一学期

第5話 始業式の日

 千宮せんのみやさんが家に来てから生活スタイルは一変し、日々新しい発見があった。疲れはしたけど楽しさの方が勝っていた。

 そんな慌ただしい毎日はあっという間に過ぎていき、始業式の日を迎えた。


 起床して一階におりると理衣りいが朝食の準備をしてくれていた。


「おはよう。いつもごめんね」

「あ、お兄ちゃん、おはよ。好きで作ってるから気にしないで」

「理衣は良いお嫁さんになるよ」

「へへ」


 エプロン姿ではにかみながら調理している。

 父さんは早出の日なのでもう出掛けたあとだ。日々の苦労が窺える。いくら感謝してもし足りない。


「ふわあ、眠たぃ」


 寝癖をつけたまま千宮さんが起きてきた。


「おはようございます」

「おはよぅ。早起きは苦手」


 ここへ来てからずっと春休みだったので、早起きするのは今日が初めてだ。千宮さんは朝に弱く、この十日間はだいたい九時起きくらいだった。そのため今日のように七時起床はつらいだろう。


「顔洗ってくるぅ」

「はい」


 両腕を上にあげて伸びをしながら洗面所に向かっていく。


「お兄ちゃん、お願い」

「はい」


 朝食が完成したようなので、いつも通り僕が配膳する。並べながら感じるのはとても理に適っているということ。見事に仕上げられた朝食は基本和食だ。健康を考えた日本伝統の、ご飯、焼き魚、出し巻き、そして味噌汁というメニューである。


「うわあ、今日も美味しそー」


 いつものシャキッとした千宮さんが洗面所から戻ってきた。寝癖も直されている。


「ありがと」

「いやいや、理衣ちゃん、こちらこそありがとうだよ」


 一緒に暮らしてみて分かったのは、千宮さんは全く料理が出来ないということだった。しっかりしている風なのでてっきり作れるとばかり思っていたので意外だった。


 三人で朝食を食べる。


「これもこれも美味しい」

「ホント? ちょっと配分変えてみたの」

「理衣ちゃんはすごいなぁ。私なんてなーんにもできないよ。これじゃあ結婚できないかもなぁ。誰か迎えにきてくれないかなぁ?」


 えっ? なんでチラチラ見るの? 僕は異性として見られていないはずだが。いやしかし、まさかのまさかが……。


「ふふふ、琉生るいくん顔赤いよ?」

「い、いや、これは……っ。千宮さんなら大丈夫ですよ。きっと良い人に出会えますよ」

「だと良いけど」


 今の言葉で僕が対象から外れていると分かる。この数日でからかいの対処も少しは心得てきている。


「そういうお兄ちゃんはどうなの? 結婚に興味は?」

「えっ、僕は別に。今は父さんと理衣のために勉強を頑張ろうっていう気しかないよ」


 理衣からこんな話をされるのは初めてだったので、動揺した。


「えーー、つまんない。自分のために人生生きなよ。もし私が結婚したらこの家でお父さんとふたり暮らしになっちゃうよ?」

「そ、そうなるね」


 的確な指摘だ。理衣は顔も良いし、スポーツ万能だ。その上、料理上手で社交的。相手などいくらでも見つかるだろう。父さんとふたりでも良いけど、少し寂しいな。


「お兄ちゃんは勉強以外のことも学ばないと。例えば女の子のこととか」

「えっ、僕はそういうことは――」

「私が一肌脱ごっか?」


 急に千宮さんが立ち上がり、パジャマの上着の裾を少し持ち上げる。おへそが見えている。


「あ、いや、ダ、ダメですよ」

「ぷ、ふふふふふふ」


 手で目を隠して焦っている僕を見てふたりが笑う。


「そういうことはやめてくださいっ」

「ごめーん」


 千宮さんが手を合わせて謝っている。


「お兄ちゃんに彼女ができるのは当分先だね」


 こんなことで焦っていたら無理だと自分でも分かっている。勉強にしか興味はないと言っているが、僕だって思春期の男であって恋愛したい気持ちはある。ただ、モテないから余計に悪循環に陥っているんだ。

 モテるふたりに嫉妬心を抱いていた。


 後片付けは僕の担当だ。ふたりは二階にあがって準備をしている。

 皿を洗っていると、大きめの足音が階段から聞こえる。


「私、友達と待ち合わせしてるから先に行くね」

「え、もう友達できたの?」

「うん。入学式で前に座ってた女の子に声掛けたの」


 ぼっちの僕と本当に兄妹なのだろうかと思ってしまう。その性格、分けて欲しい。


「分かった。気を付けてね」

「うん。じゃあ、行ってきまーす」


 残ったのは僕と千宮さんだけ。でも、一緒に登校なんてあり得ないだろうから、結局はひとりで登校することになる。二年の時と同じだ。


「ねえ、時間大丈夫?」

「えっ?」


 おりてきた千宮さんの言葉を受け、すぐに時計を見る。


「あ、もうこんな時間っ。急がないと」


 時刻は午前八時。朝食時に話が盛り上がり過ぎたからだ。洗い物を済ませ、すぐに階段に向かう。

 その途中で、


「待ってるから早くぅ」

「はい」


 えっ!? 今、なんて? 咄嗟に相槌を打っちゃったけど一緒に登校するってこと?

 ドキドキしながら制服に着替え、戻る。


「ほら、行こ?」


 玄関で手招きしている。


「はい」


 ふたりで家を出て通学路を歩く。この時期になると寒さも和らぎ、コートなしで歩けるようになった。そう言えば、こうして誰かと登校するのは高校に入って初めてだ。理衣の通っていた中学校は真逆だったから。やっと一緒に登校できると思っていたら先に行かれてしまったし。でもまさか、千宮さんと歩くことになろうとは。


「そうだ、スマホ貸して?」

「え、はい」


 唐突に要求され、ポケットに入れてあるスマホを取り出し、千宮さんの右手に預ける。すると、千宮さんもまた鞄からスマホを取り出し、左手に持つ。両手にスマホという状況だ。


「メアド交換しとこー」

「あ、そういえばしてなかったですね」

「理衣ちゃんとも今朝したんだよ」


 おそらく僕が洗い物をしていた時だろう。ふたりとも二階にあがっていたし。


「できたっ。これでよし。はい」

「どうも」


 登録を完了したスマホは僕の手元に戻ってきた。アドレス帳に理衣以外の女の子の名前が初めて表示されている。何だか感慨深い。


「もし離れ離れになったら私をつかまえに来てね?」

「えっ!? へ、変な言い方しないでください」

「むふふふふ」


 先程は慣れてきたと言ったが、やっぱりこのからかい攻撃には慣れていない。




 学校付近に差し掛かると生徒の多さから、視線が増える。やっぱり千宮さんは相当目立つのだ。男女問わず、ほとんどの人が振り返って見てくる。こんな経験初めてなので恥ずかしい。


「ねえ、同じクラスになるかな?」

「それはちょっと難しいかと」


 始業式の日には新しいクラス名簿が掲示板に貼り出される。ただ、僕らが通う高校は一学年につき五クラスあるため、同じクラスになる確率は五分の一だ。別になる可能性の方が圧倒的に高い。一年も二年も千宮さんとは別のクラスだったのでなかなか厳しいだろう。そうなりたいけど。


「そうだねぇ。クラス多いからね」

「はい」


 何とか遅刻せずに正門までたどり着いた。


 僕たちが通っている県立神楽かぐら高校――通称神高かみこうは本当に普通の高校である。男女比五分の公立共学校。偏差値も平均的である。スポーツでは多少は賞を取ったりしているらしいが。

 ここを選んだ理由は学費と通学時間だけ。

 だけど、千宮さんと出会えた今では少し学校に感謝していた。まあ、父さんの友達から頼まれての同居だったので、別の高校でも会っていたかもしれないが。それでも一緒に登校できたのは同じ高校であるおかげだ。


 校舎に入る前に掲示板を確認する。確認している生徒が多いため、よく見えない。


「五組と四組には私の名前はないよ」

「僕もです」

「これで三分の一になったね」

「ですね」


 みんな一様に一組から確認していくので、僕たちは空きスペースのできた組から順に見ている。


「三組にもなーい」

「僕も」

「じゃあ、どっちかだね」

「そう……ですね」


 ここで二分の一の確率になった。すごく緊張する。手汗がひどい。当たりますように。

 先に二組を確認していく。


「「ないっ」」


 同時に声をあげてお互いの顔を見る。互いの口角があがっている。


「ということは……あっ、一組だぁ!」

「僕も!」

「あは、やった! 一緒一緒!」


 最終確認した一組にふたりの名前があった。隣から僕の肩をポンポンと叩いて千宮さんが喜んでいる。僕も本当に嬉しかった。一年間、家でも学校でも一緒だなんて。


「琉生くん、行こ?」

「はい」


 僕たちは一緒に新しい教室に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る