ぬらりひょんの変 其の2

 おじさまが帰った後、店内掃除をする。それが終わると、バックヤードで着替えを済ませ、店の外に出た。


 辺りはもう暗くなっていて、ぽつりぽつりとある街灯の光だけが輝いている。

 その街灯の下に店長の姿があり、久しぶりにエプロン以外の服を見た。といっても、黒色のパンツに厚手のパーカーのいうシンプルな恰好なのだが、容姿とは忌々しいもので、それでも正装の様に思えてしまう。


 わたしがスーツを着ても、服に着られているというのに、納得がいかない。

 そんなことを考えながら立ち竦む。


「どうしたんですか?」


 わたしの存在に気付いたのか、店長の呼ぶ声が聞こえると、ハッと我に返った。


「いえ、なんでもありません! 行きましょう」


 おじさまが気持ち悪い程の接待を受けた家というのが、街から少し外れた場所にあるらしい。その場所目指して歩いていく。

 目的の場所に近づくと、木々に隠れた空間に一軒だけ平屋が存在した。


「このお宅でしょうか?」


「――違うんじゃないですか?」


 わたしが平屋を指差して尋ねると、店長は首を傾げてそれを否定した。


「どうしてですか? 他に家はないですよ?」


「駒沢さんは知らないでしょうけれど、このお宅はぬらりひょん様のひ孫様――現総大将様のお宅です」


「え、総大将さんは屋敷に住んでいるんじゃないんですか?」


「あんな大きい家に住みたくないらしいですよ。歩くだけで疲れるそうで」


「そんな理由で……」


 思わず苦笑いをこぼす。


「でもまあ、他に家がないのならば、総大将様に聞くのが手っ取り早いですね。なにかの幻術で隠れているのかもしれませんし……」


 そう言うと店長は、総大将さんの平屋のチャイムを鳴らした。しばらくすると、ドアが開き、男が姿を現す。


「はい、どちら様ですか?」


 黒色のロングTシャツに、灰色のスウェットパンツ。いかにも部屋着のような恰好をしている男は、後頭部だけが異様に長い。


「夜分遅く失礼します。私、『純喫茶ゐ恋』を経営しております。天野サグメと申します」


「ああ、サグメさん! 久しぶりです! そんな堅苦しいのは止めてください」


「いえいえ、総大将様の前で、そんなことは出来ませんよ」


「それよりどうしたんですか、こんな夜遅くに、店の宣伝かなにかですか?」


「いえ、そんなことではありません。少しお話を伺いたいのです。ひいおじい様から気になる話をお聞きしまして、その話にうちの店員が興味を持ちましたので調べているのです」


 店長がこっちに来るように手招きをする。わたしは、彼の隣へと移動した。


「店員の駒沢絢さんです」


 ぺこりと腰を折る。


「ああ、彼女が噂の……、とりあえず上がって下さい。話は中で聞きます」


 わたしの噂というものが気になるけれど、今はおじさまの話の方が気になる。

 わたしと店長は総大将さんに案内され、平屋の中に入る。


 通された場所は一〇畳ほどの座敷で、机を覗くと目につく物は、テレビとゴミ箱しかない殺風景な部屋だ。店長が一番上座に座り、その隣に私が座った。そして店長の前に総大将さんが腰を下ろす。


 直後に総大将さんのお嫁さんらしき綺麗な女の人が、目の前にコーヒーを置いて、部屋から出て行った。


「で、話ってなんですか?」


 総大将さんが話を切り出す。

 店長さんはおじさまから聞いた話を総大将さんに話し出す。その男の生い立ちを調べていること、この近くの家を探していること。


「なるほど、そういう訳ですか。残念ですが、この周りには僕達の家以外、存在しませんよ。ひいおじいちゃんは、最近ボケ始めているので、教える場所を間違えたんじゃないですかね」


「そうですか……」


 まさかの言葉に自然と声が漏れた。


 おじさまがボケているのならば、家の場所を勘違いしていた可能性がある。だとすれば、今日できることはなにも無い。家が分からなければ男が見つからないし、男が見つからなければ生い立ちも分からないのだ。


「第一、ひいおじいちゃんはまだそんなことをしていたんですか? 僕にきちんと仕事しろと言っておきながら、自分はぬらりくらりと良い身分ですね。悲しいです」


 総大将さんは憤慨した様子だ。


「確かに、ひいおじい様はもう少し落ち着いた方がよろしいかもしれませんね」


「ですよね!」


「それでも、昔は総大将として我々を導いてきたお方です。多少なり、許してあげてもいいかもしれませんね」


 同調したはずの店長が、急におじさま側に付いたので、総大将さんは少しだけシュンとした。


「僕だって、分かっているんです。ひいおじいちゃんがどれだけ偉大か。ただ時代は変わっている訳で、妖怪の在り方も変わってきている。ひいおじいちゃんは分かっていないんです」


「そうですか……」


「サグメさんだからこそ言いますけれど、僕だってひいお爺ちゃんの言っていることは分かるんです。総大将がどれだけ大変か、だからこそ小さいときから仕事の手伝いをしてきて、ろくに子供の遊びも知らないんですから、悲しくて笑っちゃいますよね」


 総大将さんは手元にあるコーヒーを一気に飲み干した。


「僕だってね。仕事が大切って分かっています。だからこうやって頑張っているのに、それなのにひいおじいちゃんは仕事の話ばかり」


 総大将さんのおじさまに対する愚痴が止まらない。それを止めようとすると、隣に座っていた店長が手でわたしを止めた。


 店長は笑顔でその話を聞いていた。

 総大将さんはひとしきり愚痴を話し終えたところで、ハッと我に返る。


「ああ、すいません、熱くなっちゃって。僕のせいで遅くなっちゃいましたね。お詫びにご馳走させてください。最近、料理の練習しているんです。嫁が子供を授かっていまして、僕も料理のひとつくらいできないとな、と思いまして……」


 総大将さんは絆創膏だらけの手を見せると、微笑みながら部屋から出て行った。

 総大将さんの出してくれた料理は、正直言うと美味しくはなかった。


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