第二十三階層 地上へ

 くすんだ色のつたが壁や床を覆う。目にした者に暗い印象を与え、漏れなく先行きを不安にさせる。

 その中で唯一、光り輝く床があった。降りた階段の正面にある為、嫌でも目がいく。

 茜は光源をじっと見た。

「この魔方陣をどう思う?」

 同じように見ていた直道は視線を上げた。蔦に絡まれていたが壁に嵌め込まれた銅板の文字は見える。

「緊急避難用と読める」

「んー、どこに避難するんだろう。我が家とか?」

 冨子は二人に目を向ける。

「我が家はどこにあるのだ?」

 ハムは身をり寄せてきた。冨子は微笑んで、遠いところよー、と言いながら頭を撫でた。

 茜は魔方陣の光に魅入られたように見続ける。

「私達はいきなり地下一階に飛ばされた。普通のゲームだと安全な地上から始まって地下に潜ることになる」

「この魔方陣は地上に繋がっていると」

 直道の言葉に茜は頷く。

「そう思う」

「我が家だったら、行き来が便利になるのにねー」

 ピクニック気分の発言に二人は苦笑いを浮かべた。

 表情を戻した茜は言葉を選ぶようにして言った。

「地上は大きな街で、城もあるかも。ここに飛ばされた理由が召喚なら、ダンジョンの目的がはっきりすると思う。最初は勢いで地下がゴールって言ったけど」

「いろいろはっきりさせるために、この魔方陣を使ってみようー」

「地上か! 俺様は初めてだぞ! 駆け回っていいのだな!」

 ハムの鼻息が荒くなる。茜は難しい顔を向けた。

「ピンクの悪魔が街に出ても平気なの? 兵士かなにかに斬り殺されたり、刺殺されたり、丸焼きにされたりしないかな」

「ハムちゃん、良い子だよ。それより最後の丸焼きとはなんだ?」

「チャーシュー、美味しいよねー」

 冨子の言葉で笑いが起こる。和やかな雰囲気の中、一行は魔方陣の光に包まれた。


 狭苦しい天井は跡形もない。果てのない青い空が広がる。

「ここが地上」

 茜は太陽らしい存在に向かって目を細めた。早速、ハムが周囲を走り回る。

 背中越しに水音が聞こえる。冨子が振り返った先には噴水があった。それを中心にして四方に直線状の道が伸びる。

 一本は白亜はくあの宮殿に繋がっているようだった。

「あれが城か」

 直道はスーツの表面を手で払う。上着の位置を正し、ネクタイを締め直した。

「目指すは城よ」

 茜が力強い一言で石畳の道をゆく。

「お店もあるから、あとで買い物もできるねー。大金貨が二枚もあるしー」

「今後のことを考えれば装備品が欲しいところだ」

 直道は背筋を伸ばして歩く。ハムの興奮は収まらず、周囲を駆け回っていた。

 白い洋風の建物が途絶え、大広間を横断して巨大な城門の前に着いた。衛兵と思われる二人が帯剣たいけんした状態で職務にく。

 門扉は開いていた。一行が踏み出そうとすると右側の衛兵が瞬時に立ち塞がる。

「城に用のない者を通す訳にはいかない」

「たぶん、お城の誰かに召喚されたと思うのですが」

 茜は愛想よく笑って見せる。相手は頑として話を聞かず、同じ台詞を繰り返す。

 らちが明かないと直道は左側の衛兵に話し掛けた。

「入城の許可を得るには、どうすればよろしいのでしょうか」

「召喚の儀は成功したと聞いたのだが、肝心の勇者の方々はどこにおられるのか」

「んー、なんか私達がそれっぽいと思うんだけどー」

「お母さん、無理だって。決められた台詞しかないみたいだし。それとここが地上なら街の外に出られるかもよ」

 茜は道を引き返す。ハムが素早く駆け寄った。

「外はここよりも広いのか!」

「当たり前でしょ。こんな街の何百倍も広いし、空には浮かぶ大陸とかもあって飛行船がそこら中を飛び回っているよ」

「そうなのか、そうなのかっ! 凄すぎて何もわからんが凄すぎるぅぅぅ!」

 半狂乱となったハムは笑いながら走った。

「それは壮観だ。是非、目に焼き付けておきたい」

「例えの話だから」

 真剣な直道に茜は困ったような笑みで言った。

 一行は噴水を突っ切り、直進の道を選んだ。身なりの良い貴族風の男がレストランのテラス席でワイングラスを揺らす。同じ仕草で一向に飲もうとしなかった。

 横目で見た茜は鼻で笑った。

「やっぱり、ゲームだね」

 街の終わりが近づく。前方に白い二本の石柱が立ち、挟まれた牧歌的な風景が各々の足取りを軽くした。

 石柱の間を通り抜けようとすると右手から声が掛けられた。

「丸腰で外に出ると危険だ。命の保証ができない」

 目をやると兵士であった。鎖を編み込んだような装具のせいで精鋭には見えない。一兵卒いっぺいそつを思わせた。

「俺様を誰だと思っている。ピンクの悪魔だぞ」

「街は結界で守られているが、外は別だ。魔王の配下の者達がうろついている。命を粗末にするなよ」

「俺様に撤退の二文字はない! 前進あるのみだ! 皆の者、俺様に続け!」

 ハムは勇ましい声で柱の間を抜けた。鼓舞された三人も同時に踏み込む。

 青い空は蝕まれ、濃い紫色に歪む。草花は項垂れて枯れ、大地は鋭い爪で切り裂かれたような亀裂が入る。

 大鎌を持ったしかばねが黒いローブを纏い、カチカチと歯を鳴らして歩き回る。血に塗れた棍棒を肩に担いだ一つ目の巨人は一足毎に大地を揺らした。不気味な大空では火を吐く存在が羽ばたく度に猛烈な突風を引き起こした。

 ハムは顔を背けた姿で、ヒッ、と声を上げた。

 徘徊はいかいしていた者達が一斉に足を止めた。一行を血走った眼で睨み据える。

 茜が一歩、退いた。

 禍々しい異形の者達が雄叫びを上げる。赤く濁った眼で押し寄せてきた。

 逃げるというよりは全員が恐怖のあまり、後ろに倒れた。仰向けになって見る空はとても青かった。

「な、なんだ、あれは……」

 唇に合わせて直道の声が震える。

「……無理、あんなの無理」

 茜は両膝を抱えるようにして座った。

「聞いてないよー」

 冨子は涙声を漏らす。倒れた時にぶつけた腰を摩った。側ではハムが丸くなって震えている。

 一行は街に引き返し、住人から情報を集めた。

 茜は激昂した。

「最初の街の横に魔王城があるなんておかしいでしょ! 無茶苦茶だ!」

「だからダンジョンに潜って、お金稼ぎをするのねー。それなら大丈夫。なんたって大金貨があるからねー。装備品を買い放題で、ええええー!」

 冨子の声が裏返る。皮袋の中身は空になっていた。

 住人の話によれば緊急避難用の魔方陣の使用には代償が必要で全財産を失うという。聞いた直後、青い空に怒声が響き渡る。

「早く言ってよォォォー!」

「大人げないぞ! 皆の者、俺様に続くのだ! 街のどこかにダンジョンに潜る階段があるはずだぞ!」

 怯えた姿はない。ハムはすっかり立ち直った。階段を探し回って辿り着く。手前には兵士がいて、何故か立ち入りを阻まれた。

「俺様は勇者だぞ! さっさと道を開けよ!」

 兵士は王様の許可が必要だと言葉を繰り返す。再び城門に行くと衛兵に突っ撥ねられた。

「どうしろというのだ!」

 戻る道程で直道が怒鳴った。数歩で冷静さを取り戻し、失礼した、と皆に詫びた。

 一行は噴水を目にした。側にある魔方陣は光っている。

 茜は項垂れた姿でぽつりと言った。

「……戻るしかないのね」

「大金貨が損しただけだよー」

 冨子は涙声で訴える。

 直道とハムは無言で魔方陣に入る。続く茜と冨子は互いに肩を組んで慰め合った。


 くすんだ色の蔦に覆われたダンジョンに失意の状態で戻ってきた。

 一行は壁伝いに歩き始めると急に視界が開けた。一本の太い通路に出たのだ。

「全然、迷路じゃないよ!」

 茜は叫んだ。ハムは怒り狂って猛然と走る。冨子は狂気の笑い声を上げた。直道は怒りで近くの壁を蹴った。

 降りる階段は目の前にあった。案内板のような物が近くに置かれていた。


『武器防具の街』


 冨子は涙を流しながらけたたましく笑った。

 その隣で茜は顔を紅潮こうちょうさせて震える。

 緊急避難用の魔方陣が、この階層の最大のトラップであった。

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