第2話 突然の来客

 保健室での一件から一週間が過ぎ、高校二年最後の終業式の日を迎えた。出掛ける前、机の上に置かれた本を見て思い出す。


「あっ、この本、図書室に返し忘れてる。気付いて良かった」


 鞄にソレを入れて登校した。




 僕が住む神楽かぐらちょうは何の変哲もない住宅街だ。レジャー施設はなく、大型ショッピングモールもない。あるのは昔ながらの商店街と公園、それに駅前に少しばかり遊び場がある程度だ。

 隣町は発展しているので大掛かりな買い物は電車でそちらへ足を運ぶことにしている。

 街路樹を視界に捉えながら通学路をひとりで歩く。二年間ずっとひとりだった。僕は世間一般に言うところのぼっちなのだろう。


 学校付近に差し掛かると多くの学生を目にする。皆連れ立って歩き、笑っている。ああいう人生を歩みたかったという気持ちも少しある。勉強に勤しんでいたからというのは、ただの言い訳。僕が内気で友達を作れなかっただけだ。


 正門を通り、校舎までの並木道を歩く。もうすぐ春だが寒さはまだ残っている。コートに身を包み、教室を目指した。


 誰とも会話はなく時間だけが過ぎる。イジメなどを経験したことはないが、孤立はしている。


『キーンコーンカーンコーン!』


 休み時間を知らせるチャイムを聞くと同時に図書室へ向かった。


 ドアを開けて中に入るが、誰の姿もない。いつもなら受付に図書委員が座っているはずなのだが、終業式の日には居ないのだろうか。

 どうやって返却しようか思案していると、ひとりせっせと棚に本を並べている女子がいた。


「あっ、君……」


 僕は思わず声を出した。その女子が、保健室で会った子だったからだ。


「え、こんなとこで何してんの?」

「本を返却しに来たんです。図書委員だったんですか?」

「違うよ。急用だった図書委員の子と代わってあげたの。だから今日だけ図書委員」


 こんな偶然があるのかと思っていた。たまたま腹痛になって保健室で会い、たまたま本を返しそびれて代理で図書委員をしている彼女と会うなんて。


「それじゃあ返却印を押したげよう」

「お願いします」


 棚から離れ、受付に歩いていく。僕も後を追ってそちらへ向かう。受付の椅子に座るなり彼女が言う。


「で、どれを押すの?」


 今日だけ臨時なので知らなくて当然だ。


「いつもはそのハンコをこの紙に押してもらってます」

「ほうほう、コレね。しょっちゅう借りてるの?」

「はい。参考資料を借りるので」

「へえ、すごいね。私は字を見ると頭が痛くなるから信じられない」


 話しながら作業をしているが、押している箇所が違うような……。


「そこじゃ……ないような」

「えっ、違った!? どうしよう」

「そのひとつ上に押せば大丈夫ですよ」

「ホント? ありがと、助かったぁ」


 胸に手を当てて安堵の表情を浮かべている。


「あ、そういえばあの飴、食べた?」

「いえ、まだ」

「まだかぁ。ビックリするから絶対食べてね」


 この手の反応から何となく推測されるのは、ドッキリ的な何か。おそらくものすごく辛いか酸っぱいか不味いかのどれかだろう。


「はぃ、また今度」

「そうだ、もう一個あげる」

「えっ!?」


 ゴソゴソとスカートのポケットを漁っている。ドッキリは二個も要らないのだが。


「はい」

「どうも」


 渡されたのは緑色の飴。保健室でもらったものは赤色だったはずだ。イメージから察すれば緑は不味くて赤は辛い、なのだろうが。


「この前あげたヤツって何色だったっけ?」

「確か赤色だったかと」

「赤か……。ならあの味かぁ」


 何か独り言をつぶやいている。不安で仕方がない。


「それじゃあ僕はこれで」

「ほーい」


 お辞儀をすると、軽く右手のひらをこちらへ向けていた。




 それから終業式は無事に済み、全ての荷物を抱え帰路についた。長期休暇前の荷物運びは本当にこたえる。特に今回は四月から教室まで変更されるためロッカーの私物も全てになる。

 重い荷物と共に何とか自宅にたどり着く。


 用を済ませ、自室に入る。

 机の上に置かれたふたつの飴を眺める。


「ふたつになってしまった。今度もし偶然会って感想を聞かれたら困るし、どちらか食べてみるか」


 僕は少し潔癖なところがあり、人からもらった食べ物を嫌う癖がある。本当なら食べずに捨てるはずなのだが、彼女からもらったという思いがそれを拒ませた。


「……辛いよりは不味い方がマシ……かな?」


 緑色の飴を手に取り、包み紙から取り出す。直にそれを見ると、包まれていた時よりも輝いて見えた。天井に取り付けられた蛍光灯の方へかざして見ると、宝石のように感じた。


「中に空間があるような気が……」


 透けた飴は二重層をなしているように思える。こんな飴、見たことないのだが。


「じゃあ……いただきます」


 おそるおそる口へと運ぶ。舐めてみると普通の飴だった。少し甘いメロン味だ。だが、かなり薄めの味付けだ。


「――ッ!」


 ところが、先程見えていた空間部分に差し掛かるとその味は一変する。

 不味い――ではなく、ものすごく美味しかった。液体に近い軟らかさと濃いメロン風味。固い殻に入った液体――まさに半熟卵のような感覚だった。


「ビックリってこのことか。美味しかったなぁ。悪戯じゃなかったんだ」


 彼女のおかげで珍しい経験ができた。人の厚意も素直に受け取らなければ、と自分を恥じていた。




 それからしばらく勉強に集中していると、やけに一階が騒がしい。ふたりが帰ってきている時間ではあるが、父さんと理衣りいがそんなに騒ぐだろうか。

 気になったので、ドアを開けてみる。すると、三人の笑い声がする。そう、だ。

 この家に来客なんてとても珍しい。それもこんな夜七時に。

 一応、長男として挨拶をしておかなければと思い、階段をおりた。


 リビングのドアを開けると、三人が座っている。


「おお、琉生るい

「あっ、お兄ちゃん」


 ふたりが僕に気づき、言ってくる。

 それに続いてもうひとりの存在――客人が振り返って僕を見る。


「あーーーーー!」

「――ッ!」


 僕は驚愕した。その客人が大声をあげたからじゃない。その客人が、二度出会った彼女だったからだ。


「えっ、お兄ちゃんのこと知ってるんですか? えーー、ふたりはどんな関係?」


 ラブコメを見ているかのようにニヤニヤしながら理衣が言ってくる。


「たまたま会ったんだよね?」

「まあ……」


 正座をしてにこやかに微笑む彼女。だが、目を見ることが拒まれた。目を合わせ辛いという恥ずかしさからだ。

 別の場所に視線を移した時、大きな赤の旅行鞄が彼女の脇に置かれていることに気付く。


「そ、それは?」

「あぁ、コレか? この子、今日からしばらくこの家に住むんだ」

「えっ!?!?」


 父さんの言葉に頭の中が真っ白になった。意味が分からない。ラブコメでよく聞く許嫁か何かなのだろうか。理衣がラブコメ好きなので、少しはその手の知識があった。


「い、意味がちょっと……」

「この子の父親と友達でな。仕事で海外に行くことになったから高校を卒業するまでの一年間だけ娘を預かってくれって言われてな」

「へへ、よろしくぅ」


 僕にピースサインをしてくる彼女。状況はなんとなく把握できた。両親ともに海外勤務になったが、友達が多そうな彼女を転校させるのは可哀想だという配慮からだろう。それは分かるが、一年も。ひとつ屋根の下で。


「生活費のことは心配ないぞ。この子の父親はエリートでな。要らないって言ったのに大金をもらってしまった」

「い、いくら……?」

「一千万だ」

「いっせん……っ」


 棚から牡丹餅な話だが、そんな大金をサッと出せる人間との違いに辛さも感じていた。


「ねえ、そんなお金ホントに使って良いの?」

「うん、大丈夫。お父さんが良いって言ってるんだから」


 理衣と彼女がやり取りをしている。


「じゃあ、自己紹介します。千宮せんのみやななって言います。一年お世話になります」


 三つ指をついて彼女――千宮さんが挨拶をした。


「私は冨倉とみくら理衣って言います。四月から一緒の高校だよ?」

「えーー、ホントに? じゃあ、家でも学校でも会えるね。それに私、ひとりっ子だったから妹が欲しかったの」


 ふたりはとても気が合うようだ。まあ、元来人懐っこい性格の理衣なら当然か。


「僕は冨倉琉生と言います。よろしくお願いします」

「へえ、アニメみたいな名前だね。カッコいい」

「そ、そんなことは」


 人から格好良いなんて言われたのは初めてだった。似た名のアニメキャラでもいるのだろうか。アニメは見ないので分からない。


「あーー、お兄ちゃん赤くなってるぅ」

「ち、違うっ。理衣、やめて」


 千宮さんと理衣が顔を見合わせて笑っている。褒められた嬉しさから少し赤くなっていたのだろう。恥ずかしい。


 こうして一年だけ家族がひとり増えることになった。

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