。それを真似て皆が体操をしている。柔軟体操をしておかないとつる危険性があるためだ。足のつかないプールでつれば、死の危険もある。泳げない僕たちなら尚更だ。まあ、今日は休めて良かったけど。


 そんな中に、経堂さんの姿を発見する。競泳の選手かと思われるほどのスタイルだ。小柄だがオーラを感じる。


「あそこに経堂さんがいますよ。格好良いなぁ」

「あ、ジロジロ見ちゃってやらしいんだぁ」

「そ、そんなつもりは」


 あまり水着ばかり見ているとまたからかわれてしまう。気を付けよう。


 授業は進む。

 経堂さんの泳ぐスピードには度肝を抜かれたが。皆、同じような視線を彼女に向けていた。

 休憩がてら僕たちの様子を見に来たようだ。


「ふたりでそろって見学?」

「そう。おそろ」


 うわっ、間近くで見ると余計に凹凸が分かって艶めかしいな。


「あなた、泳げないのでしょ?」

「ば、バカにしないでっ。泳げるもん」

「なら、今度の授業、楽しみね」

美心みこちゃんのイジワルゥ。いーーだっ」

冨倉とみくらくんは手術をしたから?」

「はい。入るつもりだったんですが、中郷先生に勧められて」

「そう。なら千宮さんとは違うようね」

「私、ズルじゃないもーん。アレの日なんだもーん」

「ま、そういうことにしておいてあげるわ」


 アレの日ってなんだ? プールと関係があることなのだろうか。


 経堂さんは授業に戻っていった。


「ねえ、美心ちゃんの水着姿、じっと見てたよね?」

「そ、そんなことないですよ」

「帰ったら私のも見せてあげる」

「えっ!? そんなわざわざ」


 プールに入らないのに自宅でスクール水着に着替える必要があるのだろうか。また水着でお風呂に入ろうなどと言い出しそうで怖いのだが。


 授業が終わろうとしていた時、不意に隣の千宮さんの様子に変化が訪れる。


「うぅぅぅ……ちょっとお腹が痛いから先帰るね。もうすぐ授業終わるし、良いよね?」

「えっ、大丈夫ですか? 僕の時みたいに胃腸薬を飲んだ方が」

「大丈夫。そっちじゃないから」

「そっちじゃないって何か別の病気なんですか? 心配です、言ってください」

琉生るいくん……デリカシーないよ?」


 え、どういうこと? そう言い残してお腹を押さえながらトイレに向かっていった。心配したのに何故怒られたの?


 千宮さんがいなくなった後、授業終わりの説明を男性教師が行っている。その時、一番うしろに立つ経堂さんのある部分に目が行った。それはお尻だ。性格には水着すぐ横の地肌部分なのだが、赤く出血しているように見える。水着から距離があるのでどこかで擦りむいたのだろう。本人では気付けない場所だから教えて治療をしないと。


 授業が終わり、経堂さんが一番最初に出て行った。僕は急いで男性教師に救急品を要求する。生憎絆創膏しか持っていないらしいが、それを貼るだけでも細菌の進入を防ぐ事が出来る。それを受け取って、経堂さんを追いかけた。

 ちょうど女子更衣室に入る所が見えて、ドアを開ける。


「な、な、何をしているのっ。ここ女子更衣室よ?」

「経堂さん、足の付け根のうしろ辺りから血が出てるっ」

「えっ」


 経堂さんがその辺りを自分で触ると手に赤いものが付いていることを確認する。


「ホントね。わざわざありがとう。この程度平気よ」

「コレ、もらってきたから貼って。ばい菌が入るといけないから」

「貼ると言っても私は見えないわ」

「じゃあ、僕が貼りますっ」

「い、いや、それは流石にマズいわ」


 僕が経堂さんに近づくと後ずさりし始める。お尻を触られるかもしれないと拒んでいるのだろうが、傷の治療のためだ。そんなことを言っている場合じゃない。


「そんな気持ちはありません。ただ心配なんです。化膿したりしたら」

「わ、分かったから近付いてこないで」

「じゃあ、しゃがむので見せてください」

「……本当に貼るの?」

「はいっ」

「……あなたって人は。はいっ、どうぞっ」


 僕の方に背中を向けてくれた。左足付け根を確認すると結構傷は大きい。


「結構深いですね。何で切れたんでしょうか?」

「さあ……? そういえばあなた達が座っていたベンチの対岸のベンチに座ったわね。先生のうしろに置かれていたベンチよ」

「ああいう青色ベンチはたまに破損していて突起物があったりすることがあるのでその上に座ったのかもしれませんね。はい、貼れましたよ」

「あ、ありがとう。確かに座った時に少し痛みを感じた気がするわね」

「まあ、ガラス製ではないので体内には入っていないと思いますので、この応急処置で外からの菌は防げます」

「本当に優しいわね。それって誰にでも……よね?」

「困っている人は放っておけない方ですね」

「そ、そうよね。まさかね」


 まさかとは? 少し引きつった経堂さんの表情の意図は分からなかった。

 とその時だった。


「ねえ、今日帰りどうする? あそこ寄ってく?」


 ま、マズい! 女子たちがプールから帰ってきた。話などせずにさっさと出れば良かった。女子更衣室にふたりでいるなんて知れたら変な噂が立って経堂さんに迷惑がかかるし、僕は盗撮魔などとされて謹慎処分か退学処分になるかも知れない。高学歴、高収入の夢が絶たれてしまう。


「こっち来てっ!」

「えっ!?」

「早くっ!!」


 経堂さんの着替えが掛けられたロッカーの中にふたりで入った。経堂さんだけその場に残った場合、何故ロッカーを開けて着替えないのかという点が疑われるからだろう。ただ……あまりにも狭い。向かい合って入ったので抱き合っているのと変わらない。僕は手を上にあげているが、経堂さんは両手のひらを僕の胸に当てている。それにつるされたスカートが顔に当たる。すごく良い匂いがするので変な気分になってきた。


「ねえ、経堂さんどこ行ったの? 一番最初に戻らなかった?」


 バレている。どうしよう。


「経堂さんって二年まではひとりだったよね? 最近友達と良くいるけど」

「あ、知ってる。隣のクラスのふたりでしょ? あの友達の子なんて言ったっけ? あの子有名だよね」


 有名ということは僕ではなく千宮さんの方だろう。何故有名なのだろうか。


「千宮さんだっ。苗字が珍しいから覚えてる。無茶苦茶可愛いよね」

「そうそう。二年間ずっと異性から告白ばっかりされてたらしいよ。けど、断っちゃうんだよねぇ」


 へえ、そんなタイプだったのか。流石だな。


「だけど、最近暗い子といるよね? 地味な男の子」


 あ、僕のことだ。つり合わないですからね。


「意外だよねぇ。全然タイプ違うのにね。あの男の子だったら経堂さんとの方が似合ってそうだけど」


 えっ、そう思いますか? でも、経堂さんにその気はありませんよ。


「あーダメダメ。だって経堂さん男に興味ないもん。ひとりで生きていく格好良い女性像だもん」


 そうですよね。僕も同感です。


 だが、何故かその会話を耳にした瞬間、僕の胸に当てられていた手を服を掴むような形へと変えていった。拳を握るかのように。


「まあアレじゃない。いつもひとりで居る男の子への同情じゃない? ふたりとも正義心強そうだし」


 え、ちょっとショックだな、その言い方。でも、言われてみればそうかもしれない。同情されてたのかな?


「くっ……」


 一瞬だけ経堂さんの声が聞こえた。息苦しいのかな? 舌打ちに近かったような。それにさっきよりも握る力が強い。


 着替え終えたのか、全ての女子の声が消えた。もう出ても大丈夫だろうか。

 そろりとロッカーの扉を開けて外に出てみる。


「ふぅ、助かりました」

「無事で何よりだわ。あなた、もう少しで変質者扱いよ?」

「そうでしたね」

「そうまでして私を助けなくても良かったのに」

「大切な友達ですから」


 傷の治療を終え、僕は女子更衣室を出ようとした。その時、


「同情じゃないから」

「えっ!?」

「私もあなたが大切なの」

「あ、ありがとうございます」


 そう言うとニコリと微笑んでくれた。同情じゃないことを喜び、その場を後にした。

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