第19話 逃走



確かに今までこの「しびれ草」環境下で幾度もグッピーを目撃してきたけれど、ただの一度も他の生物と戦闘をしているシーンを見たことがなかった。


俺達オタマジャクシのように、戦闘力が低い分繁殖力が高い種族なのかな、だからその分戦闘が苦手で避けていたのかな、と思っていたのだが、どうやらそれは違っていたようだ。


彼らは別に戦闘そのものを避けていた訳ではなくて、そもそも自分たちで戦う必要が無かっただけなのだから。


この「しびれ草」の群生地域において最も手を出してはいけなかった相手は、どうやらメダカでもゲンゴロウでもなく、グッピーだったようだな。


で、今一番やばい問題は、グッピー達が連れてきたこのプランタークラブ、っていうモンスターだ。


その大きさやステータスもとんでもないのだが、それ以上に俺はある1点に目を奪われていた。


こいつらはプランタークラブの名の通り、背中に肥沃な土壌を有しており、まるでプランターのように植物を育てる生態を持つようだ。


また、育てる植物は環境や個体によって変わることがあるらしい。


そして目の前の個体達が背中に生やしている植物・・・、これはまさか「しびれ草」なのか!


さっき地面から飛び出してきた時、これだけの巨体にも関わらず、現れる直前になるまで一切察知することが出来なかった。


一体いつどこからここまでやってきたのか、と非常に疑問に思っていたが。


俺らが闘っている最中もずーっと、いやなんなら戦い始めるよりも更に前から地面の中にいたのだ。


生後間もない頃からずっと頼りにしてきていた「しびれ草」の群生地は自然的に発生したものではなく、こいつらの身体の中の一部分だったってことか。


今目の前にいる奴ら以外にもまだまだ周りには「しびれ草」は残っている。


もしかしてこれ全部がプランタークラブなのか?


だとすると、それは非常にまずい事態だ。


なぜなら、この状況ですら相手は全戦力では無いということになる。


これ以上の増援は来ないで欲しいのは当然だが、目の前のこいつらを相手に時間を掛ければ掛けるほど、そうなる可能性が高くなる。


そもそも時間稼ぎが出来るかどうかという話は一旦置いておいて、それすら悪手という訳だ。


それにしても、今まで寝ている間もずっと別の生物、しかも現状の俺よりもとんでもなく強いやつ達に囲まれていたなんて、全くそんな可能性を考えていなかった。


本当によく寝れていたね、俺。


知らない方が幸せなことは実に多いよ。


外のヤツらの能力値が分からないのでそれらとはまだ比べようがないが、プランタークラブ1匹1匹がまず間違いなくこの前のナマズよりは格上である。


そんなのどうすればいいんだよ・・・。


改めてざっと見渡して見ると軽く10匹はいるだろうか。


ステータスの中では唯一低めであるスピードの値でも俺のものより、約5倍もの値を誇っている。


単純な足の速さですら勝てない。


正直俺のHPバーはメダカやゲンゴロウとの戦いで、結構消耗している状態なのだがそこはあまり考えなくていいだろう。


俺の防御とあいつらの攻撃力の差を考えれば、体力が満タンだとしてもどのみち少しでも触れたら一発OUT間違い無しだった。


そしてそれは俺の横で同じく蟹と敵対している2匹にも同じことが言えるだろう。


あのメダカの攻撃を何回も受けた上でケロッとして戦い続けることが出来ていた、ゲンゴロウですらおそらくそうだ。


攻撃もはなから通じるなんて思っちゃいない。


『体術』スキルなどはもちろんのこと、毒系統の攻撃もあの甲殻に阻まれてあっさり終わりだろう。


もしかしたらミジンコにやったように殻と殻の隙間から毒を流し込めば、もしかしたら効くかもしれないが。


その場合でもあの体力量を削るのにどれほど時間が掛かるか分からないし、まず間違いなく先に殺される。


例え蟹が1匹だったとしてもだ。


ふぅ、いつかは卒業するべきだと思っていたが、まさかこんなに早くその時が来るだなんて。


ここまでの事態があったんだ。


もうここにはいられない。


逆にいい機会だったのかもしれない。


きっかけが無いといつまでもこの温い環境に甘えてしまいそうだったから。


若干の強がりが混ざりつつも、俺は正式に今日この「しびれ草」の群生地帯を出ることを決意する。


でもそのおかげか、なんだか心が軽くなった気がした。


今までいかに「しびれ草」の中で逃げ切るかと考えていたところを、どんな手や場所でもいいからとにかくこの場から逃げ去るだけでいいとなった。


たったそれだけの差、されどそれ程の差だ。


もう逃げることに100パーセント全力を注ぎ込むしかない、ここで逃げられないならばその時はもうその時だ。


覚悟はもう決まったんだ。


なんだってやってやる。


まずはとにかくこの包囲網を抜け出すことを考えよう。


さすがに360度囲まれた状態じゃ、逃げられるものも逃げられないだろう。


まずはこの中のどれか一角を突っ切る。


とにかく速度を出すため、直線距離を全力で泳ぐ。


もちろんその分軌道が容易に予測されるので、攻撃を受けやすくはなってしまう。


だが蟹と俺は体格差があまりにありすぎる。


人間が蟻を狙ってに潰すにはしゃがみこむ必要があるが、蟹はしゃがめない。


だからある程度は大丈夫かと思ったんだが・・・。


攻撃のしにくさなどには一切構わずに、こいつらはそのはさみを振り下ろしてくる。


はさみの大きさも身体と比例して凄まじく、体感的にはまるで隕石が自分に降って来るかのように感じる。


くっ、流石にこれ以上直線的に動くのは無理だな。


そこで、攻撃がちょっとでもしづらいと思われる水底近くを、脚と脚の合間を縫っていくように進んでいくというスタイルに切り替えた。


これで多少は距離を稼げたんじゃないだろうか。


自分自身の脚が邪魔になって、思うように俺を捉えられない。


その後もジグザグに足元を泳ぎ切り、なんとか奴らの後ろ側へと抜けきることが出来た。


よし、逃亡レースはここからが本番だ。


今までのはスタートラインにすら立っていなかったから。


攻撃しにくい足元を抜けてしまったことで、遠慮なく攻撃が降ってくる。


ただ、包囲網を抜けたことでその量は先程と比較すれば劇的に少なくなっている。


とはいえ俺の5倍以上のスピードで迫るはさみは脅威的で、普通に避けるのでは到底ダメだ。


ましてや後ろを振り返りながら見てから、避けるなんて余裕は俺には無い。


ただただ脇目も振らず全力を注ぎ続けて、前方に向かって泳ぐしかないのだ。


ではどのようにして、そんな中で見えない蟹の攻撃を凌ぎきっているのか。


それは『危険予知』スキルで攻撃範囲を事前に察知して、そこから更に早め早めに行動して、それでなんとかやっも避け続けるということをしている。


ゲンゴロウやメダカの攻撃ではこの『危険予知』スキルが反応するものと反応しないものがあった。


どれも大振りで溜めが必要な大技には反応して、それ以外は自力で危険か見極めるしか無かった。


だがこの蟹の攻撃は、少しでもかすりそうな位置に居たら反応してくれる。


それだけ実力差があるということなのだが、今回に限ってはこれが功を奏して、おかげで完全に避けれるような場所がどこかわかるのでありがたい。


本当に『危険予知』スキル様々だぜ。


まさかここまでお世話になるようなスキルだと思っていなかった。


とはいえ一歩でも間違えれば死を思わせる攻撃には、さっきからおしっこをちびりそうだけども。


俺の横には同じく激しいはさみ攻撃を避けてここまで来た、メダカやゲンゴロウがボロボロになりながらも必死に逃げている。


今まで「しびれ草」の中という限られた地域内とはいえ敵無しだったこいつらが、ここまで逃げの一択しか取れていないこと自体が、改めてこの状況のやばさを醸し出しているな。


何とか今のところは攻撃に当たらずに逃げ続けることが出来ているが、しかし依然油断できないことには変わりは無い。


蟹たちのSPEのステータス値が俺たちよりも断然勝っているため、俺たちがいくら頑張って逃げようと容易く追いつかられる危険があるからだ。


少しでも目くらましになってくれることを祈って、習得したばかりの『毒魔法』スキルのひとつである「ポイズンミスト」で、俺たちの姿を隠すように散布する。


はぁはぁ、もうさっきから常に全力で泳ぎ続けているゆえ、流石にしんどくなってきた。


余力なんて残そうと思った時点で吹っ飛ばされてしまうから、しょうがないとはいえキツすぎる。


ただでさえゲンゴロウとメダカの3匹で半日以上戦っていたというのに。


SPバーを見ると値まで確認することは出来なかったものの、その表示かわ残り数ドットしか無いのが分かった。


もう・・・、もう今度こそダメなのか?今できることの精一杯はやったつもりだけど、体に力が入らなくなってきている。


これがSP切れか。


打つ手も思い浮かばず、今度こそ万事休すかなんて思ったその時の事だった。


体が俺とメダカよりも幾分大きい分、小回りが効きづらいゲンゴロウは、逃げている時は俺らよりも少し後ろに位置していた。


そして体が大きいということは、的が大きいということでもあって・・・。


直撃したわけでは無い。


ゲンゴロウだってそんなに鈍くないのだ。


蟹のはさみがゲンゴロウの体に少し掠るように当たっただけだった。


俺が僅かにだが見た光景は確かにそのはずだったんだ。


それなのにその瞬間ゲンゴロウの体は面白いように浮き上がって、そして彼方に飛んでいく。


悪いとは思う、でももう力が入らない俺にはこんなことしか出来ないんだ。


ゲンゴロウが吹き飛んでいく直前俺はその体に飛びつき、その体にひしとしがみついた。


脳で考えることが出来ずに、反射的にやった事だった。


それも進化によって手足が生えていなかったら、こんなことは出来ていなかっただろう。


改めて手足の便利さを実感したよ。


圧倒的なステータスの差による攻撃で吹っ飛ばされたゲンゴロウの推力は、それはそれは凄まじいもので。


まだオタマジャクシの持つ短い手足では何度も剥がれそうになるものの、その度に気力だけでしがみつき続ける。


そうしてしばらくの間飛び続けていたが、距離と共に徐々に軌道が下がっていき、どーんという音と衝撃と共に地面に勢い良く激突して、ようやくゲンゴロウの体は止まった。


どうやら俺らが今暮らしている、暫定湖と思われる場所の端っこに衝突したらしい。


端から端というわけではないがそれでもそこそこの距離があったはずだ。


水中では空気中よりも抵抗力というものが働いているにもかかわらず、まだここまで飛ばすほどのパワーが残っているなんて、どれだけ蟹の攻撃が規格外だったか分かるな。


しがみついていた俺にも当然、そのぶつかった時の衝撃は来たが、大半はゲンゴロウの外骨格によって吸収されたようで、なんとかHPバーは0手前で堪えてくれた。


本当に昨日からこんなのばっかだよ。


あたりを見渡しても蟹の姿は見当たらない。


かなりの距離を飛ばされたようだしな。


どうやら逃げ切ることが出来たようだ。


あれほどの危険を犯した甲斐があったというものだろう。


そしてようやくそこで、ゲンゴロウの姿を確認できた。


【ステータス】

種族:ジェノサイダーウォータービートル

性別:♂

HP:14/1226

MP:106/333

SP:0/872


レベル:5

ATK:720

DEF:1099

INT:458

MND:458

SPE:797


それは見るも無惨な姿だった。


なんとかまだ生きてはいるものの、それも時間の問題と思えるほどだった。


端にぶつかった際に堅い外骨格はぐしゃぐしゃにひしゃげており、同様に顔は潰れてしまっていた。


メダカの斬撃を受けたときに見せていた再生能力が発動している様子も見受けられない。


どうやらそんな余力すら残っていないようだ。


すまん、ありがとう。


お前のおかげで俺は生き残ることが出来た。


こんなことは偶然にすぎないけど、ただただ利用したことは申し訳ないと思っている。


少しでも攻撃が逸れていれば、こうなっていたのは俺だったかもしれない。


共にあの蟹から逃げていた相手だ、だからせめて最期は楽に死なせてやるよ・・・。


そうして俺はひしゃげてむき出しになったゲンゴロウの体に向かって噛みつき、体内に向かって直接猛毒を流し込んでやった。


抵抗することなく《状態異常:猛毒》に無事罹ったゲンゴロウのHPは、そのまま呆気なく尽きた。


ふぅ、さてひとまず外へ脱出したはいいがどうしようか。


こうして否応なしに「しびれ草」の外へと出ることになり、俺の異世界生活はより過酷なものへとなっていくのだった。


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