第20話 海外ブランド

 歯医者の一件からしばらく経ったある日曜日。

 千宮せんのみやさんと理衣りいは隣町まで服を買いに行くと言って出掛けてしまい、ひとり寂しく自室で勉強している。


『ピーンポーン!』


 ふたりが出掛けて一時間が過ぎた時、玄関ベルが鳴る。誰だろう?

 僕しか居ないので、玄関まで出迎えると、


「あれ、きょうどうさん。どうしたんですか?」


 黒のロングワンピース姿で鞄を肩から提げ、手に白い箱を持っている。


「遊びに来たのよ」

「えっ、今僕だけなんですよ。千宮さんは理衣と一緒に出掛けてしまって」

「あらそうなの。電話をすれば良かったわね」

「とりあえずあがってください」

「ええ、お邪魔します」


 経堂さんとふたりきりになるなんて。初めてのことだ。


「コレ、買ってきたの」


 手に持っていた箱を渡してきた。


「コレは?」

「ケーキよ。虫歯治療のご褒美に」

「ありがとうございます。喜びますよ」

「あれからは痛んでないのね?」

「はい。完治するまで削ってもらったので」

「それは良かったわ。あなたも大変だったわね」

「ええ、まあ」


 あのあと、千宮さんが立ち会い治療の説明をしていたので、どんな状況だったかは把握している。情けないと言って経堂さんが千宮さんを叱っていたっけ。


「急に暇になってしまったわね。今日は一日理衣さんも含めてどこかへと思っていたのだけれど」

「すみません」


 ダイニングの椅子に座りながらふたりで話をする。千宮さんには心配させられっぱなしだが、こちらは逆に安心させられる。真逆のふたりだ。


「そうだ。ふたりで出掛けましょうか?」

「えっ!? 僕とですか?」

「イヤなら良いのだけれど」

「いえ、行きます」

「そう。じゃあ、行きましょう」


 信じられない。経堂さんとふたりで出掛けることになろうとは。自室に戻り、準備をして玄関を出た。


「ところでどこへ行くんですか?」

「ふたりはどこへ行ったの?」

「隣町まで服を買いに行くって言ってましたよ。新しいブランドが出店したとか言って」

「なら隣町に行きましょう。わざと電話連絡せずに驚かせましょう」

「良いですね」


 新しい店などそうそう出店しないだろうし、行けば気づく。いつもからかわれているのだから一度くらい驚かせてみたい。

 経堂さんの意見に賛同し、駅を目指した。


 駅のホームで待っていたがかなりの人だ。何故だろう。


「妙ね。日曜日だからと言ってこんなに人は居ないはずだけど」

「みんなその店を見に行くんでしょうか?」

「言われてみると女性が多いようね」


 女性物の服ブランドだと聞いていたから言ってみた。以前、駅前にできた洋菓子屋も出店した週の日曜日はかなりの人だったから。


 電車が来たのだが、もうすで相当の客が乗っている。おしくらまんじゅう状態になるだろう。


「大変そうね」

「仕方ないですね」


 何とかスペースを探して奥の方へとやってきた。開かないドア付近に僕が立ち目の前に経堂さんが立っている。向き合っている状態なので相当緊張する。背の違いから経堂さんの頭がちょうど僕の肩くらいにある。頭からすごく良い匂いがする。五分だけの幸せな時間がスタートした。


 しばらくすると、男性客が人混みを掻き分けている。次の駅でおりる準備をしているのだろうか。僕たちの向かいのドアが開くのだが何故か経堂さんの背後に立つ。するとすぐ、経堂さんの表情が険しくなる。嫌な予感がして体を傾けると、人混みに紛れて経堂さんのスカートを触っているのが見えた。痴漢だ。

 僕は急いで近くの客を押しのけ、経堂さんと痴漢男の間に割って入る。僕が経堂さんの背後を取る形で。


「チッ」


 小さく舌打ちをした男はその場から離れていった。だが、今の体勢では僕の腰が経堂さんのお尻に当たっているので後で謝らないといけない。どちらが痴漢か分かったもんじゃないから。


 駅に着くと、その痴漢男が捕まることを避けるため走ってホームの階段を駆け上がるのが見えた。

 僕たちも電車からおりたが、すぐに謝る。


「ごめんなさい」

「えっ!? 何故あなたが謝るの?」

「僕の腰が経堂さんのお尻に当たっていたから」

「あなたなら気にしないわ」


 よかった、許してもらえた。


「それにしても女性客が多くなることを見越すとは酷い男だったわね」

「ホントですね。最低です」


 大量の女性客の中から経堂さんが選ばれた理由はすぐにわかる。別格ほど綺麗だからだ。痴漢男も一目で気に入ったのだろう。美人に生まれることは良いことばかりではない。でも、メリットの方が圧倒的に多いだろうけど。


「それに比べ、あなたはいつも優しいわね」

「いえ、当然のことをしただけです」

「そういうところ、私は好きよ」


 えっ、今のどういうこと? 千宮さんは家族として好きと言ってくれたけど、経堂さんは家族じゃないし。ああ、そうか。友達としてってことだろう。


 駅から出ると発展した隣町が見える。


「どこにあるのかしらね? そのブランド店とやらは」

「そうですね。ビルの中の店だったら道に行列はできていませんし。とりあえず歩きますか?」

「そうね」


 チラシ配りなども確認したが、その店ではないようだ。女性客が多いのでもしやと思ったのだが、電車からおりた客たちは一様の場に向かうわけではなくばらばらに移動していた。本当にオープンしたのだろうか。あのふたりのことだから僕に言った内容が本当かどうか分からないし。


「この町にはよく来るの?」

「いえ、書店と電気屋に行く時くらいしか来ませんね」

「私もあまり来ないのよ。こちらは発展していて人が多いでしょ? 私、人混みが苦手なのよ」

「あ、僕もです」

「気が合うわね」

「ですね」


 確かに千宮さんよりも経堂さんの方が共通点は多い。勉強に時間を割き、敬語で話し、人混みを嫌う。でも、他は全然違う。経堂さんは整った顔だし、勉強も僕よりも優秀だ。それに家事も完璧だ。


「あっ、あそこじゃないかしら?」


 見るとビルの一階外にサンドイッチマンが立っている。大きく初上陸、女性向け海外ブランドと書かれていた。


「そうですね。行ってみましょう」

「ええ」


 そこに着くと、このビルの四階で出店しているようだ。女性がぞろぞろと中に入っていく。カップルも多い。彼氏に服を選んでもらおうということだろう。


 僕たちも中に入り、エレベーターで四階に到着する。おりるとすぐに新店舗が目に入った。


「変わった服ねぇ」

「ですね」


 海外ブランドと謳われるだけあってランウェイ向けのようなファッションだ。結構際どいものもある。


「これなんかかがむとすぐに胸が見えそうね」

「そうですね。あのふたりは一体どんな服を買うつもりなのでしょうか?」

「あのふたりだから怖いわね」

「はい」


 あのふたりが合わさると二倍以上の豪快さを見せる。とても不安だ。

 店内にも入って確認したが、ふたりの姿はどこにもない。経堂さんが来る一時間前に出発したのでもう別の場所に行ってしまった可能性もある。


「居ないわね。もう出ましょう」

「はい」


 店を出ようとしたその時、


「あ、そこのお嬢ちゃん、ちょっと待って!」


 振り返るとスタイリストのような恰好の男性がこちらへやってくる。


「何ですか?」

「もうすぐファッションショーが始まるんだけど、モデルがあとひとり足りないのよぉ。ふたりはすぐ決まったんだけどぉ」


 話口調からおねえ系だと分かった。モデルが三人必要ということだが、経堂さんは絶対に断るだろう。柄に合わないから。


「お断りします。私、先を急ぎますので」

「そこを何とかお願いよぉ。十分間立ってるだけで良いのよぉ。際どいのは無しだからぁ。あと、着た服はタダであげるからぁ」

「いえ、そういう問題ではないです」

「お願いよぉ。あなたのような顔の子、見つからないのよぉ。見つけたふたりもとんでもなく可愛い子だったのぉ。だからその子たちと同レベル――いや、それ以上のモデルの子が欲しいのよぉ」

「他を当たってください」


 頑なに拒んでいる。当然だろう。人前で服を着て立つなんて僕も絶対に嫌だ。まあ、僕の顔面偏差値じゃお声はかからないけど。


「そちら彼氏ちゃん?」


 いやいや、違いますよ。僕みたいなものが彼氏なわけないでしょ。つり合いませんよ。


「ええ、そうです。彼とデート中なので」


 えっ!? どゆこと? あ、その場凌ぎの嘘ってことか。合わす方が良いな。彼氏だったら下の名前で呼ぶのが自然だな。苗字で呼ぶのはおかしい。


「ねえ、彼氏ちゃんからも頼んでよぉ」

「いえ、美心みこが嫌がってるので」

「ねえ、彼氏ちゃんも海外ブランドの新作着る彼女ちゃん見たくなぁい?」

「い、いえ、興味ありません」


 マズい、気持ちが揺らいでしまっている。経堂さんは何を着ても似合うだろうから。


「あぁ、どうしましょ。虹花ちゃんと理衣ちゃんが待ってるっていうのにぃ」


「「はい!?!?」」


 今なんとっ!? ふたり決まってるモデルって、あのふたりなの?


「え、知り合いなのぉ?」

「と、友達ですけど」

「なら良いじゃない! さ、こっちへ来て!」

「へっ、ちょっと!」


 おねえ系のスタイリストに手を引っ張られて経堂さんが奥へと消えていった。仕方なく僕も後を追った。

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