ぬらりひょんの変 其の3
総大将さんの家を出て、帰路に就こうと考えていると、店長がゐ恋に用があるというのでついて行くことにした。
カウンター席に座らされ、内側に立つ店長からコーヒーをご馳走になる。
「総大将様の話、どうでした? 駒沢さんの気になる点は解消されましたか?」
「解消もなにも。おじさまの言う若い男の情報はなにも得ることは出来ませんでしたから……」
総大将さんの話は、愚痴ばかりだったのだ。
「まあ、確かに人間の駒沢さんには分かりにくかったかもしれませんが、総大将様は若い男の話をしていましたよ?」
店長は微笑むと、前髪をかき分ける。おでこに隠れていたのは、こぶのような小さな角。額の真ん中に一つだけ付いている。
店長は
「人の心を察するとは言いますが、そんなすごいものではありませんよ。感情が読めるわけではないですし。ただ、勘が鋭いというだけですよ」
「前も思いましたけれど、店長ってあまり天邪鬼っぽくないですよね」
ひねくれ者というより、へりくだり者だ。
店長はわたしの言葉にむっとした。
「まあ、それは置いといて。総大将様の話です。駒沢さんはどういう印象を受けました?」
総大将さんの言葉を思い返す。
「うーん、総大将さんはおじさまをあまりよく思っていないなと思いました。仕事云々の話はよく分かりませんけれど、妖怪にもいろいろあるんだなあ、と」
「では、総大将様はぬらりひょん様が嫌いだと思いますか?」
頭をひねり考えてみる。
「そうなるんでしょうか……」
そういうことなんだろうけれど、いまいちしっくりこない。
「しっくりきませんか?」
「ええ、まあ」
「では自分のこととして考えてみてください。例えば駒沢さんの家が代々継がれる老舗料理店だとしましょう。ひいおじい様とまではいかずとも、おじい様で考えてもいいでしょう」
わたしは相槌を挟む。
「おじい様は駒沢さんに仕事のいろはを教えてくださいます。いえ、いろはしか教えてくださいません。それもかなり厳しく。駒沢さんはおじい様のことを嫌いになりますか?」
想像する。お爺ちゃんに厳しくされる。厳しくしかされない。答えは簡単に出た。
「――嫌いにはなりません。確かに仕事の話ばかりで憎むかもしれませんけれど、それよりも寂しい感情の方が勝ります」
そう言うと、店長は笑みを浮かべる。
「それが分かれば正解です。今回の総大将様の話はそういうことですよ」
「総大将さんは、おじさまのことを嫌っていないんですか?」
「駒沢さんは知らないでしょうけれど、総大将様は幼き頃、ぬらりひょん様に良く懐かれておられました。ただ、先代総大将である以上、甘やかすことは許されません。他の誰よりも厳しく接しておられました」
「はあ……、それと若い男はどんな関係があるんですか?」
店長は指を立てながら、
「ぬらりひょん様の言う若い男とは、総大将様のことですよ」
さも簡単に驚くような内容を口にした。
「えっと、どういうことですか?」
「総大将様の家にあったゴミ箱の中身は見ましたか?」
「いえ、見ていませんけれど……」
「ゴミ箱の中には、『肩叩き券』と大人びた字で書かれた紙切れがありました。あれは総大将様の字です。総大将様がぬらりひょん様に当てて作った物でしょう。夕方、店で見た肩叩き券と同じ筆跡でした」
考えるが、頭が混乱してきた。
「えっと、総大将様がおじさまに肩叩き券を送ったっていうことですか? なんのために?」
店長はため息を吐く。
「駒沢さんがさっき言った通りですよ。寂しいからです。子供の頃、子どもとして扱ってもらえなかった総大将様はぬらりひょん様に甘えたかったんですよ。だから、肩叩き券を送りました」
「――でもおかしいです。それだと、おじさまがわざわざ、ゐ恋に来てまで気になるといった内容を、知っていたことになります。それにおじさまはボケているのでしょう? だとすれば、やはり若い男の家は別にあるのではないですか?」
おじさまが、若い男=総大将さんだと知っていたのならば、わざわざわたし達に言いに来る意味が分からない。
総大将様が若い男だとしたら、なぜ調査していると知っていながら本当のことを教えてくれなかったのか。
それに総大将様はおじさまがボケていると言っていた。だとすれば、家の場所を言い間違えたということは、信憑性がある。
「駒沢さん、ぬらりひょん様は妖怪ですよ。病気はおろか、ボケることはありません」
店長はバカにしたような素振りを見せた。
「ぬらりひょん様は、総大将様から肩叩き券をもらいました。それを使う為に家を訪れます。上々の接待――肩叩きや、手料理でしたか? それを受けた後、帰宅しました」
店長は手の平を突き出す。
「だから総大将様の手は傷だらけだったのでしょう。普段、料理をしない総大将様が傷だらけになりながら作ったんです。ぬらりひょん様の言うように、お世辞にも美味しいとは言えませんでしたし」
確かに、総大将さんの料理は美味しいとは思わなかった。美味しいか、美味しくないかと聞かれれば、美味しくない。
「ではなぜ、おじさまはわたし達に総大将さんの名を伏せて、話をしたんですか?」
店長は「分かりませんか?」と呟いた後、
「ただの自慢ですよ。ご老人によるひ孫自慢。名前を伏せたのは、駒沢さんに総大将様のことを知って欲しかったのでしょう。駒沢さんにこの話をすれば食いつくのは分かっていたんでしょうね。自慢したくなるほど嬉しかったんですよ」
「なるほど、じゃあ、総大将さんがわたし達に本当のことを言わなかったのはどうしてですか?」
「恥ずかしかったんですよ。大の大人が子供のような真似をして、ぬらりひょん様と接していることが人にバレるのが。だから本当のことを言わなかったんです。けれど、総大将様の愚痴の中からは寂しいとか、悲しいとかそういう心情が多く見て取れました」
言われてみれば、愚痴の内容は単純なおじさまの悪口ではなくて、だから悲しいとか、自分の感情を漏らすことの方が多かった。
「それに家に招き入れることで、他の人にバレることはないですからね」
「どういうことですか?」
「ぬらりひょんという妖怪の能力は知っていますか?」
「ええ、確か、知らない家に入り、お茶を飲んだり、ご飯を食べたりする。家の人間に目撃されていても、この家の主だと思ってしまう、そういう妖怪ですよね?」
「そうです。ではぬらりひょんが同じ家に二人いると、どうなると思いますか?」
場面を想像する。
「――主が二人ですか?」
「ええ、主が二人、なにをしていようが、その場にいる総大将様の奥様はなにも言えません。なんなら、主が二人いる部屋には入れなかったのかもしれませんね。だから家に呼んだんでしょう」
「お嫁さんくらい、別にバレても良さそうなものですけれど……」
「誰にもバレたくなかったんですよ。それほど総大将様は恥ずかしがり屋なのです」
恥ずかしがり屋の総大将による、自慢したいおじさま孝行。わたし達の調べていたことは、たったそれだけの内容だったのだ。
子供の頃にするはずだった甘えるという行為、立場上それを許さなかったおじさま。何十年の時を経て、行うことができたひ孫とひいおじいちゃんの対話。
「ぬらりひょん様も人が悪い。自慢がしたいなら、ここで好きなだけ語っていけばよかったものを。ここはそういう場所ですのに」
店長は眼鏡をくいっと上げた。
わたしはコーヒーを一気に飲み干す。
いつもは苦手なはずのブラックコーヒーだが、今日だけは甘く感じた。
「きっとおじさまも、素直に自慢するのが恥ずかしかったんですよ」
きっとこれはそういうことなのだ。人間も妖怪も、温かみは同じなのだから。
「そう、かもしれませんね……」
「わたしそろそろ帰ります。久しぶりにお爺ちゃんに会いたくなりました。それと、父に手料理を作ってみようと思います」
「それがいいですね」
わたしは店長に頭を下げると、ゐ恋を後にする。冬が近いこの季節、少しだけ肌寒く感じたが、心だけは温かかった。
次の日、大学を終えると急ぎ足でゐ恋に足を運んだ。
ゐ恋の古びたドアを勢い良く空けると、ドアに付いているベルが音を鳴らす。
「お疲れ様です!」
店内にはカウンターに座っているおじさまの姿と、カウンターの内側で食器を拭いている店長の姿があった。
「おお、絢ちゃん。捜査の方はどうじゃ?」
おじさまが満面の笑みを浮かべて、尋ねてくる。わたしは隣に座り、おじさまの手を取った。
「捜査は終わりました! いいお孫さんだと思います! わたしもそんな人間になりたいです!」
おじさまは手を重ねる。
「さすがにいい目をしているのう」
おじさまの手は、喜び混じりの大きな優しい手だった。
「ところで、駒沢さん。バイト代、きちんと受け取ってもらいますよ! 約束ですからね」
店長はきらりと目を光らせる。
「ええ、もちろん。もうすぐ父の誕生日ですので、プレゼントを準備しないと!」
その言葉を聞いた店長は、凄んでいた眼を止めて穏やかな表情になった。
妖怪純喫茶ゐ恋の変 ヒロユキ @HIROYUKI_MAIN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます