自分が嫌い

 鮫島姉に蹴られた腹はそこまでひどい痛みでは無かった。

 ――俺が怪我しないように手加減したんだろうか? 挨拶代わりか? 背中は結構痛かったけどな。


 おもちゃを壊さないように……か。


 俺は廊下の隅で少し休んで、制服の汚れを払う。


「……戻るか」


 気が重い。

 ……あいつが何考えているかわからんけど……、俺は佐藤さん達の事で手一杯なのに……。

 考えることが多すぎる。頭がパンクする……。

 くそっ……佐藤さんに会いたい……ギャル子とお話ししたい……。いや、今は……鮫島姉を……。


 俺は重い足取りで自分の教室へと向かった。







 俺は教室の扉の前に立つ。

 授業は始まっているけど、扉を開ける事が出来なかった。


 鮫島姉のせいで……俺は暴力沙汰を起こした張本人にされてるだろう。

 ……そんな人間は、普通はクラスで嫌われるはずだ。




 山田のバカヅラが思い浮かぶ。鮫島のボロボロの姿を思い浮かぶ。

 ……クラスメイトの柔らかい空気を思い出す。




 みんな俺の事を信じてくれるか?


 それに、俺は鮫島姉と関わってしまった。

 クラスメイトを巻き込むわけには行かない。

 巻き込むなら鮫島だけだ。



 どうすれば鮫島姉を抑え込めるのか? 

 ……もしこの冤罪を乗り切ったとしても、鮫島姉の嫌がらせは続くだろう。

 あいつには権力がある。……噂ではこの学校に多額の献金をしてるとかしてないとか。


 じゃあ俺には何がある?


 俺には……。


 佐藤さんの顔が浮かぶ。

 ギャル子の顔が浮かぶ。

 高橋兄弟の顔が浮かぶ。


 俺が冤罪を受け入れて、自分一人悪者になれば……それでみんなが平穏に過ごせれば……。

 くそっ、駄目だ。……俺を好きになった人を悲しませる。そんな選択肢はありえない。




 俺が扉の前で考えていたら、扉のガラスから人影が見えた。

 扉が開く。


「ちょ、ちょっとミス茜! 授業中ざますよ! あら、ミスター田中……」


 そこには茜が顔を真っ赤にして立っていた。

 俺をまっすぐ見つめる。

 ……無言のままだ。


 いきなり俺の手を引いて教室に引きずり込んだ。


 茜は俺を席に座らせると、自分の席に戻っていった。

 あれは明らかに怒っている様子だ。

 昔からの付き合いだから分かる……。


 ――何に対して怒ってるのか?


 クラスの生徒達はポカンとした顔で茜を見ていたが、すぐに先生が授業を再開して、いつもどおりの授業風景に戻った。





 午前中の授業はあっという間に終わった。

 ずっと悩んでいたから、教室の雰囲気とかが全然よくわからなかった。


 帰りのHRも終わり、放課後に変わる。


 ――どうする?


 俺はクラスメイトからの視線に気がついていた。

 それは見守ってくれるような空気。


 俺は椅子に座って動かない鮫島に鮫島姉の事を聞こうと思って席を立とうとした。


 教室の入り口から声が聞こえてきた。

 それはチャラチャラした声であった。


「うぃーす、一年君こんにちわ、このクラスだろ? 俺のダチ公に暴力振るった奴がいんの? 俺が裁いてやんよ! うひゃひゃ!」


 ピアスをしたチャラい上級生が、取り巻きの上級生ギャルを連れてきて、この教室の壇上に上がる。


 得意げな顔がイラッとする……。


 自分勝手な正義に酔いしれる上級生。

 そもそも本当にあのリア充三人組の友達とも限らない。

 コイツラは……この騒ぎに便乗して、遊んでいるだけだ。

 その証拠に、コイツの顔はニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべていた。


 悪人と決めつけて、それを叩くのが面白いんだ。

 正義の名の元で罰を与える。


 ――自分のストレスを解消してるだけだろう?


 俺は上級生のピアス男を追い払おうと思い、前に出ようとした。


 ピアス男は俺を見てビビリ始めた


「お、お前か? ……話がちげえよ……怖……。――お、俺にもぼ、ぼ、暴力振るっちゃうの? あん? う、訴えちゃうよ?」


 教室の外にはピアス男を心配そうに見ているギャル達で溢れていた。


『頑張って!』

『悪者やっつけるんでしょ!』

『……ねえ、あの子が暴力男……デマじゃね?』

『うん、あいつよりもイケてるね……』






 俺がピアスに近づく前に、俺の前に山田が立ちふさがった。


「田中は動くな。……こういうのは相手にしねーのが一番いいぜ」


 その瞳は……上級生ギャル達の足に釘付けであった!?

 こ、この状況で……山田……恐るべし。




 山田が俺を塞いでいる間に、ピアス男に擦り寄る影が見えた。


「マジィ? ちょっと、わたしぃ好みの超イケメン! やばぁ……運命の出会いビンビン〜」


 カマ子がピアス男の肩にしなだれかかった。

 それはまさに地獄絵図。カマキリが獲物を腕で押さえている姿に見えて仕方ない。


 ピアス男は真っ青な顔をして、悲鳴を上げて胸を押さえて内股で後退った。


「ひぃ!? な、なんだこいつは……キャラ濃すぎるだろ……。――あっ、そうそう俺はこういう子がタイプなんだよ! ねえねえ君なんて名前?」


 すでに目的を見失っているピアス男が……近づいて来た茜に声をかけてしまった。

 茜はギョロリとピアス男を睨みつける。

 そして、一回大きく深呼吸をして……何か言おうとしたが……顔を曇らせ、思いとどまって言うのを止めてしまった。





 そんな茜の肩を引いて下がらせる鮫島。

 ボロボロでも頑張って学校に来た鮫島は、おじいちゃんみたいにゆっくりとした動きでピアス男に薄ら笑いで話しかける。


「ちわーす、せんぱーい。あれっすか? この前、女子更衣室覗いてましたよね? マジドン引きっすね……。――で、そんなクズ男がなんのようですか?」


「の、覗き!? な、なんで知ってるんだよ! ……な、なんだ、お、お前らその目つきは? お、俺は上級生だぞ!?」


 クラスメイトはピアス男を拒絶の意思を込めて見つめる。


「ひぃ……!?」


 その圧はピアス男が耐えられるものでは無かった。ピアス男は上級生ギャルを引き連れて教室から退散していった。



 クラスは静寂に包まれる。

 誰も俺と目を合わせようとしない。


 だが、誰かが呟いた。


「こんな事をしても俺たちの罪が消えるわけじゃない」

「うん、私たちはいじめを楽しんでいたもん……」

「祐希君にどうやって謝ればいいか分からないの……」

「でも……山田を見てたら……俺達も行動で示せばいいのかなって……」

「田中君は絶対人に暴力を振るわない。わ、私たちがいじめていた時でも……」

「私達は自分達がおかしいって気がつけた……。もう遅いかもしれないけど」

「ここでみんなで謝っても、それは……流された様に見えるかも知れない。だけど、」

「僕たちは田中に謝りたい」



 クラスメイト達が俺の元へと集まる。

 泣いてる者もいれば、ずっと謝り続ける者もいる。


 ……俺はどう反応していいかわからなかった。


 だって、俺が全部正しい訳じゃないぞ? 人それぞれ考え方が違っても、それは仕方ない事だと思う。

 人が集まれば必ず諍いは起こる。空気を読んで、流れを読んで、好きなグループで付き合っていれば平穏に過ごせる可能性が高いだろう。


 そんなに謝られても……、俺も流された部分もあるし……。



 ――クラスメイトの顔は真剣だ。たとえ空気に当てられただけだとしても……この瞬間は心から謝意を込めているのだろう。





 俺は背後から気配を感じた。女の子の良い匂いがかすかに俺の鼻をくすぐる。


 俺は後ろを振り向いた。

 そこには光君が立っていた。


「――ふん、たまには流されてもいいんだよ。お前にはボッチは似合わんよ。……しかし僕の気配に気がつくとは……中々やるね?」


「流されてもいいのか……」


「所詮、僕たちは学生だ。不完全な存在。反省するのは悪いことじゃない。――学生生活を大いに楽しめ」


 ――光君……ありがとう。






 俺はクラスメイト達と向き合おうとした……が、


 視線の先には鮫島姉が教室の中に立っていた。それは突然過ぎて、誰も反応を起こせなかった。蹴られた俺の腹に痛みが舞い戻ってきたような気がしてきた。






 あいつは俺たちクラスの状況を見て、一言呟いた。



「――青春ごっこ、さむ」



 クラスの温度が下がるのが分かる。

 突然の生徒会長の来訪に驚く生徒もいる。いつもと違う雰囲気に戸惑う生徒もいる。


 学校の絶対的な存在が……自分達に対して否定の言葉を投げかける。

 それだけで動揺を隠せない。


 だけど、クラスの空気は……下がり切る事が無かった。

 俺に謝りたい気持ちが本気な事が伝わってきた。

 鮫島姉の言葉を無視して流そうとするクラスメイト。



 鮫島姉はそんなクラスメイトに対して、俺に対して、教室の壁をコツコツと叩き始めた。


「祐希く〜ん! 明日から楽しい日々が待ってるよ。――あれ? このクラスの子達は祐希の味方するのかな? ということは私の敵って考えていいの?」


 コツコツ叩く音がだんだん激しくなる。

 クラスメイトがだんだんと恐怖に囚われる。


 鮫島が震える身体を押して、鮫島姉に近づこうとするが……。

 今度は茜が鮫島の肩を押しのけて前に出てきた?


 ……飛ばされた鮫島は、カマ子が絡めとるようにナイスキャッチをしてくれた!





 茜はまっすぐと鮫島姉を見つめる。

 その姿はひどく懐かしく感じる……、凛とした表情で……、吊り目がちな目が強い意思を感じられて……昔みたいな……。


 鮫島姉が教室を叩く音がガツッガツッという音に強く変化していった。


「あれあれ〜? 私のアドバイスを聞いたおバカなビッチ馴染ちゃんじゃん? ボッチで寂しいんでしょ? ふふっ! 私のお友達でも紹介しましょか? 遊んでくれるわよ?」





 茜はスーッと息を吸い込んだ。

 そして、




「うるさいぃぃぃーー!!!」




 学校中に響くような大声で叫んだ!



 ――既視感を感じる。気弱で……いじめられている俺を……。



「祐希をいじめたのは私が素直になれなかったからよ!! あんたなんか関係ない!!」



 ――助けてくれた茜……。



「……まだ素直になれないけど……どうしていいか分からないけど……」



 茜は鮫島姉の手首を掴む。

 壁を叩いていた打撃音が消える。


 クラスの空気が茜に引っ張られて変わっていく。


 茜は燃えるような瞳で鮫島姉を射抜く。

 掴んだ鮫島姉の手首を壁に押さえつける。


「動けない? な、なによ? この馬鹿力?」



 ――懐かしさが胸にこみ上げてくる。



 ……ああ、こいつの趣味は筋トレだ。俺もその影響で筋トレが好きだぞ?



 茜は舌をかみながら叫んだ。





「――祐希をいじめりゅな!!! この山下茜が――絶対許さないぞ!!!」





 それはただの言葉じゃない。建前じゃない、フリじゃない、本心からの言葉。

 遠い昔に聞いた救いの言葉。



 俺はその言葉を聞いて……心の重しが軽くなるのを感じた……。







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