恋は戦争


 俺たちは鮫島姉が出てきた屋上へ続く扉を開け放った。


 屋上は生徒の立ち入りが禁止されているはずだ。無機質なコンクリートと貯水タンクがあるだけの空間であった。


 そして……鮫島がコンクリートの壁に背もたれてうなだれている姿を発見した。


 鮫島は動かない。……俺たちの存在が目に入っているはずなのに。


 俺たちは鮫島に近づいた。


 遠目ではわからなかったけど、鮫島の制服は擦れたようにボロボロで……全身が傷だらけであった。……顔の傷は少ないけど、頭から血を流していた。


「鮫島……? 大丈夫か?」


 俺はかがんで鮫島の顔を覗き込んだ。

 鮫島はまっすぐと俺の顔を見た。


 ――なんだこの満足感に浸された顔は?


「――ああ、祐希か……、いっつ……姉貴……くそ、身体がうごかねーや」


「おい、保健室行くか? あいつがやったのか?」


 鮫島は力無く首を横に振る。


「大丈夫だ。……ギリギリやばい怪我はしてねーよ。あいつは暴力に慣れてるからな。……ただ、今日は俺にムカついて力加減を間違えたぜ? ははっ」


 佐藤さんは俺から離れて、俺と鮫島二人っきりにしてくれた。


 鮫島はボロボロになりながらも笑っていた。


「あいつ、俺が反抗するとは思わなかったみたいだぜ? ……俺はもう嫌なんだよ……あいつの操り人形なんてしたくね……。――祐希、ぐっ、いって……」


 鮫島は無理に身体を動かす。

 立ち上がって……俺と真正面から向き合った。


 重い口を開く。


「祐希……悔しいけど、お前のおかげか……。歪んでたんだよ。俺は……俺達のクラスは……全部俺のせいだ。俺が弱かったから……姉貴の言葉に騙されて、流されて……」


「鮫島?」


 鮫島は俺の肩に手を乗せた。

 息が荒い……。


「……俺はクズだ。……全部俺が悪いって分かってる。嫉妬もあったんだろうな? 茜はお前の事しか見ねーし……。俺が率先してお前をいじ……める流れを作って」



「茜がお前をいじめる姿を見て、俺は喜んでいたクズだ。……そんな堕ちていく茜を見て……俺は心の中で見下していたんだな」


 ――おい、いつもの飄々とした態度はどこに行った?


「鮫島……」


「ああ、俺は茜が大好きなだけだったんだよ。……祐希……すまねえ……茜との仲を壊して……」


 鮫島は憑き物が落ちたような顔をしていた。


「俺が今までお前に……償いきれねえ事をした。……今更許してくれなんて言わね。お前が気が済むまでボコボコにしてくれや」




 俺はその言葉を聞いて……頭に血が上ってしまった。


「……おい、鮫島。さっきから聞いてれば……この後に及んで上から目線か? なんで俺がお前を殴らなきゃいけないんだ? ……俺がお前を殴っても、お前の自己満足なだけじゃないか」


 鮫島の身体がプルプルと震えだした。


「なら……ならどうすりゃいいんだよ!! 俺はこんな事でしか償いできねーよ!! 俺はお前みたいに強くねーんだよ!!」


 ――ばかやろう……お前の方がずっと凄いだろ? クラスの誰からも嫌われて無く、誰とでも喋れて……ウザい絡みもあるけど……茜の事も守ろうとしただろ?


「鮫島……、懐かしいな……こんな風に話すのは夏休みのファミレス以来かな? ……普通でいいんだよ。俺たちはまだ学生だ。やり直せる。――だから」


 俺は真剣に鮫島と向かいあった。


 鮫島の顔が感情で歪む。

 絞り出すような声を出した。



「――そうか……普通でいいのか……。はは……俺も姉貴にすっかり毒されてたな……言い訳にもならねーけどな」


 鮫島は俺の制服を両手で強く掴む。

 感情が伝わる。




「――俺が悪かった、祐希。……俺は取り返しの付かない事を……すまない。本当にすまない……」




 俺はそれに答えるように鮫島の額にデコピンをした。

 鮫島の額から凄まじい音が弾ける。


「いっつ!? ゆ、祐希、何するんだ!?」


 ――これくらいでいいだろ? 俺はお前らのおかげで……確かに辛い経験をした。

 だけど、それは佐藤さん達と仲良くなるきっかけでもあった。




 俺は昔みたいに鮫島の肩に軽くパンチをする。

 それは全然痛くないであろう猫パンチ。



「――ああ、俺たちは同級生だ。上も下も無い。――また一から友達になればいいさ」



 鮫島は呆けた顔をして立ち尽くしてしまった。


「……ばかやろう……祐希……ありがとう……」


 鮫島は涙をこらえながら空を仰いでいた。










 その後、鮫島は地面に倒れ込んでしまったので、俺は鮫島をおぶって保健室に強制的に叩き込んだ。


 佐藤さんはアルバイトがあるので、保健室で別れた。

 俺は保健室の椅子に座って考え事をしていた。

 ちょうど養護教員は会議中でいない。勝手にベッドを使う事にした。


 ――結局、鮫島が倒れちゃったから、姉の動向を聞くことが出来なかったな……。まあ起きたら聞くか。


 鮫島が歪んだ理由は、やっぱり姉のせいだったか。

 あんな化け物みたいな姉がいたらおかしくもなるよな。


 そもそも、鮫島姉は何がしたいんだ?

 弟をいじるっていうレベルを超えている暴力の跡だぞ?


 鮫島は何を反抗したんだ?


 ……考えていても分からないか。こいつが起きるまで待つか……。


 俺はカバンから高橋さんに勧められた本を取り出す。

『追放ボッチは福引ガチャの悶絶スキルで無双する』


 ……これは中々……微エッチな内容だ……。


 俺は粛々とページを読み進めて行くと……保健室の扉が開いた。






「あれ? 祐希じゃん? 何してるの?」


 膝に擦り傷を負ったギャル子が保健室に現れた。



「ギャル子!? その傷どうした!?」


 俺はギャル子の怪我を見た瞬間、最近の学校の雰囲気を思い出す。

 ――誰かがギャル子を……。


「わ、わわ!? ちょっと、祐希!?」


 俺はギャル子の手を引いて、保健室のベッドの上に座らせる。

 傷を良く観察する。


 ――膝小僧のところが擦りむけて、血が滲んでいる。


「絶対安静だ! ちょっとそこでまってろ?」


「ちょっと擦りむいただけだよ! うち大丈夫だよ? ね、祐希落ち着こう」


 俺はギャル子の言葉を聞き流して、適当に消毒液とガーゼと包帯を見繕う。


 俺はギャル子の膝の上にストールを置いて、膝小僧の怪我の処置に入った。


「うひゃ!? し、しみる〜」


「我慢しろ、バイキンを殺してるんだ。……よし、ガーゼを当てて……」


 俺はギャル子の綺麗な足を手に持って……粛々と処置をする……。


 ――今気がついたが……これは……恐ろしく恥ずかしいぞ?


 ふと見上げると、顔を真っ赤にしたギャル子が恥ずかしそうにもじもじしていた。


「……うぅ……これも罰ゲーム……恥ずかしいよ……」


 俺も黙ってしまった。

 ギャル子も静かになる。


 グラウンドから部活動の声だけが響く。

 静かな時間が訪れる。

 それはゆっくりと流れる時間であった。



 俺は包帯も巻き終わり、処置を完璧に終えて再び顔を上げた。

 ギャル子も俺を見ていたのか、目が合ってしまった。


 柔らかい笑みをたたえ、俺を優しい瞳で見つめるギャル子。


 ――綺麗だな。……心が綺麗なんだろうな。


 俺はその顔に見惚れてしまった。


 ギャル子は俺と目が合っても動かない。

 俺も動けなくなってしまう。


 ギャル子の形の良い唇が小さく開く。


「……ねえ、瑠香に怒られちゃうよ? だ、だって、祐希は瑠香といつも手を繋いでいるし……、と、特別な仲なのかな〜、って……」


 俺と佐藤さんが特別な仲……それは恋人という事か?

 だけど、俺は未だに異性が好きという感情が分からない……。


 本当にわからないのか? 茜の事があって……心の奥で蓋をしているだけじゃないのか?


 俺は自分の思っていることを素直に声に出してみた。


「……俺は……佐藤さんの事が異性として好きなのか?」


 ギャル子の顔に陰りが見えた。

 俺はその顔を見て心が痛む。

 なんだこの感情は?


 胸から湧き上がる……苦しみ……。


「へへ、やっぱそうだよね……。だ、大丈夫よ。うち、クラスで人気者だもん。……この怪我だって、教室で転んだだけだもん。全然、へっちゃら……だよ……」


 俺は立ち上がって、自然とギャル子の隣に座った。


「ゆ、祐希……、だ、駄目……」


 ギャル子から感じる甘い空気。

 俺は流されるまま、その空気に浸りたいと思ってしまう自分に驚きと同時に……罪悪感を感じてしまう。


 頭に浮かんだのは佐藤さんの顔であった。


 ――くそっ、俺は自分で自分がわからん……。




 突然変な声が聞こえてきた。


「――ふがっ……あかね……だいしゅき……お姉ちゃん……シネ」


 鮫島の突然の寝言に俺たちはビクッとなってしまう。

 俺とギャル子は顔を見合わせて静かに笑い合う。





 俺はポツリと呟いた。


「俺は佐藤さんもギャル子も高橋さんも、光君も、岬も……みんな大好きだ」


 俺は続ける。


「だけど……なんでだ? 佐藤さんの事を考えると……苦しい。……ギャル子がつらそうな顔を見ていると……胸が痛む……」


 ギャル子はそっと俺の手を取って……自分の胸に持っていった。


「……へへ……もしかして……まだ、うちにも希望があるのかな? ……はぁ、瑠香が相手じゃね……でも今の言葉を聞いて……うち、決めたよ」


 ――野球部の金属バットの音が聞こえてくる。俺は遠い世界にいるみたいであった。







 ギャル子は俺の手を自分の……口元に持って行き、


 俺の手にキスをした。






「――うち、やっぱり祐希が好き。……この思いは嘘つけない」





 ギャル子のとびっきりの笑顔が俺の胸を撃ち抜いた。







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