第6話 主席のスピーチ

 新しい教室に入るも僕には顔見知りはいない。一方的に見たことがある人だなとこちらが思うだけ。

 千宮せんのみやさんとは席が離れていて遠くから様子を窺っていたが、あちらはこちらと対照的にかなり知り合いが多いようだ。女子ばかりではあるが、多くの生徒から声を掛けられている。そんな様子を目の当たりにすると共に生活していることが嘘のように思えてならない。


 しばらくすると新クラスの担任が教室に入ってきた。

 今年の担任は女性教諭だった。年齢的には若く、お姉さんといった感じだ。何度か職員室で見かけたことがあるが、生徒からの人気は厚い。その容姿と優しい性格がそうさせているのだろう。

 去年も女性教諭だったが、あの人は厳しかった。僕はお咎めを受けることは一度もなかったが、成績不振者には追加課題や補習などを課し、非難の嵐だったことをよく覚えている。


「みなさん、おはようございます。今日から新学年の生活が始まりましたね」


 教壇に立ち、挨拶を開始している。始業式用に紺のスーツを着ているが、童顔なので少し違和感を覚える。


「今日から一組の担任になった中郷なかごう奈央子なおこです。一年よろしくね」


 最後だけ敬語が崩れた。おそらく普段の話口調はこちらだろう。先生だけど親し気な感じだ。


「せんせー、この前言ってた彼氏とはどうなりましたか?」


 派手な恰好の女子生徒が手を上げてとんでもない質問を投げかける。


「しーっ、それナイショって言ったでしょ」


 人差し指を口に当てて焦っている。よく話をしている仲なのだろう。

 その内容に男女問わず盛り上がっている。


「今も続いてます」


 照れながら言う先生に歓声が上がる。

 ふと千宮さんに目を向けると、無言でその様子を眺めている。みんなのノリに合わせるタイプではないようだ。家での無邪気さは鳴りを潜め、終始冷静な表情だ。


「ほらっ、これから始業式が講堂であるから準備してー」


 クラスメイトが一様に立ち上がり、それぞれの知り合いと合流して教室を出て行く。

 僕も講堂を目指そうと立ち上がると、


琉生るいくん、一緒に行こ?」

「え、他の人は?」


 千宮さんが近寄ってきて声を掛けてくれる。他の女子と行くのかと思ったのだが。


「先に行ってって言っといた」

「なんでわざわざ?」

「琉生くんと行こうと思ったから」


 何故誘いを断ってまで構ってくれるのだろうか。家族だからだろうか。それともぼっちへの同情……。


「分かりました。行きましょう」

「うんっ」


 理由なんてどうでも良い。厚意は素直に受け取ろう。




 講堂での立ち位置に指定はなく、僕たちは隣同士に並んで立った。

 校長先生、新任先生、生徒会長などが挨拶をしていく。最後に本学特有のスピーチがある。それは二年修了時の段階での総合成績トップ――主席の生徒が新三年代表で挨拶をするというものだ。


 先生に怒られないように小声で話をする。


「今年、誰だろうね? 私かな?」

「いや、ここにいるじゃないですか」

「ふふふ。そういえば、琉生くん成績いいんじゃないの?」


 一番触れて欲しくないことだった。確かに成績は良い方だ。トップ十位以内には入っている。だけど主席ではない。そして今年度の主席の名を僕は知っている。その子は一年も二年もずっと主席だったから。どんな人か見たことはないけれど、貼り出される校内順位の頂点に君臨するその子のことをライバル視していた。勝ちたいけど勝てない。一位と二位の差が異常に開いているので、その子かそれ以外かと表現できるほど異次元だ。


「良い方ですけど主席じゃないです」

「そっかぁ。男の子かな?」

「いや、おそらく……」


 壇上に上がっていくのは女子生徒。名が女の子の響きなので見当は付いていた。

 中央に置かれた台の前に立ち、こちらを向く。黒髪ロングをうしろで軽く束ねた美人さんだった。


「うわ、綺麗な子ぉ」


 あなたも十分綺麗ですよ、と思っていたが、とても言えなかった。


「僕は知っていたんです。校内順位で名前を見たことがあったので」

「へえ、女の子に目をつけるの早いねぇ」

「え、そ、そういう意味じゃあ」


 真っ直ぐこちらを見ている彼女がマイクに顔を近づける。


「新三年二組のきょうどう美心みこと申します。私たちにとって最後の一年となりますが、悔いの残らぬよう日々過ごして参りたいと思います」


 凛とした表情で淡々と述べる彼女。冷静を通り越して少し冷たい感じを受ける。

 その後もスピーチは続いたが、知的ゆえに難解なスピーチだった。


「ほえぇ、何言ってるのかわかんなーい」

「僕も知らない単語が多かったです。勉強不足ですね」

「ねえ、隣のクラスだったよね。会いに行ってみようか?」

「やめておきましょう。会えば自分が惨めになりそうなので」


 あんな秀才と話せばきっとジェラシーばかりを抱く日々になるだろう。


 彼女が壇上をおりると、始業式の全ての内容は終わり、式はお開きになった。




 それから教室で少しだけガイダンスがあり、今日は早めの帰宅となる。


「ねえ、帰る前に図書室よって良い?」

「良いですけど、用事ですか?」

「いや、前に図書委員代わってあげた子いるかなと思って」


 そういえば二度目に会った時、誰かの代理で図書委員をしていたことを思い出した。


「え、知人ではないんですか?」

「うん。名前も知らない」

「えっ」

「たまたま図書室の前を通ったらドアの前で悩んでたから声を掛けたの。そしたら急用でってことになったの」

「ああ、そうでしたか。じゃあ、行ってみましょう」

「うん」


 代理をしていた理由が分かり、ふたりで図書室を目指した。


 ドアを開けると閑散とした状況が目に入る。始業式の日に図書室に赴く人はそうそういないだろう。

 だが、受付にも誰もいない。デジャヴを感じる。


「あれー、誰もいないなぁ」

「仕方ないので帰りましょうか?」

「あっ、あの子」


 千宮さんが驚くので見てみると、左奥から本を手に持つ女子生徒が歩いてきた。それは先程壇上にあがっていた美人さんだ。


「あら、始業式の日なのに珍しいわね」


 こちらに気付き、声を掛けてきた。


「ねえねえ、主席の人でしょ? さっきのスピーチ見たよ」

「あぁ、アレ」


 気さくに千宮さんが話し掛けると、少し険しい顔になった。


「私は断ったのだけれど、先生がうるさくて仕方なくよ。ああいうのは性に合わないの」

「えーー、でもノリノリだったじゃない」

「や、やめてちょうだい。そんな気はさらさらないわ」


 話口調から感じたのはクールさだ。千宮さんのような優しさは感じ取れない。


「でもずっと主席なんてすごいですね。羨ましいですよ」

「授業を聞いていたらああなっただけよ」


 な、なんですとっ。僕は家でずっと勉強をしているというのに、授業中だけであの成績。生まれながらの天才というわけか。


「ねえ、主席ちゃん――」

「経堂です」

「あ、ごめん。経堂ちゃん……ねえ下の名前なんだっけ?」

「美心よ」

「あ、そうそう。美心ちゃん、図書室で何してるの?」

「あなた、初対面で馴れ馴れしいわね。……まあいいわ。本を借りに来たのだけれど図書委員が不在なのよ」


 確かに主席ちゃん――経堂さんが言う通り不在だ。一体どこへ行ったのだろうか。

 その時、突然ドアが開いた。


「ふぅ、スッキリしましたぁ」


 ショートヘアの女子生徒が目に入る。手にハンカチを持っている所を見るとお手洗いの帰りだろう。


「えっ! トイレに行っている間に何でこんなに混んでるんですか?」

「あーー、いたいた! ほら、私のこと覚えてない?」

「あっ、あの時はどうもぉ。代わってもらって助かりましたぁ」


 おっとりとした話口調の彼女からは天然な雰囲気を感じる。


「この人なんですね」

「そうそう。えーっと、名前聞いて良い?」

「はい。三年四組のたけ優芽ゆめと言いますぅ」

「優芽ちゃんかぁ。私は三年一組の千宮なな。よろしくぅ」


 ふたりが自己紹介をしているが、奥でひとりイライラしてらっしゃる方がいる。


「ちょっと、本を借りたいのだけれど」

「もー、主席ちゃんはせっかちさんだなぁ」

「美心だと言っているでしょ!」

「あれれ、名前で呼ばれるのは馴れ馴れしいって」

「くっ、あなたとしゃべっていると調子が狂うわ」

「ごめんごめん」


 まさか経堂さんを翻弄するとは。千宮さんのすごさを垣間見た。


「お待たせしてすみません。ハンコ押しますね」


 おっとりちゃん――武樋さんが本に判を押し、経堂さんに渡す。


「それでは私はこれで」

「あ、またねーー」


 千宮さんの声掛けには応答せず、経堂さんは帰っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る