第3話 約束

 四人で四角のテーブルを囲み、夕食を食べる。


「え、なんで理衣りいそっちなの? いつも僕の左隣だったよね?」


 いつもは僕の向かいに父さんが、左に理衣が座っているのだが、今は理衣が斜め向かいに座っている。そして、その空いた左隣に千宮せんのみやさんが座っているのだ。


「今日から私、ここで食べる。良いから良いから」


 何を考えているのか分からない。僕が父さんの横に行けば良かったのではないだろうか。


「はい、琉生るいくん。あーん」

「――ッ!」


 左から千宮さんが一口カツを僕の口に入れようとしてくる。どうしよう。食べても良いのだろうか。


「あむっ」

「……」


 カツを食べたのは僕じゃない。僕が口を開けたことを確認してすぐ千宮さんは自らの口にリターンした。


「これ……美味しい……もぐもぐ」

「お兄ちゃん弄ばれてるぅ」


 不覚だった。保健室の一件で千宮さんがからかい上手だと知っていたのに。きっとまた顔は赤くなっているはずだ。


「琉生とななさんはそんな仲なのか?」


 そんな僕たちを見て父さんが言う。


「ち、違うっ。僕たちはたまたま学校で会っただけで」

「ねえお兄ちゃん。椅子から立ち上がったりして、白熱し過ぎだよ?」

「や、やめて理衣」

「うふふ」


 みんなに僕ひとりが弄ばれている。これが毎日続くのかと思うと少々つらい。




 食後、千宮さんは理衣と一緒に洗い物をやっていた。


「良い子で良かったよ。どんな娘さんなのか不安だったんだ。琉生、仲良くしてあげてくれよ?」

「わ、分かってる」


 仲良くとは家族としてという意味だ。決してそういう意味じゃない。千宮さんが僕を男として見ているわけがない。どうせ、からかいやすい弟といったところだろう。それに千宮さんみたいな見た目ならすでに彼氏持ちのはずだ。


 洗い物が終わると千宮さんはあることに気付いた。


「あ、お仏壇……。拝ませてもらって良いですか?」

「ああ、俺の妻だ。十年前に病気で亡くなったんだ」


 仏壇前に置かれた座布団に腰を下ろし、ロウソクに火をつける。その先端に線香を近づけ、息を吹きかけずにソレを縦に振って火を消している。非常に手慣れていると感じた。真っ直ぐ母さんの遺影を見つめ、深く手を合わせている。

 拝み終わったことを確認して声を掛けてみた。


「慣れてるんですね」

「うん。私のお母さんも亡くなってるから。私が三歳の時だったかなぁ」

「えっ」


 天真爛漫そうなタイプだが、今は悲し気な顔をして遠くを見ている。三歳ということは僕よりも別れを早く経験している。


「それからはずっとお父さんとふたり暮らしだったの。だから今日は家族でご飯食べてるって感じがした」

「そう」


 笑っていたが、内心は千宮さんも不安だったはずだ。見ず知らずの家で一年を過ごすなんて。僕なら無理だと思う。




 父さんは先に寝てしまい、僕たちは今二階の廊下で思案している。


「急な同居だったからお母さんの部屋掃除できてないね。どうする?」


 この家の構造は、廊下の突き当たりに父さんの部屋があり、その隣が母さんの部屋――今は空き部屋だ。そして、理衣、僕と連なっている。十年間使用していないのでそこに関しては理衣と同意見だが、今の質問は何だかおかしい。どうする、ではなく、どう考えても理衣と千宮さんが一緒の部屋で寝るべきだ。異性同部屋など決してあってはならない。そんなこと千宮さんだって……。


「私、琉生くんと寝るっ」

「えっ!?」


 どうしてそうなる。ひとつのベッドにふたりで寝るというのか。


「うっそーーー」

「ぷ、ふふふ、お兄ちゃんなに想像してんの?」

「な!」


 このふたり、なんて小悪魔なんだ。人をオモチャみたいに扱って。


「じゃあ、虹花さんこっちこっち」

「はいはーい。琉生くん、また明日ね」

「はい」


 隣の部屋にふたりが入っていった。それを確認して自室に入った。

 理衣もからかってくる方だったけど、これからはそれが二倍、いやそれ以上だろう。これからの生活が不安だ。


 現在の時刻は午後九時。

 まだ就寝するには早いので、勉強をすることにした。

 静まり返る夜のこの時間に、何だか隣が騒がしい。

 普段は理衣ひとりなので、物音ひとつしないが、うるさくすれば当然隣部屋まで音は聞こえる。


「えーー、琉生くんが?」


 えっ、僕の話題? 理衣が変なことを教えているのだろうか。僕には笑われるような汚点はないはずだが。


「ちょっと様子見に行ってみよっか?」


 えっ!? 今の千宮さんの声だ。こっちに来るみたいだ。どうしよう。なにしゃべったら良いのか分からない。


『トントン!』


 内容通りに誰かが訪ねてきた。想像はつくが。


「はい!」


 返事をするとドアが開かれる。


「こんばんはー」

「――ッ!」


 訪ねてきたのは、やはり千宮さん。だが、その姿を見て目を疑った。持ってきたパジャマに着替えたようなのだが、ピンクのふわふわとした生地のソレは信じられないほど可愛かった。


「え、理衣は?」

「おふたりでどうぞって」


 変な気を遣わないで欲しかった。ふたりきりで何を話せというのか。


「へえ、これが琉生くんの部屋かぁ」


 何か変だろうか。今まで付き合ってきた彼氏の部屋と比べられているのだろうか。


「変ですか?」

「いや、本が多いなと思って」

「勉強しか能がないので」

「でもそれが大事なんだよ。私はできないから羨ましい」


 褒められると何だか良い気分だ。


「あ、飴ひとつ減ってるね」


 机の上に置かれた赤色の飴を見てそう言ってきた。


「はい。緑の方を食べたんですが、すごく美味しかったです」

「でしょ? ビックリしたでしょ?」

「はい。半熟卵みたいでした」

「あっ、私と同じ感想」


 共感してもらえるのも悪くない。


「緑はメロン味でしたが、赤は何味なんですか?」

「さて何でしょう?」


 小悪魔的に質問してくる。


「イチゴ……かな?」

「あ、そうだ。ちょっと待ってて」


 何かを思い出したかのようにすぐに部屋を出て行った。ものの数秒で再び入室してくる。


「ほらコレ」

「あ、同じの」


 手に握られているのは赤色の飴だった。


「一緒に食べよ?」

「え、でも歯を磨いたあとですし……」

「固いこと言わないの。一回くらいヘーキヘーキ」

「じゃあ」


 机から赤の飴を取って振り返ると、千宮さんがベッドに腰を下ろしている。隣を軽くポンポンと叩いている所を見ると、座ってということなのだろう。指示されたように隣に座る。というか、これは近すぎる。すごく良い匂いがする。早く食べて理衣の部屋に戻ってもらわないと。

 包み紙から飴を取り出し、口に入れようとした時、


「ちょっと待って」


 お預けを食らい、左隣を見る。すると、左手の指で飴を挟んでこちらへ向けている。


「乾杯しよ?」

「えっ、乾杯?」

「そう、飴同士をコツンと」


 あぁ、そういう意味か。意図していることを理解し、僕は右手の指で飴を挟んで近づける。


「かんぱーい」

「乾杯」


 飴同士を軽く当て、ふたり同時に口に入れた。しばらく食べると味が分かってきた。


「リンゴですね」

「当たり。リンゴ飴。って言っても私は本物のリンゴ飴食べたことないんだけど」


 千宮さんが言っているのは祭の屋台で売られている丸ごとリンゴの飴のことだろう。


「僕は毎年夏まつりで理衣と食べてます」

「えっ、いついつ?」

「七月二十四日です。夏休みに入ってすぐですね」

「え、え、行きたい。ねえ約束」


 左手の小指だけを立ててこちらへ向けてきた。指切りのことだろう。母さんと理衣以外の女性に触れ合ったことがないのでかなり緊張する。

 ゆっくりと同じ形を作って近づける。


「ほら」

「あ」


 じれったいのか、あちらから小指をつかまえにきた。


「今年のお祭り、絶対一緒に行こうね?」

「はい」


 顔を近づけてくる千宮さんに、僕は赤面していたことだろう。

 約束を終えると指を離し、千宮さんはベッドから立ち上がった。


「それじゃ戻るね。おやすみ」

「おやすみなさい」


 手を振って部屋を出て行った。

 ドアが閉まったあと、高鳴る鼓動を感じながら右手の小指を眺めていた。

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