茜の気持ち


「茜、今日は一緒に帰ろうぜ……、もういいだろ?」


 教室の窓から校舎前広場の騒ぎを見ていたら鮫島に声をかけられた。


「えぇ……う、うん、でも……」


「ほら、いいじゃんかよ! 祐希にも少しは素直になれたんだろ?」


「……ううん、まだだよ……」


 ――素直になるってなんだろう? 私……ずっと祐希の前では強気だった。それが本当の私だったの?


 鮫島は私の手を取ろうとしたけど、私はひらりを身を躱した。


「…………」

「……うん、帰ろっか」


 ちょっと恥ずかしそうにしている鮫島は嬉しそうに頷いてくれた。





 クラスメイトは鮫島に気を利かせたのか、私と鮫島は二人っきりで帰り道を歩く。


 お互い無言であった。

 鮫島はその静寂を破る。


「俺って祐希にひどい事したよな……」


「うん、私もだよ?」


「それは俺のせいだろ? 俺が率先して」


「違うよ。……だって小学校の頃から祐希の事いじめてたもん」


 鮫島は腕を組んで考え込む。


「うーん、やっぱそれって……好きな子をいじめたくなっちゃうってやつ?」


 好きな子をいじめる……。それもあると思う。祐希が私から絶対離れないっていう自信もあったと思う。


 祐希の前ではカッコよくて強い茜でいたかった。

 ……それで祐希をいじめちゃうなんて本末転倒だよね。


 鮫島は私が暗い顔になっているのに気がついて、慌ててフォローをしてくれる。


「ほら、茜、それだけ祐希が好きだったんだろ? ていうか、姉貴の口車に乗っちゃったんだろ?」


 確かに薫子さんには相談したけど……。


「ううん、全部私の責任だよ。だって……祐希を傷つけたのは私自身だもん」


 鮫島は軽い口調で言い放つ。


「――俺なんか……嫉妬だぜ? 醜いよな……。祐希が羨ましかったんだよ。茜に惚れられている祐希がな」


「鮫?」


 鮫島は前を見ながら私に話し続けた。


「茜が嫉妬に狂っていた時、俺は……やっと茜の事を諦められると思ってたんだよ。……でも、無理だ」




「だって、俺は茜の事が大好きなんだよ。俺が拗れた理由はそれしかねー。……姉貴のせいじゃない」



 私の顔が熱くなる……。

 好意を向けられていたのは知ってたけど、それはクラスで少し良い感じの人だな〜、っていう認識だった。

 鮫島から向けられる本気の好意に私は戸惑ってしまった。


「ちょ、鮫!? 恥ずかしいから……。冗談は止めてよ!」


 鮫島はこっちを向いた。

 こんな真剣な顔は見たことがない。


「マジだ。俺は茜の事が大好きだ。この気持ちは絶対負けねえ」


 ――鮫島は素直に自分の本音を告げてくれた。私も……ちゃんと答えなきゃ。


 私達は立ち止まる。

 そして私は口を開いた。



「鮫、ごめん。やっぱり私祐希の事が大好きなの……。もう振り向いてくれないと思う。取り返しの付かない事をしたと思う。……でも好きなの」


 私は感情が高まって俯いてしまった。

 告白を断るのに、こんなにも罪悪感を感じたのは初めてであった。


 鮫島は頭をかきながら調子良く喋る。


「あっちゃー、まあこのタイミングじゃあ仕方ねえよな……。なんせ『私が守りゅ!』って言っちゃってたからな」


「や、やめて……そ、それは恥ずかしいわ……」


「はぁ……まあいいわ」


 鮫島はあっさりとしていた。




「俺の事が好きになるまで、何度でも好きって言い続けるよ」




 そんな事を言った鮫島は素敵な笑顔であった。

 ……祐希がいなかったらヤバかったかもね。でも私には祐希がいる。自分の気持ちに素直になるの。


 なんだか心が温かくなってきた。


「茜、告白しちゃったから気まずいかも知れないけど、これからも友達でいてくれや!」


「ふふ、もちろんだよ。これからもよろしくね」


 私達は向かい合ったまま笑いあった。






 そして、鮫島は何かを見つけたのか……。


 ――笑顔だった鮫島の顔が……青ざめていく。



 私は自分の後ろを振り向いた。

 そこには、薫子さんと……見たことが無い大学生風の大柄な男達がいた。

 薫子さんが私達に気安く話しかける。


「恋愛ごっこは終わり? じゃあ、茜ちゃん借りるね?」


 薫子さんは私の腕を取る。


「……本当に……バカ力ね……。でもね……ほいっ」


 魔法のように私は薫子さんによって、腕を固められて、動けなくなってしまった。

 薫子さんは鮫島に命令口調で言い放つ。


「お前はここで待機ね。私のお友達と遊んでもらうよ?」


「姉貴ーー!!! 茜に何しやがる!!!」


「ふん、一丁前に吠えやがって。……私に勝てると思ってるのか?」


 鮫島の足が止まりかかる……。

 だが、鮫島は雄叫びを上げた。


「うおぉぉぉぉーー!!! 怖くなんかない……姉貴なんか怖くいなんか無い!!」


「あら、そうね。恐怖を大声でかき消すのは良い方法ね?」


 突進して来る鮫島をヒラリと躱す薫子さん。


 鮫島は屈強な男子たちに取り押さえられてしまった。


「ねえ、茜ちゃん。明日から祐希は学校中からいじめられるわよ? ……そんな姿を見るのは嫌でしょ?」


 ――今日の学校の感じだと、いじめられる気配は薄いわ。でも、薫子さんの事だからすっごく意地悪な罠を仕組んでるかも知れない。


「……」


「茜ちゃんが〜、この後、私と遊んでくれたら〜、もう祐希の事をいじめないよ? ねっ、いいでしょ?」


 鮫島は叫び続ける。


「駄目だ! 茜!! 逃げろ!!!」


 ――鮫、ごめんね……、だって私が祐希を守るって言ったから。


 私は身体から力を抜いた。

 それと同時に薫子さんの拘束が緩まる。

 身体は自由になった。


「――いいわ。どこに行けばいいの?」


 薫子さんはねちゃりとした笑みを浮かべていた。


「学校で遊びましょ」



 私はその笑みをみて、背筋に寒気が走った。






 *************





 私たちは放課後の学校へと向かった。

 四階の空き教室を目指す。


 四階は人通りが極端に少なくて、人気が全く無かった。

 大学生風の男達は悪びれも無く学校へ入っていく。


 誰でもいいから先生に会える事を願ったけど、その願いは叶わなかった。


 三月も中頃を過ぎると、日が沈むのが遅くなる。

 そろそろ夕暮れ時になりそうであった

 怖くて……心臓がバクバク言っている。


 ――私は祐希をいじめてしまった。……祐希が薫子さんから攻撃されないよう守るんだ。


 祐希の事を思い出して、縮む心を叱咤激励する。


 空き教室に入ると、薫子さんは私を壇上に立たせた。


 そして、大学生風の男に指示を出す。

 鮫島を押さえていた男は二人。

 ここには三人の男が残っている。


 私は勇気を出して薫子さんに言い放った。


「ゆ、祐希をいじめるの止めてくれるんでしょ? わ、私は何をすればいいの?」


 目の前にいる薫子さんを睨みつけた。


 薫子さんが喋ろうとした時、男がそれを遮った。

 下品な視線で私の事を舐め回すように見る。

 ――気持ち悪い……やめて……。


「ねえ、薫子さんさ〜、攫うの手伝ったんだからさ。ねっ! 俺たちも楽しみたいじゃん? ちょっとくらいいいでしょ?」




 薫子さんがいきなり男の腹を蹴り抜いた。


「〜〜〜〜!?」


 男は悶絶して床に倒れてしまった。


 薫子さんはため息を吐いた。


「あんたらの仕事はただの見張り。……こいつを壊すのは私の役目。分かった?」


「は、はい!!」


 他の男たちは背筋を伸ばし返事をする。

 そして、教室の扉の近くで見張りをし始めた。


 薫子さんは倒れた男にも指示を出す。


「すぐそこにトイレがあるわ。……水を汲んできなさい」


「……りょ、了解」


 男は腹を押さえながら教室の外へ出ていった。



 薫子さんはため息を吐いて、改めて私に向き直る。


「なんて事ないわ。茜ちゃんが私にここでいじめられるだけよ? それで祐希は明日からいじめられないわ」


 いじめられる……。

 何をされるか分からない恐怖。


 ……でも、私は祐希をいじめてたんだ。祐希が受けた仕打ちを……私は受けなければいけない。


「覚悟は決まったようね?」


 下品な男がバケツに水を汲んで帰ってきた。

 薫子さんはそれを受け取る。


「水なくなったら汲んできなさい」





 薫子さんは男にぞんざいな口調で言い放つと……私に向かってバケツの水をぶちまけた。


 冷たくて声が出ない。

 身体が震えてくる。


 何これ?


 私……こんな事を祐希にしていたの?


 身体が寒い……。

 薫子さんの笑い声が遠くから聞こえる。

 男達の視線がひどく気持ち悪い。


 身体だけじゃない……。これは心が凍りつく。


 私は震えながらうずくまってしまった。



「はい、もういっちょ!!」



 再び水をかけられた。

 私の足元がビチョビチョだ。


 ――今頃お母さんは夕食の準備してるのかな? 祐希の事を話さなくなって心配してたよね。


 ゴメンね。お母さん。ゴメンね、祐希。

 ……鮫の言うことを聞いてれば良かったね。


 薫子さんは黒板をバケツで思いっきり叩いて、大きな音を出す。


 ――怖いよ……。


「次の水もってこい……」


 また寒くなっちゃうの?

 心がまた閉じちゃうの……。


 ――駄目、祐希がいじめられなくなるんだったら頑張るしかない……。


 三度目の水がかけられた。

 もう感覚が分からない。


「ははっ、あんたが傷ついたら祐希は本気で怒るだろうな〜。まだまだ始まったばかりだよ? 夜は長いよ?」


 ――祐希が怒る? 何で? 私は祐希を傷つけちゃったんだよ? いくら謝ったとしても……。


「ゆ、祐希は怒らない」


 凍える身体は思考能力を低下させる。

 よくわからない。



「はぁ……茜ちゃんは祐希と一番付き合い長い幼馴染なのよ? ……大切じゃないわけないでしょ?」


 ――私が大切? 違う。


 こんな心を殺してしまう行為をしていた私の事なんて……。大丈夫。私が祐希を守れればいいの……。


 …………

 …………


 祐希を守る?


 私……なんでそんな上から目線で言ってたんだろ?


 私、弱い女の子だよね? 筋トレ大好きだけど、暴力なんて怖い。


 ――素直になれない。いつも強気で自分を隠しちゃう……。


 冷たい水が私の無駄な物を流してしまう。


 私ってそんなに傲慢だったの? 

 素直になってもいいんだよね?


 祐希が言ってたもん。

 本心を隠しちゃ駄目。心をさらけ出して……。


 ……うん、もう大丈夫。


 わたしは水が滴る身体を起こして立ち上がった


 薫子さんは不思議そうな顔で私を見つめた。


「まだ始まったばかりだぞ? もう壊れたのか? ……なんだその穏やかな顔は?」


 自分の弱さをさらけ出して!!


 本心を隠さないで!!


 ……これが終わったら祐希に言うの!! 





「祐希……。私は昔に戻りたかったの……、祐希……怖いよ……助けて……」





 私の情けない呟き。

 でも、紛れもない私の本心。

 変わりたいけど変われない。戻りたいけど、戻れない。……私は助けが欲しかったの!!

 祐希に助けてもらいたかったの! 一緒に私を変えて欲しかったの!

 大丈夫、絶対こんな仕打ち耐えてみせる。

 祐希にお願いするんだ……、だから……。






 薫子さんがバケツを落とした。バケツの落ちた音が教室に反響する。


 男の怒鳴り声が聞こえてきた。


「おい! ここは立入禁止だ!! じゃま――」


 全てがスローモーションに見えてきた。


 下品な男は身体をくの字にさせて、机を倒しながら吹っ飛ぶ。









 教室の入り口には祐希の姿があった。






 冷たい目で男と薫子さんを睨みつける。

 薫子さんは歓喜の表情で大笑いをしていた。

 私を見る祐希は……安堵と、激怒の感情がここまで伝わってきた。


 私は心のままに叫んだ!!!





「――祐希ーー!! 助けて!!!」





 祐希は昔みたいに……なんてことない口調で……私に言ってくれた。





「――当たり前だ!! 茜は大切な幼馴染だ!!」





 私の心の澱が消えていくのを感じた……。




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