第二十階層 銀閃フォックス

 一行は階段を降りてゆく。先頭の直道の表情が険しい。怒りを抑えたような顔で靴音を響かせた。

 ハムは歩くことが面倒になったのか。仰向けの状態で滑るようにして続く。丸い壁に当たって惰性で曲がった。

「無限の体力はどうしたのよ」

 茜は横手のハムを蔑むような目で見下ろす。

「この状態に飽きたのだ。背中から伝わる心地よい振動で眠気がくるぞ」

「膝がカクカクするよぉ。ハムちゃん、お腹に座らせてー」

 最後尾にいた冨子は丸い壁に手を突きながら辛うじて進む。

「俺様の魅惑の腹でくつろぐがよいぞ」

「ありがとうー」

 ハムの丸みを帯びた腹部に冨子は横座りの姿勢で乗った。間もなくして、あー、と震える声を出した。

「お尻からくる振動がたまらないー」

 冨子の頭がゆらゆらと揺れている。同時に眠気もきているようだった。

 横目で見た茜は苦々しい顔で前を向く。

「お父さん、先はどんな感じ」

「何も変わりはない。螺旋らせん階段が続いている」

 茜は目を上に向けた。歩く速度に合わせて逆さまの階段が回って見える。

「いつまで続くんだろう」

「この階が螺旋階段の世界なら、終わりが始まりになるよねー」

「そんなことって、ある?」

「なんでもありっぽいから、あるかもよー」

 冨子は揺れながら声を震わす。座っている位置を少し変えた。

「このくらいの振動が良いかもー」

「呑気だよね、ホント」

 茜は右の掌を上に向けて言った。浮かぶ笑みは嫌味なものではなかった。

「先が明るい」

「それって終わりが近いってこと?」

 茜の問い掛けに答える間はなかった。

 アーチ状の光の中に直道は飛び込んだ。


 灰色の波が一行を出迎えた。時が止まったように形を変えず、周辺を覆っていた。大気が揺らめいて時に動いている錯覚を起こす。

 直道は軽く頭を振った。眼鏡の中央を押し上げて口を開く。

「砂漠だ」

「やっぱり、そうよねー」

「終わりじゃないんだ」

 多少は期待していたのか。茜は力なく笑った。

 気だるい雰囲気を打ち破るようにハムが突然に駆け出す。

「広い、広いぞ! サラサラのサクサクで気持ちいいぞ!」

 ハムは砂塵を巻き上げて走る。四肢が砂に埋まっても泳ぐように豪快に突き進んだ。

 見るのも疲れるという風に茜は別の方向を眺めた。風紋のような柔らかい曲線が砂の波間に広がる。

「これ、どこを見ても砂漠なんだけど、降りる階段はどこよ」

「どこだろうねー」

 直道は降りてきた階段を見上げた。古代の塔のように絶対の存在としてそびえ立つ。

「螺旋階段が良い目印になる。まずは一方に決めて歩いてみるか」

「それしか、ないかもね」

「ハムちゃーん、今度は背中に乗せてー!」

 冨子の声が届いていないのか。当人は狂喜の笑い声で駆け回る。

「……ハム、覚えてろよ」

 冷たく沈んだ声に直道と茜は苦笑した。

 一方に定めると三人は歩き出した。歪む大気に合わせるように各々が微妙に揺れる。一歩毎に砂塵に足首を呑まれ、疲れは倍増した。

 先頭を進む直道は時を見て後ろに目をやる。天と繋がる螺旋階段の塔は揺るぎない。目印として大いに役立った。

 その不動の塔がいつの間にか前方に回り込む。やや遅れて気付いた直道が後ろを振り返る。偉容いようを誇る塔は忽然と消えていた。

「背後の塔が、前方にあるのか?」

「たぶん、ループしたのよ。これも、ゲームではよくあるんだけど、熱い……」

「あれー? こんなところに、飲み物がー」

 冨子はエプロンのポケットから小瓶を取り出した。蓋を開けようとした瞬間、茜が猫目を丸くして叫んだ。

「それ、飲んじゃダメだって!」

「えー、えええちっ!」

 朦朧もうろうとした意識のせいで、二十年も若返る小瓶の蓋を開けそうになった。本人は自身の行動に仰け反って驚いた。

 直道は不思議そうな顔で言った。

「喉が渇いたのなら無理は禁物だ」

「あ、いえ、これはですねー。非常用の物なのでー」

 ダラダラと汗を流しながら冨子はポケットの奥に突っ込んだ。

「俺様はこの広大な世界の覇者だァァァ!」

 ハムは砂上を高速移動した。突き出した尻の尻尾が猛烈な風で激しく揺れ動く。

 冨子の双眸そうぼうが真円を描く。

「ハムゥゥ、こっちに来やがれェェェ!」

 その凄まじい怒声にハムはあどけない顔を向けた。緩やかに止まって、とことこと歩いてきた。

「ハムちゃん、悪いことしてないよ?」

「そうよねー。これから、良いことをしようね」

「どんな?」

「今みたいに口から砂を取り込んで、鼻から噴き出して欲しいの。私達を乗せた状態で。できるかなー」

 冨子の口角が鋭く切れ上がる。半眼となってハムを冷ややかに見下ろした。

「できると、うん、できるよ! ハムちゃん、良い子だからがんばるね!」

「よろしくねー」

 ハムの尻の先に冨子が乗った。更に茜が続く。直道は二人が落ちないように両腕で支える。

「じゃあ、ハムちゃん。私が尻尾を向けた方向に曲がってねー。前方は加速で、後方に引っ張ったら止まるように。わかったかなー」

「うん、わかったー」

 ハムの喋り方が微妙に似てきた。


 一行は縦横無尽に砂漠を走り回る。冨子は昔の血が騒ぐのか。目を剥いて笑い、荒々しい指示を飛ばす。

「右に気合で曲がれェェ! 前に攻めろォォ! ドリフトはどうしたァァ!」

 空いた手は拳を作り、何度も天に突き上げた。

「あ、あの、お母さん!?」

「茜、喋るな! 舌を噛み切るぞ!」

 慌てて口を閉じる。直道は昔を思い出しているのか。大目に見るような顔で口元を歪めた。

 激走の末、降りる階段が見つかった。すると冨子は元のおっとりした状態に戻った。

「じゃあー、張り切って次に行きましょうー」

 他の者達は、はぁー、と溜息のような返事で付き従うのだった。

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